みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「なめとこ山の熊」(宿業)

2017-02-20 10:00:00 | 賢治作品について
〈『大空滝』》(平成23年10月30日撮影)〉
 さて先に投稿したように、『拝啓宮澤賢治さま』(田下啓子著、渓流社)を読んで、「なめとこ山の熊」が素晴らしい作品であることを教えてもらった。そこでその後何度か読み直しているのだが、読み返す度に感動しているし、それを新たにするところもある。だからもしかすると、そのうちに私の大好きな賢治作品の第一位になるかもしれないという予感がこの頃している。

 なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。
 唐突な「なめとこ山の熊のことならおもしろい」という出だしがいい。一気に物語の世界に引き込まれる(ただし、この「おもしろい」は普通の意味のそれではないことに後で気付かされる)。しかも、「おもしろい」と断定しておきながら、直ぐに今度は「人から聞いたり考えたりしたことばかりだ。間ちがっているかもしれないけれども私はそう思うのだ」と肩すかしを食らわせられ、翻弄される。もう最初の段階で完全に賢治の術中に嵌まってしまう。

 次に、
 木がいっぱい生えているから谷を溯のぼっているとまるで青黒いトンネルの中を行くようで時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。
という文章に出会い、「時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあればそこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある」というそのずば抜けた描写力に私は圧倒される。実際になめとこ山に登ったとき以上にその光景が私の頭の中にまざまざと浮かぶ。

             《なめとこ山》(平成27年5月20日)
 そしてこの童話を読んでいると、つい吹き出したくなる個所も幾つかある。その一つが
  小十郎は膝から上にまるで屏風のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。
というように、作者が「そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ」と突如しゃしゃり出てくる「禁じ手」とも見えてしまう断定個所だ。賢治の有り余る才能からすればこんな手を使わずとも別の表現でもそれはできるであろうにと私には思えるのだが。しかし確かに作者にこう言い切ってしまわれると、私などはいともたやすく素直にそう信じてしまう。

 さてこの物語の主人公マタギの小十郎は熊撃ちの名人だが、熊を仕留めた後で彼は、
 注意深くそばへ寄って来てこう言うのだった。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞし
<*1>るんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ。」
 そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた。
             <引用はいずれも『宮沢賢治全集7』(ちくま文庫)より>
と賢治は描いている。小十郎は因果な商売熊殺しをしていることを弁解しているわけだが、最後の「やい。この次には熊なんぞに生れなよ」という独りごちを言わせている賢治の演出が上手い。しかも、「そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた」と書き添えている。「何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢せきりにかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ」という小十郎の相棒で、お互い心が通じ合っている。
 というわけで、生きとし生けるものは皆宿業の中に生き、そして逝かざるを得ないのだということをこの童話は私に教えてくれそうだ。

<*1> 「仕方なしに猟師なんぞしるんだ」の個所については、『校本宮澤賢治全集第九巻』(筑摩書房)でその校異を見てみると、
   猟師なんぞし[→削]るんだ
と確かになってはいるものの、岩手県人の私からすればこの削除は不自然だ。ここは、この「」は削除せずにそのまま残し、
   「仕方なしに猟師なんぞしるんだ」はやはり「仕方なしに猟師なんぞしるんだ
となるのではなかろうか。

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