〈西根山〉(平成17年1月29日撮影)
そして、田下氏は〝「なめとこ山の熊」――知的に昇華された魂〟の章の最後の方で、 宿命とは、範疇を超えた物事が起こってしまうことであり、その宿命に甘んじず、より高次な生き方を目指せば、自分が崩壊してしまう危機を孕みます。小十郎と熊はその宿命を受け容れ命を全うしたが故に、最後は浄化され、大きな力の懐に包まれました。
<『拝啓宮澤賢治さま 不安の中のあなたへ』(田下啓子著、渓流社)42p~>と締め括っている。私などにはこのような解説は到底及びもつかないが、言われてみればなるほどなと腑に落ちることはできる<*1>。
話を元に戻そう。いよいよ「なめとこ山の熊」は大詰め、次のような展開、
一月のある日のことだった。小十郎は朝うちを出るときいままで云ったことのないことを云った。
「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まづ生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するぢゃ。」
すると縁側の日なたで糸を紡いでゐた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑ふか泣くかするやうな顔つきをした。小十郎はわらぢを結へてうんとこさと立ちあがって出かけた。
<『宮沢賢治全集7』(ちくま文庫)、以下同じ>「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まづ生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するぢゃ。」
すると縁側の日なたで糸を紡いでゐた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑ふか泣くかするやうな顔つきをした。小十郎はわらぢを結へてうんとこさと立ちあがって出かけた。
となってゆく。小十郎は出がけに「今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌やんたよな気するじゃ」と老いた母に話しかける。何か不吉な予感でもしたのであろうか。
さて、熊撃ちに出掛けた
小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪はあんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は眼がすっかり紫の眼鏡めがねをかけたやうな気がして登って行った。犬はやっぱりそんな崖がけでも負けないとふ様にたびたび滑りさうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石といふ風にギラギラ光ってゐたしまはりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったってゐた。
《西根山》(平成17年1月29日撮影)
小十郎がその頂上でやすんでゐたときだ。いきなり犬が火のついたやうに咆え出した。小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。
小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構へた。熊は棒のやうな両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変へた。
ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐あらしのように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛かみ付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。
ここまで一気に読み進んで私は気付いたのだった。前掲したように田下氏は「小十郎と熊はその宿命を受け容れ命を全うした」という見方をしていた訳だが、ここに至るまで私は内心「小十郎は宿命を全うしたと言い切れるのだろうか」と実は少しだけ訝っていた。ところが、この最後の小十郎の心の呟き「ゆるせよ」で消えた。それは、朝の「おれも年老ったでばな、今朝まづ生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するぢゃ」と対になっていて、おそらく小十郎はもう自分の最期は近いと覚って、その宿命を受け容れようとしていたのだと。まして、熊の「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」という悔いを小十郎は聞き、如何に宿業であったとはいえ多くの熊を殺めてきたことを熊に「ゆるせよ」と詫び、熊から課せられた不可避な黙示に応えたのだと。そしてこれで、田下氏の「現実の空間では対立し矛盾する者が、命への執着をとくことによって、精神的に結ばれるのです」という解説の意味がさらによく理解できたつもりだ。不条理が止揚されて小十郎の魂は昇華されたのだと。小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構へた。熊は棒のやうな両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変へた。
ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐あらしのように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛かみ付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。
それゆえ、熊たちも小十郎に敬意と親しみ抱きながら、
その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々教徒の祈るときのやうにじっと雪にひれふしたまゝいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれてゐた。
というようにして弔ったのだろう。「なめとこ山の熊」はあまりにも切なく、悲しくて、そして美しい物語だった。
<*1> これまで私は「宿業」という言葉を使ってきたけれども、本当は「宿命」だったのかなと、はたまたこの二つの言葉はどう違うのだろうかなどと悩んでしまうのだが、それはこれから後々ゆっくり考えさせてもらうことにしたい。
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