みちのくの山野草

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『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)

2022-01-11 10:00:00 | 一から出直す
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。

 では今回は、『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)についてである。
 さて、ここまで賢治に関する追想や著書等について幾つか調べてきたわけだが、昭和18年になると突如賢治に関する本が、先の『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)を筆頭にして、以降、
・『宮澤賢治素描』(関登久也著、協栄出版、昭和18年9月)
・『雨ニモマケズ』(斑目榮二著、富文館、昭和18年11月)
・『宮澤賢治覚覺え書き』(小田邦雄著、弘學社、昭和18年11月)
・『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)
というように続々と出版されたことになる。
 しかしながら、生前ほとんど世に知られていなかった賢治なのに、亡くなってからわずか10年ほどにしてのこの「賢治ブーム」。しかも、戦時下では紙不足もあって出版は容易でなかったはずだから、逆に、きな臭さも感ずる。それは、以前の投稿〝戦時下の賢治ブーム〟において、関井光男氏が、「宮澤賢治ブームが戦時下において起こっているということがわかる」と主張していることを紹介したが、戦時下におけるこの一連の出版の有り様からもそのことがたしかに垣間見えてしまうからだ。
 どうやら、賢治を戦意昂揚に利用しようとした人物がいて、組織があったということは否定しようがないようだ。もちろんそれを賢治が望んでいたということはあり得ないだろうが、もしかすると、賢治の作品群にはそれを生じさせる属性がもともとあったということなのだろうか。

 話がそれた、元に戻そう。『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)についてである。
 それにしても、森は一年前に同じタイトルの本『宮澤賢治』を昭和18年1月に小学館から出しているのに、時をおかずに1年後に、今度は杜陵書院から同名の本を出したことになる。ちょっと違和感がある。そこでこの二つを見比べてみると、それぞれの目次は全く同じだから、なおさら奇妙である。それぞれの項目については内容に多少の違いはあるものの、基本的には大きな違いはなさそうだし……。
 そしてやっと、この二つの間の決定的な違いを最後の項「二十一 ただしくあかるい道とことば」で見つけた。それは、
〈小学館版(昭和18年1月)〉では、
 宮澤先生が死んでから、もう今年(昭和十七年)で十年になります。全集が二回出ました。…投稿者略…
 その間に、日本のやうすも、世界のありさまも、ずゐぶんかはりました。
 宮澤先生の精神は、ますますみんなに知られ、ただしくあかるい道を行かうとするひとびとに、このうへない力をあたへてゐます。…投稿者略…
 けれども、私たちが、これ(「雨ニモマケズ」のこと:投稿者註)を讀むときは、ただ小さな、ゐなかのお話と思つてはならないのであります。
 宮澤先生は、別の文章では、

 「世界に對する大なる希願をまづ起せ。」

と、いはれました。そのためには、

 「つよく、ただしく生活せよ、苦難を避けず直進せよ。」

です。何百年としひたげられて来た、大東亞共榮圏の中の、よはい、たくさんの民族を、病氣の子どもや、つかれた母と見ることは、少しもさしつかへないのであります。まことに、

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。」

のであります。米英が、アジアから去らないうちは、アジアの幸福はあり得ないともいはれませう。これは、こじつけといふものではありません。えらい人のことばは、いろいろに考へ考へ讀むべきものであります。
             〈『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)253p~〉
となっているのに、
〈杜陵書院版(昭和19年1月)〉では、
 宮澤先生が死んでから、もう今年(昭和廿一年)で十年になります。全集が回出ました。…投稿者略…
 その間に、日本のやうすも、世界のありさまも、ずゐぶんかはりました。
 宮澤先生の精神は、ますますみんなに知られ、ただしくあかるい道を行かうとするひとびとに、このうへない力をあたへてゐます。…投稿者略…
 けれども、私たちが、これを讀むときは、ただ小さな、ゐなかのお話と思つてはならないのであります。
 宮澤先生は、別の文章では、

 「世界に對する大なる希願をまづ起せ。」

と、いはれました。そのためには、

 「つよく、ただしく生活せよ、苦難を避けず直進せよ。」

です。何百年としひたげられて来た、大東亞共榮圏の中の、よはい、たくさんの民族を、病氣の子どもや、つかれた母と見ることは、少しもさしつかへないのであります。まことは、

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。」

のであります。米英が、アジアから去らないうちは、アジアの幸福はあり得ないともいはれませう。これは、こじつけといふものではありません。えらい人のことばは、いろいろに考へ考へ讀むべきものであります。
             〈『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)193p~〉
となっている。
 よって、戦意高揚をしている箇所を削除しているし、論理の綻びもある。後者の発行日は「昭和19年1月」であるのに、「もう今年(昭和廿一年)で」という記述もあるからだ。
 ちなみに、それぞれの奥付を見ると、
   『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)の定価は1円40銭
になっているが、
   『宮澤賢治』(森荘已池著、杜陵書院、昭和19年1月)の定価は何と20円
となっている。たった1年後に、
   1円40銭→20円
となるのだろうか。この定価の急激な変化からは、もしかするとこの〈杜陵書院版(昭和19年1月)〉は実は戦後の出版だったのではなかろうか、などと私はあらぬ妄想までしてしまう。

 とまれ、このことを知って、戦時下に出版された子ども向けの『宮澤賢治』(森荘已池著、小学館、昭和18年1月)が、いたいけな子どもたちの戦意を煽ろうとしていたということを改めて教わってしまった。

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【キャッチコピー】 


【目次】

【序章 門外漢で非専門家ですが】


【終章】



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