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695 東北砕石工場について(その1)

2008-12-07 10:16:15 | その他地域
 ↑『石と賢治のミュージアム』パンフレットより

 宮澤賢治の年譜(『校本 宮澤賢治全集 第十四巻』)を見ていたら昭和6年についてはかなり詳細に書かれていることを知った。
 つい、昭和6年といえば賢治が『雨ニモマケズ』を手帳に書いた年で、病に伏していた年だとばかり思っていた。ところが、その年の年譜を見ていると東北砕石工場関係の記載が多く、賢治は病躯をおしてわざわざその工場のある東山町の陸中松川まで幾度か出掛けている。

 そこで、東山町にあるという『旧東北砕石工場』と『太陽と風の家』を見てみたいと思い立ち、訪れたので報告する。

 賢治がこの東北砕石工場長の鈴木東蔵と関わりを持つようになったいきさつについては、清六氏は
 昭和4年の春、木訥そうな人が私の店に来て病床の兄に会い度いというので二階に通したが、この人は鈴木東蔵という方で、石灰岩を粉砕して肥料をつくる東北砕石工場主であった。兄はこの人と話しているうちに、全くこの人が好きになってしまったのであった。
 しかもこの人の工場は、かねて賢治の考えていた土地改良にはぜひ必要で、農村に安くて大事な肥料を供給することが出来るし、工場でも注文が少なくなって困っていると云うことで、どうしても手伝ってやりたくなって致し方なくなった。
 そのために病床から広告文を書いて送ったり工場の拡張をすすめたりしていたが、だんだん病気も快方に向かってきたので、その工場のために働く決心を固め、昭和6年の春からその東北砕石工場の技師として懸命に活動をはじめたのである。

と『兄のトランク』(宮澤清六著、ちくま文庫)で紹介している。

 一関から県道19号(一関大東)線を東山町に向かう。
《1 ルートマップ》(『石と賢治のミュージアム』パンフレットより)

東山町に入ったならば次はJR大船渡線の陸中松川駅を目指す。
《2 陸中松川駅前広場》(平成20年12月4日撮影)

には駐車が可能である。広場の端に
《3 石と賢治のミュージアムゲート》(平成20年12月4日撮影)

がすぐ見つかるはずである。
《4 ミュージアム内》(平成20年12月4日撮影)

道にはトロッコ軌道の名残なのだろう枕木が並んでいる。また、上の写真奥右手の建物は往時の『木造倉庫』らしい。
《5 ミュージアム案内図》(平成20年12月4日撮影)


《6 宮澤賢治と東北砕石工場》(平成20年12月4日撮影)

 東北砕石工場は、大正13年、鈴木東蔵が叔父・貞三郎の協力により興した石灰工場で、主に農地の土壌改良用の炭酸石灰を生産していました。この工場は、貴重な産業遺産であるとともに、宮澤賢治が、晩年、技師として働いていた場所として注目されています。当時の農業や東北の厳しい気候を考えると、肥料用石灰がどれほど大きな存在であったか図り知れません。農民の幸せは、賢治と東蔵の共通の願いであり、二人は、ここで、石灰を通して豊かな実りのために力を尽くしたのです。
と説明してあった。
《7 グスコーブドリと東山》(平成20年12月4日撮影)

 賢治は、昭和6年ここの工場技師に委嘱されました。賢治の代表作「グスコーブドリの伝記」は、この時期に書き上げられたといわれています。冷害から農民を守るために命を投げ出すグスコーブドリの生き方は、賢治の理想であり、それは人々の幸せのために精力的に働いた賢治の姿に重なります。
 東山賢治の会では、堅持の精神が未来に受け継がれていくことを願い、平成7年「グスコーブドリの町・東山」を宣言しました。

ということなのだそうだ。
《8 ミュージアムマップ》(平成20年12月4日撮影)

トロッコ軌道の枕木の道を進めば”太陽と風の家”へ行けそうだ。そして、この道は”トロッコ道のギャラリー”と名付けられていてオブジェなどがある。
《9 なんのオブジェ?》(平成20年12月4日撮影)

《10 蛙の雲見》(平成20年12月4日撮影)

宮澤賢治の童話『蛙のゴム靴』に出てくる蛙のオブジェなそうだ。
《11 涙ぐむ目の花壇》(平成20年12月4日撮影)

 ”トロッコ道のギャラリー”には次のような文章が書かれた
《12 ボード》(平成20年12月4日撮影)

がいくつかある。
 二人はそこで木苺の実をとって湧水に漬けたり、空を向いてかわるがわる山鳩のをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぼう、ぼう、と鳥が睡そうに泣き出すのでした。
とあるから、これは賢治の童話『グスコーブドリの伝記』の第一章”一、森”の出だし
 グスコーブドリは、イーハトーブの大きな森のなかに生れました。お父さんは、グスコーナドリという名高い木樵りで、どんな巨きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるように訳なく伐ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとお父さんの樹を鋸く音が、やっと聴えるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木苺の実をとって湧水に漬けたり、空を向いてかわるがわる山鳩の啼くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が睡そうに鳴き出すのでした。
 お母さんが、家の前の小さな畑に麦を播いているときは、二人はみちにむしろをしいて座って、ブリキ缶で蘭の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶するように啼きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
 ブドリが学校へ行くようになりますと、森はひるの間大へんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの樹の幹に、赤い粘土や消し炭で、樹の名を書いてあるいたり、高く歌ったりしました。
 ホップの蔓が、両方からのびて、門のようになっている白樺の樹には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。

の赤い部分のことだ。
《13 トロッコ軌道》(平成20年12月4日撮影)

わきの木製の柵にはくつかの金属製オブジェが取り付けてある。
《14 再びボード》(平成20年12月4日撮影)

このボードには、先程掲載した『グスコーブドリの伝記』の第一章”一、森”の部分の水色部分が書かれてある。
《15 トロッコ道の歴史》(平成20年12月4日撮影)

 山から採掘した石灰は、工場で粉砕され、陸中松川駅から出荷されましたが、それはなかなか大変な作業でした。そこで、東蔵は、線路沿いの田んぼを借り、そこにやぐらを組んでトロッコを乗せ、製品を運ぶ方法を考えました。
 この「トロッコ道」は、かつて石灰を運んだトロッコ線の跡をたどる道です。

という説明があり、右上の白黒写真は「かつてのトロッコ道」であり、エピソードが次のように紹介されている。
 創業当初のこと、石灰を積んだトロッコが田んぼに落ちてしまい、地主にひどく怒られました。ところが、その田んぼでは翌年収穫が増え、地主が大喜びでお礼を持ってきたそうです。これは石灰の効果を示したエピソードともいえます。
《16 振り返ってみたトロッコ道》(平成20年12月4日撮影)

 やがて
《17 太陽と風の家》(平成20年12月4日撮影)

に辿り着く。小さい博物館ではあるが、沢山の
《18 石の標本》(『石と賢治のミュージアム』パンフレットより)

が展示してある。
 ラピスラズリの原石を見ることが出来て嬉しかったが、叩くと澄んだ美しい”カンカン”という音の出るサヌカイト石を叩くことも出来た。
 あの賢治の詩『沼森』の中の
 沼森がすぐ前に立ってゐる。やっぱりこれも岩頸だ。どうせ石英安山岩、いやに響くなこいつめは。いやにカンカン云ひやがる。とにかくこれは石ヶ森とは血統が非常に近いものなのだ。
の”カンカン”はこのような音だったのだろうか。
 もちろん館内には
《19 賢治に関する資料展示》(『石と賢治のミュージアム』パンフレットより)

や、東北砕石工場の製品であった「タンカル」等の展示もなされている。
 印象的だったのは”壁材料の製品見本”の展示であった。それは、清六氏が同じく『兄のトランク』で述べている
 昭和6年9月には、その工場の壁材料の製品見本を、是非東京に持って行かねばならぬと言い出して、家人の留めるのを押し切って、例のトランクにぎっしり製品見本を詰め、その十貫以上もあるトランクを下げ、出かけて行ったのだ。そしてその次の日、東京でまた病気を再発し、そのまま神田の宿で果てる覚悟をしたのだそうだが、父の厳命に従って、三十九度の熱悩を抱いて寝台車で帰ったのだ。……
に出てくる製品見本だ。
 それにしても十貫といえば37.5㎏(40㎏弱)である。にも関わらず
 ……私が花巻駅に迎いに出たとき、高熱で寝台車から助け下さねばならぬほどの重態を、一つ手前の黒沢尻駅ですっかり洋服に着替え、カラーの新しいものへネクタイもきちんと結び、その大きなトランクを下げ、笑いながら三等車を下りたのだ。
と清六氏は同著で述べている。やせ我慢な賢治が痛々しい。
 なお、このトランクこそ、その蓋に付いていた袋の中から雨ニモマケズ手帳が後に見つかったトランクである。

 私は、『東北砕石工場』のセールスマンとしての賢治のひたむきな仕事ぶりはまるで『緩やかな自死』を望んでいたとさえ思えてくる。

 続きは次回へ。

 続き
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