みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「なめとこ山の熊」(不条理を止揚)

2017-02-23 10:00:00 | 賢治作品について
《熊架》(平成27年11月1日撮影、高狸山)
 先にも少し述べたように、「なめとこ山の熊」が私の珠玉の一篇になりそうだと思うようになったのは、田下啓子氏の『拝啓宮澤賢治さま』所収の論考
    「なめとこ山の熊」――知的に昇華された魂
を読んだことが切っ掛けであった。例えばそこには、
 現実の空間では対立し矛盾する者が、命への執着をとくことによって、精神的に結ばれるのです。賢治は小十郎と熊を理想として眺めています。「土と狐」には、不条理に対する悲しみがあり、「なめとこ山の熊」では、不条理を止揚する力が働いています。
             <『拝啓宮澤賢治さま 不安の中のあなたへ』(田下啓子著、渓流社)40p~>
という解説があった。私は、この解説の見事さに唯々感心するばかりであった。そして、「「なめとこ山の熊」では、不条理を止揚する力が働いています」と言われてみれば、まだ十分に理解できずにいるものの、直感的には素直に肯うことができた。

 そこで、このキーワード〝不条理を止揚する〟を意識しながら童話「なめとこ山の熊」の続きを読み進めてみた。話は次のように展開している。
 ところがある年の夏こんなやうなをかしなことが起ったのだ。
 小十郎が谷をばちゃばちゃ渉って一つの岩にのぼったらいきなりすぐ前の木に大きな熊が猫のやうにせなかを円くしてよぢ登ってゐるのを見た。小十郎はすぐ鉄砲をつきつけた。犬はもう大悦ろこびで木の下に行って木のまはりを烈しく馳せめぐった。
 すると樹の上の熊はしばらくの間おりて小十郎に飛びかゝろうかそのまゝ射うたれてやらうか思案してゐるらしかったがいきなり両手を樹からはなしてどたりと落ちて来たのだ。小十郎は油断なく銃を構へて打つばかりにして近寄って行ったら熊は両手をあげて叫んだ。
「おまへは何がほしくておれを殺すんだ」
              <『宮沢賢治全集7』(ちくま文庫)、以下も同様>
こう改まって熊から問われた小十郎は、熊が先程まで逡巡していたことを知っているだけに心が痛んだのだろう、
 「あゝ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れると云ふものではないしほんたうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを云はれるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいゝやうな気がするよ。」
と申し訳なさそうに答えた。これまで、「九十になるとしよりと子供ばかりの七人家内」を養うために熊を殺し、熊の毛皮と熊胆を街の荒物屋に売って、それも安く買いたたかれながら何とかここまで糊口を凌いできたが、いくら生きて行くためとはいえ、何頭もの熊を殺めてきたことの宿業を負うことに耐えられなくなってきたのだろうか。
 そして一方の熊はといえば、
 「もう二年ばかり待って呉れ。おれも死ぬのはもうかまわないやうなもんだけれども少しし残した仕事もあるしたゞ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまへの家の前でちゃんと死んでゐてやるから。毛皮も胃袋もやってしまふから。」
と懇願したのだが、
    小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。
とはいうものの、死は厭わぬがしばしの猶予だけを懇願されたとなれば、己の宿業をことさら託っているであろう小十郎とすれば結論は明らか。そして熊も小十郎のそれを察し、しかも信じて、
 熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。小十郎はやっぱりぼんやり立ってゐた。熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうでうしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。
ということになろうか。小十郎だって、如何に生きて行くためとはいえども、他の命、熊の命を奪ってのそれであればこの不条理には、熊から信頼されているというのに後から撃ち殺すという裏切り行為には耐えられないことは当然のこと。
 そこで田下氏の言う通りの、小十郎も熊も共に「命への執着をとくことによって、精神的に結ばれ」たというのがこの場面であり、
    うしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。
という熊の行動も、後ろ姿を見ながら見送る小十郎の、
 そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなさうにうなって谷をわたって帰りはじめた。
という行動も、共にこの時にそれぞれが不条理を止揚できたということを意味しているのだろうと私は解釈した。

             《なめとこ山のブナ》(平成27年5月20日撮影)
 そして、
 それから丁度二年目だったがある朝小十郎があんまり風が烈しくて木もかきねも倒れたらうと思って外へ出たらひのきのかきねはいつものやうにかはりなくその下のところに始終見たことのある赤黒いものが横になってゐるのでした。丁度二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するやうにしてゐたときでしたから小十郎はどきっとしてしまひました。そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れてゐた。
ということで、その熊は約束を守ったということになる。だから小十郎はその熊の死に方に、というよりは「生き方」に心打たれ、「小十郎は思わず拝むやうにした」のだろう。延いてはその熊から不可避な黙示を課せられたということになったと言えそうだ。

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