みちのくの山野草

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「聖女の如き高瀬露」(一気読みタイプ)

2024-02-16 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)〉

 まず、上田哲との共著所収の拙論「Ⅱ 聖女の如き高瀬露」についてだが、その出版の経緯を少し述べたい。

 実は、私は宮澤賢治の妹シゲの長男岩田純蔵教授の教え子である。その岩田先生が今から約50年前、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋られなくなってしまった。
というような意味のことを私達に話したことがあったのだが、当時私の尊敬する人物は他ならぬ宮澤賢治であり、その甥のこの一言はそれ以来ずっと気になっていた。そこで、十数年程前に定年となってやっと時間的余裕が生じた私は少しずつ賢治のことを調べ始めた。すると、『新校本年譜』等において、常識的に考えればこれはおかしいという点がいくつか見つかる。それは例えば次のようなものである。
(1) 大正15年7月25日には、
 賢治も承諾の返事を出していたが、この日断わりの使いを出す。使者は下根子桜の家に寝泊りしていた千葉恭で午後六時ごろ講演会会場の仏教会館で白鳥省吾にその旨を伝える。
とあるからだ。もしこれが事実であったとするならば、「羅須地人協会時代」の賢治は「独居自炊」とは言い切れないことになるから通説とは違うことになる。
 そこで私なりに検証してみたならば、やはりそうだったということを実証できたので、平成23年に拙著『賢治と暮らした男―千葉恭を尋ねて―』を自費出版してそれを公にした。
(2) 大正15年12月2日には、
 セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。「今度はおれもしんけんだ、とにかくおれはやる。君もヴァイオリンを勉強していてくれ」といい、「風邪をひくといけないからもう帰ってくれ、おれはもう一人でいいのだ」といったが高橋は離れがたく冷たい腰かけによりそっていた。
とあり、その典拠は澤里武治のある証言だと『新校本年譜』は述べている。ところが、実はこの証言に従えば同年譜には致命的な欠陥が存在している。そこで、この欠陥を解消できる仮説を立ててみたところそれが検証できたので平成25年に拙著『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』にてそのことを公にした。
(3) かつての「賢治年譜」の昭和3年8月の記述、
八月、心身の疲勞を癒す暇もなく、氣候不順に依る稻作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す。
についてもやはりおかしいと私は感じたので、そのことに関して、平成25年に小冊子『羅須地人協会の終焉―その真実―』を自費出版してそのことを公にした。
(4) となれば、いわゆる「高瀬露悪女伝説」も然りで、これはおそらく捏造だろうと直感した私は、その検証をしてみたところやはりそれは捏造であり、その捏造された伝説を全国に流布させた責任は筑摩書房にあるということを実証できたので、それを「聖女の如き高瀬露」としてまとめ、平成27年に『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)の中で公にした。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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