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『モンゴル抵抗の戦い ~騎馬民族の世界制覇~』

2005年07月18日 | My Diary
ジンギスカンと言えば大モンゴル帝国の創始者とは知っているものの、そのモンゴル帝国について知っているようで知らない。そんな知識の欠如を補ってくれたのが『モンゴル抵抗の戦い ~騎馬民族の世界制覇~』(ロバート・マーシャル)だった。

モンゴルの遊牧民にとって、定住文明との接触が全面的に欠如していたという。3000年の歴史を誇る中国のような国家すら軽蔑の目でしか見なかったという。彼らにとって大地は、家畜を放牧する場でしかなく、その大地にへばりついて働く農民はヒツジ以上の存在ではなかったという。それがために、抵抗のそぶりを見せた都市や村は大殺戮が加えられた。農民が居なくなることで自分達の生活基盤が崩れるという通常ならば思い至る危惧とは全く掛け離れた思考回路を持つ民だったからこそ、徹底した破壊ができた。

半面、偉大なだけに外の世界にまったく興味を示さなかった中国に、新しい風を送り込んだのもモンゴル人たちだった。例えば、交易そのものはいかがわしい職業と見られていたが、砂漠の民で通商になじんでいたフビライは、商人たちに高い地位を与えたという。今で言うベンチャキャピタルとも言える仕組みを作り出し、遠い異国との通商である大キャラバンを編成できるようにしている。アラビア地域から暦法計算を取り入れた結果出来上がった「授時暦」はその後の中国の基本的な暦になり、従来は許されなかった自由な創作活動が保証されることで窯業は活発化し代表的な輸出品となる。紙幣も発行して全経済活動をコントロールすることすらなされた。モンゴル時代というと、暗黒の王朝のように思っていたのは事実と異なり、その後の中華民族の支配を正当化するための作り話だと言う。

文化よりも「征服」物語に興奮する性質として、最大の征服領土を持った王朝の行方というのが興味深かった。中国を支配した「元」、チベットあたりの「チャガイ・ハン国」、ペルシャからアラビアにかけての「イル・ハン国」、旧ソ連領土の「キプチャク・ハン国」。「イル・ハン国」は無分別な経済運営のために13世紀末に崩壊、「元」は14世紀半ばに反乱が大規模化して滅亡。この2つは他のハン国よりも都市化が進み進歩的な国だったという。モンゴル人が広大な定住社会を統治することに慣れていないがために、結果として進んだ地域から順に崩壊することになった。

残りの2つ、「キプチャク・ハン国」は15世紀初頭に分裂し、その一つのクリミヤは18世紀まで存続したという。「チャガイ・ハン国」は16世紀にインドに入りムガール帝国(ムガールはモンゴルのペルシャ語名)になる。どちらも世界史では扱われる事がない事実で、ヨーロッパ人たちからはタタールの怒りとして恐怖と脅威の思いしか残らず、中華国家にとっては征服されたという不名誉な出来事である歴史の一片が、見る立場ゆえに歪められ過小評価されていることがよく理解できた。

それにしても王朝初期は当たるに敵なしの無敵の民族が、なぜ時間の経過ととも弱くなっていくのだろうか。ローマしかり、ペルシャしかり、古代・中世中国も。勃興時のモンゴル人の強さを読み進むと、なぜに途中から急に勢いがなくなって弱くなってしなったのか、その辺りの不朽の命題にぶち当たってしまう。このあたりを、軍事戦略家が分かりやすく解説してくれるととっても面白い物語やTV番組になるんだがなぁ。
コメント
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