みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「村一番の高額所得者」高村光太郎

2024-02-16 12:00:00 | 独居自炊の光太郎
《『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社盛岡支局)》

 先の投稿〝『典型』が読売文学賞に〟において私は、
   当時の光太郎は太田村の高額所得者だったということも仄聞した。
と述べたが、やはりそれは事実だったようだ。というのは、『啄木 賢治 光太郎』には、折居弥三郎のこんな追想も載っていたからだ。
 高村さんが山口に居た当時、私は太田役場に勤めていて、財務係で税金関係の仕事をしていたんです。高村さんはちゃんと役場に転入届を出しており、しかも村一番の高額所得者だった。
 また、同役場に勤めていた戸来諭は、村一番の高額所得者が札束で村民税を払いに来た時のことを覚えていて、こんなことを証言していた。
 高村さんは村民税を全納するのが普通でした。札束をドサッという調子。当時の役場は、村長を入れても二十人ほどの小所帯で一人一役でしたから、こんな納税者が来ると大変なんです。えらい人でしょう?その人が窓口で待っているんだし、他の係の人にも手伝ってもらって、みんな大わらわ。分納が普通で、前例がないんですから――
 ……投稿者略…太田村の米を何百俵も作る農家よりも〝物持ち〟だったことは確かで、その収入源のほとんどは印税だった。 
             〈ともに『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社盛岡支局)243p~〉
 先の投稿で、光太郎は山口村の高額所得者だったということを仄聞したと述べたが、実際そうだったし、しかもそれは村一番のそれであり、そのほとんどは印税であったということをこれで確信した。
 実は、私は光太郎の日記を読み進めながら、光太郎は経済的に逼迫していた気配がほとんど感じられなかったし、金銭に淡泊だなと感じていたので、これで宜なるかなと思った。光太郎は精神的に余裕のある方だということはうすうす気付いていたが、経済的にもかなり余裕があったということのようだ。

 当時の高村光太郎はやはり高額所得者であり、それもなんと、「村一番の高額所得者」であったということのようだ。

 続きへ
前へ 
「光太郎太田村山口で独居自炊」の目次へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。"
 
***********************************************************************************************************
☆『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))

 アマゾン等でもネット販売されております
 あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「聖女の如き高瀬露」(一気読み... | トップ | 一 はじめに »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

独居自炊の光太郎」カテゴリの最新記事