みちのくの山野草

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「賢治研究」にも「研究の自由」の保障を

2019-02-18 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 さて、ここまで私なりに「人間宮澤賢治」を自分の手と足で検証してきた。そしてそのことを通じて、『春と修羅 第一集』はこれからも誰にもスケッチできないものだろうと、また、『やまなし』とか『おきなぐさ』そしてなによりも『なめとこ山の熊』はこれからもこよなく私が愛し続ける童話であろうと確信できた。しかしながら、『グスコーブドリの伝記』や『春と修羅 第三集』そして〔雨ニモマケズ〕に対する私のかつての評価は一変してしまった。それはなぜなのか。

 それは、今までに幾つかの賢治に関する拙著を著すことを通じて例えば、巷間、賢治が聖人君子に祭り上げられている一方でとんでもない<悪女>とされている露だが、実は露はそれと全く逆の〈聖女〉の如き人であったということや、昭和3年6月の上京は逃避行であったとも見られる賢治と、その頃、『二葉保育園』でスラム街の子女の保育のために献身していた伊藤ちゑとでは比べものにならなかったということなどを知ってしまったからだろうか。
 あるいは、賢治は「農聖石川理紀之助に続く系譜を正しく継ぐ人」だと言う人がいたから、私は理紀之助の故里である潟上市に行ってみたのだが、この目で実際に石川の実践の一端を垣間見たならば、羅須地人協会時代に行った賢治の実践は石川のそれと比べれば全然叶わないものだったということが直ぐわかったからだろうか。
 はたまた、同志であるならば「小作人たれ/農村劇をやれ」と「訓へ」られた甚次郎はそのとおりにやったが、そう「訓へ」た側の賢治はどちらもしなかった、というダブルスタンダードが賢治にはあったということを私は知ってしまったからであろうか。

 そこで私は思い悩む。誤解を恐れずに言えば、例えばこれらの4人(高瀬露、伊藤ちゑ、石川理紀之助、松田甚次郎)に比して「人間宮澤賢治」が勝っていた点は一体どこであったのだろうかと。言い方を換えれば、巷間言われている「賢治像」はどうやらかなり創り上げられたものではなかろうか、と。もしそうであるとしたならば、もともと「真実は隠せない」はずで、真実は隠すものでもなければはたまた何時までも隠しおおせるものでもなかろうから、巷間流布している「賢治像」は逆に賢治のことを実は貶めているのではなかろうかと。だから、私たちはもうそろそろ《創られた賢治から愛すべき賢治に》という時代を受け容れてもいいのだと覚悟すべきではなかろうか、と。

 それから、喫緊の重要課題も見つかった。それは、巷間流布している〈露悪女伝説〉は全くの捏造だったということがこれではっきりしたわけだから、この理不尽な実態を世間にまず知ってもらうことだ。そして、その濡れ衣を一刻も早く晴らし、高瀬露の名誉と尊厳を回復してやることがである。そしてそれは、賢治の願いでもあるはずだ。なぜなら、『賢治を聖人・君子にするために、<聖女>の如き露を、あろうことか誰かがとんでもない<悪女>に仕立てしまった』ということがどうやら明らかになりつつある今、天上の賢治は、自分にもその結果責任があると受けとめ、一刻も早く露の冤罪が晴れることを願っているはずだからである。しかも、賢治は露に色々お世話になっているわけだから、この状態が続くということは、結果的には賢治は「恩を仇で返した」と言われかねないからだ。

 そこで私もこのことを危惧し、「賢治学会の理事会」の重鎮の一人に「羅須地人協会時代」については、特に〈高瀬露悪女伝説〉については再検証が必要ですよ、と直接訴えたことがある。ところがその方は、その後私にそのことについて何ら応えることをせぬ一方で、陰で私のことや、高瀬露は決して〈悪女〉などではないということを実証した論考を、思いっきり腐して下していただいたということがある。

 だから言い換えれば、旧態依然なのであると言えるのかもしれない。というのは、
 賢治のことをよく知っているある人が、実は賢治はこうだったのだという原稿を書きあげ、内々に関係者に話した途端、周りから一斉に集中砲火を浴びてしまってその人はその原稿を焼却し、その後一切口をつぐむしかなかった。
という事実がかつてあったということを私は地元にいることもあって聞き及んでいる。ところが、今の時代でもこれに近いことがある、という嫌な経験を私はしてしまったからでもある。
 それは次のようなことをであった。私は、次の様な仮説、
 賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、3ヶ月弱滞京してチェロを猛勉強したがその結果病気となり、昭和3年1月に帰花した。
を定立できることに気付いたことがある。そこでその検証してみたところ、たしかにそれが実証ができた。そこで、そのことを拙著『羅須地人協会の真実 ―賢治昭和二年の上京―』にて世に問うたのだが、それに対して、ツイッター上で『宮澤賢治奨励賞』受賞者H氏を含む仲間同士が、この拙著を『根拠なき「陰謀論」』であると決めつけたり、「稚拙滑稽噴飯墓穴唖然呆然」という言葉で誹ったりしながら論ってもらったからだ。さらには、『「理不尽なペンの暴力」を振るっていることになってしまわないか』『「フォースの暗黒面に堕ちていた」ということになりますが』などの脅しのようなものをそのH氏から私のブログのコメント欄に直接書き込んで頂いたからだ。<*1>

 しかし、賢治が亡くなってもはや85年以上も過ぎたのだから、もうそろそろこのような圧力を受けることなく自由に「賢治研究」ができる時代になってほしいし、その発展を希求する次第だ。研究の自由が保障されなければ、その発展は当然困難になるからである。

    「賢治研究」の分野においても「研究の自由」の保障を!

<*1> なお、このようなクレーマーの如き行為が続くし、いくらやりとりしてもそれが終わりそうにないので、〝故入沢康夫氏に感謝(クレーマー退却)〟でも述べたように、この本は著名な宮澤賢治研究家のお一人(その時は明かさなかったが、実は入沢康夫氏)がその出版を薦めて下さったものです、と正直に伝えたならば、その後はピッタリとクレームがなくなった。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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