みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「なめとこ山の熊」(畏敬)

2017-02-21 10:00:00 | 賢治作品について
〈「ひきざくらの花」(平成27年4月27日、鉛温泉)〉
 そして物語は、
 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して熊の顎のとこから胸から腹へかけて皮をすうっと裂いていくのだった。それからあとの景色は僕は大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。
              <『宮沢賢治全集7』(ちくま文庫)、以下の引用も同じ>
と続くので、小十郎は熊の肉は持ち帰らずに、熊の毛皮と熊胆(ゆうたん)だけを持ち帰るということになる。結果的には毛皮と熊胆のためだけに熊を殺したことになる。このような構成にしてしまったことにもしかすると作者はうしろめたさがあったのだろうか、それまでは自分のことを「私」と言っていたのに、ここでは「僕」に変わっている<*1>。
 話題は変わって次のような段落が続く。
 小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした。ある年の春はやく山の木がまだ一本も青くならないころ小十郎は犬を連れて白沢をずうっとのぼった。夕方になって小十郎はばっかぃ沢へこえる峯になった処へ去年の夏こさえた笹小屋へ泊ろうと思ってそこへのぼって行った。そしたらどういう加減か小十郎の柄にもなく登り口をまちがってしまった。
 なんべんも谷へ降りてまた登り直して犬もへとへとにつかれ小十郎も口を横にまげて息をしながら半分くずれかかった去年の小屋を見つけた。小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思い出して少し山を降りかけたら
唐突に、「小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした」で始まっている。次の文との脈略もないので不自然さがあ。これはおそらく後々の伏線を張るためだったのだろう。
 そして次のような親子熊の美しい光景と、不意に襲われた小十郎の感銘が描かれる。
 愕いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋ひきちょうど人が額に手をあてて遠くを眺ながめるといったふうに淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのにあった。小十郎はまるでその二疋の熊のからだから後光が射すように思えてまるで釘付くぎづけになったように立ちどまってそっちを見つめていた。
 ここで気付いたことがある、賢治は何故このような場面を思い付いたのかを。それは、賢治は夜空の星が大好きだったはずだから北極星を含むこぐま座と、北斗七星を含むおおぐま座をを眺めて続けてきて、これらをそれぞれ子熊と母熊に見立てていたに違いないと。おそらくここでそれをこの童話に取り入れたのだと。
【おおぐま座とこぐま座】

             <『星空図鑑』(藤井旭著、ポプラ社)191pより抜粋>
 ちなみに、『星座の招待』(村山貞男/藤井旭共著、河出書房新社)によれば、
 この大熊は、もともとは美しいニンフ(妖精)カリストであった。カリストは、月と狩の女神アルテミスの侍女であったが、大神ゼウスに愛されて、ゼウスの子アルカスを産んだとき、ゼウスの妻ヘーラのはげしい怒りをかい、みにくい熊の姿となってさまよい歩かねばならなくなってしまったのである。あるとき、いまではりっぱな猟師に成長した息子アルカスと森の中で出会ったカリストはうれしさのあまり、わが身のことも忘れ、思わず走りよった。ところが、この熊がまさか自分の母であろうとは知るよしもないアルカスは、自分の弓をつがえこの大熊を射殺そうとしたのである。これを見たゼウスは、ふたりの運命をあわれみ、息子も子熊の姿に変えて、母親もろとも天にあげてせいざにしたという。
             <『星座の招待』(村山貞男/藤井旭共著、河出書房新社)31p>
とあり、まさに子熊と母熊の話だ。賢治はもちろんこの神話を知っていたはずだ。
 それに、私もそうだったが殆どの人には知られていないはずの二十八宿のうちの一つ「胃(コキヱ)」さえも次のようにこの童話には登場しているように、賢治作品には沢山の星や星座が出てくるのだが、日下英明の『宮澤賢治と星』(學藝書林)の16pによれば、おおぐま座<*2>もこぐま座も共にどこにも出てきていないという。これらのよく知られた星座が出てこないということは不思議だ。だから逆に、賢治は実はここでそれらの星座と神話を意識して登場させていたのではなかろうかと、私はますます推測したくなる。

 話を戻す。次のようにこの母子熊の会話は続く。そして、そうかこのために賢治はさっき「小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした」と伏線を張ったのだということを私は了解した。
 小熊が甘えるように言ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」
 すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。
「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」
 子熊はまた言った。
「だから溶けないで残ったのでしょう」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧よろいのように光っているのだった。しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」
 ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキヱ)もあんなに青くふるえているし第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」
「いいえ、お前まだ見たことありません」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」
「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退あとずさりした。
 この何気ない日常に対しての畏敬の念が、さぞかし豪毅であったであろうと私が思い込んでいた小十郎に実はあるのだということを知って、さすが小十郎は本物の「マタギ」だと嬉しくなった。小十郎がなぜ胸がいっぱいになったのかは私には確とはわかりかねるが、少なくとも小十郎は繊細でもあり、やむを得ず自分と家族が生きて行くために「熊撃ち」をしている己の業を託ち、母子熊の日常を目の当たりにして突如畏敬の念を抱いたに違いないと私は確信したのだった。
 そして私に響いたのがもう一つ、子熊の
    「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。
という「とぼけたよう」な素振りの対応であり、母親に対する幼いながらも心優しいこの気遣いがほんわかとして微笑ましい。
 最後に賢治はこの段落を、
   くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。

             <「なめとこ山」のくろもじ》(平成27年5月20日撮影)
と締め括っていた。私は賢治の感性の鋭さにただただ気圧されるだけだった。こんなように書ける作家が他にいるのだろうか、と。

<*1:投稿者註> よくよく考えてみれば本当のマタギならばこんなことはしないはずだ。作者が最初の段階で、「ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ」と弁解していた訳はこんなところにもあったのかもしれない。
<*2:投稿者註> ただし、「大熊星」ならばある。「よだかの星」の中に、
 それから又思ひ切って北の大熊星(おおぐまぼし)の方へまっすぐに飛びながら叫びました。
               <『宮沢賢治全集5』(ちくま文庫)90p>
というように。

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豊沢の事を (佐々木伸行)
2017-02-21 14:04:43
 母が職を得た僻地の豊沢に小学2年の時移りました、昭和31年豊沢中学を卒業しました。高校に入って部活動で豊沢に帰る事は少なくなり、その後は遠く離れてしまいました。(愛媛に就職) 
 今、関西県人会に豊沢について拙文を投稿し、校正のやり取りをしています。 賢治が土性調査に訪れていたことも知らず。松橋さんから熊の肉を頂いて食べたこと、校歌に大空滝が歌われ、また中山街道は山菜や岩魚捕りなどに通っていた道なのに、其れでも物語と古里を重ね合わせてみる事など全く無く過ごしていました。
 ご紹介の本を早速注文しました。 故里を思い出しながら読んで見たいと思っております。
 以前このブログの、中山街道他の画像を使わせて頂いたことが有ります、私にとって懐かしい記事をありがとうございます。
返信する
ご訪問ありがとうございます (佐々木伸行様)
2017-02-21 14:36:20
佐々木 伸行様
 この度はご訪問頂きありがとうございます。
 そうですか、かつて豊沢にお住まいになっておられたのですか。素晴らしい思い出が沢山おありのことと存じます。
 また仄聞するところでは、松橋さんは小十郎のモデルの方とのこと、その松橋さんから熊の肉を頂いたということで、貴重なご経験をなさっておられるのですね。
 なお、拙著のご注文を頂いたということですので、ありがとうございます。ご住所がわかり次第お届けいたします。
                                                               鈴木 守
返信する
豊沢の事を (佐々木伸行)
2017-02-21 22:30:04
 早速のご返事をありがとうございます。
大変言葉足らずで失礼しました、注文した本は「拝啓宮沢賢治さま」の事でした、「なめとこ山の熊」(宿業)を読んで入手したいと思ました。
 特に豊沢と「なめとこ山の熊」の事を書いているタイミングだったので特にそう思ったのです。 
 誤解を招くような書き方で大変申し訳ございません。
 なお、豊沢に人の生活が有ったころ、賢治が来たころとそう変わっていなかったと思う、その頃の記憶を書いてみたものを次回の関西の会報に載せる予定です。
 もしご興味、ご要望おありになればその発行時点でお送り、(メール添付)いたします、またその時は当方のメルアドを連絡させていただきます。
返信する
早とちりしてすみませんでした (佐々木様(鈴木))
2017-02-22 07:45:05
佐々木 伸行様
 お早うございます。
 済みません、早とちりしてしまいました。
 どうぞお気になさらないで下さい。
 そして、この田下啓子氏の「拝啓宮沢賢治さま」は切り口が斬新で鋭いので、私は何度も目から鱗が落ちました。素晴らしい著書だと思っております。
 特に今まで軽く読み流していた「なめとこ山の熊」が賢治の他の作品と違っていることに気付かせて貰いました。
 お陰様でこの「なめとこ山の熊」は賢治童話の中でとりわけ私の珠玉の一篇になりつつあります。
 また、是非〝関西の会報〟にお載せになられる御高論拝見したいのでよろしくお願いいたします。
                                                         鈴木 守
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