みちのくの山野草

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ブッダとしての永遠性

2018-07-26 10:00:00 | 法華経と賢治
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
 では今度は「ブッダとしての永遠性」という項に入る。
 植木氏は次のように解説を始める。
 そして釈尊は言います。

「如来は、それほどに遙かな昔に覚りに達し、量ることのできない寿命の長さを持ち、常に存在し続けて〔説法して〕いるのである。如来は、完全なる滅度に入ったことはなく、〔衆生を〕教化することを願って完全なる滅度を示してみせるのである」

 つまり、釈尊は本当に死んだのではない。仮にそういう姿を見せているだけであって、どんな時にも私はこの娑婆世界にあり続けている。そしてこの世界で説法教化しているのだ、というのです。
             〈『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)88p~〉
と。ただし、私にとってはこの論理は難しい。

 しかも、この「永遠のブッダ」については危険性も孕んでいるということも、植木氏は次のように指摘する。
 この「永遠のブッダ」を説くという方法も、一歩間違えると一神教的な解釈にすり替わってしまうという危険をはらんでいます。…(投稿者略)…しかし、『法華経』は別世界にいる絶対者のような存在は認めず、あくまでも歴史上に実在した人物である釈尊自身の永遠性を説いています。
            〈〃89p〉

 さりながらこれでは矛盾はほぼ明らか。もちろんそのことは植木氏も承知であり、「ここはなかなか分かりにくいところでもあります」と前置きをして次のようの詳しく説明しようとしていた。
 実は久遠の昔に成仏していたという釈尊は、現実世界に関わり続ける仏です。…(投稿者略)…仏教界では当時、ブッダの永遠性を求めてイランなどから外来の神を如来・菩薩として取り込んだり、法身仏を崇拝したりする傾向が強まっていました。すると、歴史上の釈尊は現実世界に現れた命に限りある仏と見なされ、法身仏は姿が見えない永遠の仏であるというように、仏がいわば「二段構え」になります。しかし、仏が人間から離れた存在となれば、それはもは原始仏教や『法華経』が前提とする仏教ではなくなってしまいます。そこで、さまざまな仏を釈尊に統一すると同時に、一神教的な絶対者を立てる方向性から軌道修正をするために、釈尊ははるか昔に成仏していたとする「久遠実成」を『法華経』は説いたのです。
            〈〃89p~〉

 残念ながら、私の乏しい知識と理解力では、植木氏には申し訳ないがやはり「ここはなかなか分かりにくいところでもあります」。 

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