みちのくの山野草

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「一本足」論争(経過報告12)

2024-07-18 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(2021年6月25日撮影、岩手)

*****************<(31)↓投稿者鈴木守/2013年10月13日 08:28>**********************
H 様
(承前)
 さりながら、私やその国語教師が『昭和2年の「十一月」でしょう。そうしか読めない』と言っても、Hさんは『「大正15年11月」と考ています』という現実が一方であります。

〔Hさんのお考えを生かすと〕
 それではHさんのお考えに沿ってみましょう。
 そうするとこの「(49)」のこの部分は、少なくとも解釈が二つに分かれることとなります。つまり、Hさんの考え方に基づきますとこの証言の中の次の【 】内の部分はこのままでは典拠としては使えなくなります。

【どう考えても昭和二年の十一月ころのような気がしますが、】宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には先生は上京しておりません。その前年の十二月十二日のころには『上京、タイピスト学校において…(中略)…言語問題につき語る』と、ありますから、確かこの方が本当でしょう。人の記憶ほど不確かなものはありません。…(中略)…【その十一月のびしょびしょ霙の降る寒い日でした。】『沢里君、しばらくセロを持って上京して来る。今度はおれも真剣だ。少なくとも三カ月は滞京する。とにかくおれはやらねばならない。君もバイオリンを勉強していてくれ』よほどの決意もあって、協会を開かれたのでしょうから、上京を前にして今までにないほど実に一生懸命になられていました。《その時みぞれの夜、先生はセロと身まわり品をつめこんだかばんを持って、単身上京されたのです。セロは私が持って花巻駅までお見送りしました。見送りは私一人で、寂しいご出発でした。立たれる駅前の構内で寒いこしかけの上に先生と二人ならび汽車をまっておりましたが》…』

 よって、この証言の中の重要項目で使えないところがあり、「証言」としての信頼度ががた落ちしてしまいます。ということは、「現定説」

『セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋武治がひとり見送る。「今度はおれもしんけんだ、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」といい、「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」と言ったが高橋は離れ難く冷たい腰かけによりそっていた。』…………❎

がこの証言を典拠にすることは更に困難になります。
 なお、もともとこの「現定説❎」の典拠は高橋(沢里)武治以外のものはございませんから、Hさんが強調なさる「一本足」については一本分さえもなくなってしまいます(もちろん仮説の定立の際に足が一本もないことはもともと何ら問題はないのですが)。

〔結論〕
 よって、もしHさんが、『「大正15年11月」と考ています』と仰るならば、この「(49)」は典拠としての信頼度・適格性をさらに弱めてしまい、ますます使えないものとなってしまいます。
 この構図は「大正15年12月2日」の「現定説❎」も同様であり、澤里武治の証言を典拠としようとすればするほど矛盾が生じてきてその当該の部分を間違いであるとか無視せざるを得なくなり、その結果、逆にその典拠の適格性をどんどん奪ってしまうという自家撞着をおこしております。
 なおついでに申し述べておきますと、この「(49)」は、『續 宮澤賢治素描』の内容を「訂正した」ものだともしお考えになるのであれば、それと同程度に「訂正を迫られた」という可能性の方も同時に検討せねばならなくなります。
 よって、この際に典拠とすべき武治の証言としては、一般にそうであるように、初出の(つまり一次情報である)『續 宮澤賢治素描』に基づくべきだということにならざるを得ません。だからこそ私たちは、「一次情報に立ち返れ」と戒められるのではないでしょうか。
 以上ですが、如何でしょうか。

*****************<(32)↓投稿者H氏/2013年10月13日 09:39>**********************
鈴木さん、おはようございます。
今朝は京都もいいお天気で、かなり涼しくなりましたが、花巻の気温を見ると、こちらよりも10℃近く低いようですね。

さて、「証言の一部に誤りが含まれていれば、他の部分も信用できない」という主張が、論理的には成り立たないことは、10月10日01:37の私の書き込みで集合論を使ってご説明しましたが、ご理解いただいていますでしょうか?
すでに私が反論し終えている事柄を、「自信がある」とか「国語の先生もそう言った」とか、そういう客観的論拠にならないことを添えて何回言われても、残念ながら説得力が増すわけではありません。鈴木さんが上に書かれたことは、表現は多少違えど10月9日19:09にすでに書いておられることと主旨は同じなので、同じことを繰り返し書かれるのは、鈴木さんにとっても時間の無駄だろうと、危惧しております。
もしも、10月10日01:37に私が述べたことにご異存がおありでしたら、それはそれとしてお書き下さい。

さて、今回は私の方からは一点だけお尋ねします。
鈴木さんは、上の書き込みの最後の方、下から6行目あたりに、「訂正を迫られた」という言葉を書いておられますが、これはいったい何のことでしょうか?
ご教示をお願いします。

*****************<(33)↓投稿者鈴木守/ 2013年10月13日 14:33>**********************
H 様
 何と本日は久々に花巻も快晴で、私までが心爽やかになっております。
 さて、折返しのコメントありがとうございました。

〔「訂正を迫られた」について〕
 この件につきましては拙著『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』をよく読んでいただければおわかりになると思います。

〔画期的な説ですのでどうぞご発表を〕
 そして、次です。もしHさんがこれでも『「大正15年11月」と考ています』と仰るのであれば、これは今までの定説を覆すことになる画期的な新説ですから、どうかHさんにおかれましては、これに基づいた、例えば次のような仮説

   宮澤賢治は大正15年11月、澤里武治一人に見送られながらチェロを持って上京した。

を定立し、早速その検証作業をなされては如何ですか。

〔対等な立場に〕
 私は大正15年12月2日の「現定説❎」に疑問をいだき、その解消に挑んだのが今回の拙著の中身です。そして、Hさんからご批判をいただいたのがこの論争のスタートでした。
 そして現在、同じくこの件についてHさんも大きな疑問をお持ちな訳ですから、私鈴木の論を攻めるだけでなく、いわば私の「代案」としてのご自身の論文をご発表していただきたい。そうしていただければそこで初めて、対等な立場に立つことができ、公平な論争が保証されると思いますので。

〔再開ができる日を待っております〕
 私は、その論文を拝見してから、この「一本足」論争を再開させていただきとう存じます。
 それではHさんの論文のご発表を楽しみにお待ちしております
 末筆ながら、今後のますますのご健康と、ご活躍をご祈念申し上げます。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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