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コージーミステリを読み耽る愉しみ その5 英国王妃の事件ファイルシリーズ(リース・ボ-エン著)

2023年10月28日 | パルプ小説を愉しむ
今年(2023年)の1月に出された第15話『貧乏お嬢さまの困った招待状』は、新刊であったために予約者が20名以上もいて数か月待たされた。そして、待たされるだけの価値のあるシリーズであることを再発見した。
愛しのダーシーと結婚して数か月が経った11月のある日。屋敷の女主となったジョージアナは自分が今年のクリスマスをどう過ごすのかを決めて手配しなければならないことに気付く。そこで、親しい友人たちを招待してハウスパーティを開こうと考えて招待状を出したところ、王妃陛下の昔の女官を勤めていたというダーシーの叔母から館に来るように招待を受ける。この時期には、その隣の地所で家族の集まりを持つ王族たちがいる。招待の裏にある王妃からの無言の圧力を感じた二人は、自分たちの計画を諦めて、叔母が王妃から借りているレディ・アイガースの館へと向かう。二人の他に、レディ・アイガースのコンパニオンであるミス・ショート、アメリカ人の退役軍人夫婦、元近衛師団の少佐だった男と妻、ジョージーの母と兄の家族4人(子供が二人含めて)、そこにデイビッド王子とシンプソン夫人までも加わることになった。お隣の王家では、国王主催のささやかな狩猟が行われ、そこでデイビッド王子の肩先を散弾銃弾がかすめるという事故が起きる。単なる事故なのか暗殺計画なのか不明なまま、クリスマスシーズンが進む。ボックスデイの朝、王子とその友人にして護衛、ジョージーの三人で乗馬に出かけようとした矢先、シンプソン夫人が怪我をしてロンドンへ帰ったと聞いた王子を乗馬をキャンセルして夫人の後を追う。友人にして護衛のディッキーと2人で霧の中を乗馬に出かけたジョージーは、先を走っていたはずのディッキーが落馬して重症を負っているのを発見。死に際の言葉は、妻に対する謝罪の言葉とタペストリーと聞こえたような単語のみ。馬の扱いに慣れていたディッキーが落馬するには訳があるはずと疑いを持つジョージーとダーシー。王妃も同じように疑いを持っていた。なぜなら、昨年も同じように王子の護衛役が落馬して死んでいた。それにシンプソン夫人の事故も誰かが引き起こした可能性がある。疑惑が次第に大きくなる中、館に滞在していた少佐が狩猟会の最中に撃たれた姿で発見された。人々の後ろに立って狩猟会の面倒を見ていた少佐を撃つには背後から忍び寄る必要がある。無政府主義者かアイルランド過激派か、それとも何らかの遺恨を持つ人間の仕業か。ディッキーの死因が気になるダーシーとショージーは事故現場に何度か足を運ぶがこれといった発見はない。折れた枝がころがり、少し離れた庭番の家のゴミ捨て場に使い古されたロープ。この2つが怪しいとみたが、どう使ったのかが分からない。そんな中、王妃から呼び出しを受けたジョージーが王家の屋敷で待つ間、部屋に飾られたタペストリーに目をやると、ロープで吊るされた攻城兵器を使っている折柄を偶然見つける。ロープと木の枝の使い方に気付いたジョージーがやることは誰がやったのか。ダーシーの叔母、レディ・アイガースが昔描いていた絵に意味が込められていることを発見したジョージーは、レディ・アイガースが妻を裏切っている夫に対する復讐をしていることに気付く。そこで、ダーシーが不貞を働いているかのように見せかけたところ、レディ・アイガースは見事に引っ掛かりダーシーを殺そうと氷の張った池へと警察を装って呼び出す。心配になったジョージーが車に隠れて同行。氷が割れて池に落ちてしまったダーシーを間一髪救い出すとともに、レディ・アイガースをダイスタックルで捕まえることができたのでした。

怪しい事件は起こるものの、直接的な殺人と思える事故が起きたのは245ページまで進んだところ。全体で410ページの物語だから、半分以上経過してからがミステリ本来の始まりとなる。「お茶と探偵シリーズ」のように第1章で事件が起こるのとは大違いなのだが、スロースタートであることがまったく気にならないのがこのシリーズの持ち味。ジョージーの人となりが醸し出すほんわかとした優しさとお転婆さが入り混じった気持ちのよい雰囲気の中で進む物語に身を任せて読み進むのが悦楽。

この女性 - これほど小柄で、これほど美しくて、これほど自己中心的で、そのうえ男性に対して圧倒的な影響力を持つ - からよくもわたしが生まれたものだと何度目かに考えていた。
もちろん、女優の元公爵夫人にしてジョージアナの母親についての描写。「男性に対して圧倒的な影響力を持つ」ような女性は日本では、少なくとも私の身の周りでは見たことがない。欧米にはいるのだろう。

これまで何人もの殺人者と出会ってきた。その中には人の命をなんとも思わない、疑いようもなく邪悪な人間もいた。けれどそれ以外な、我慢の限界を超えて、殺人だけが唯一の逃げ道となってしまった、悪というよりは痛ましい人たちだった。
こんな見方が殺人者に対してできるジョージアナの優しさがシリーズ全般の下地となっているために、ほんわかとした読了感が得られる。

「頼むから、あの子たちには子供時代をうんと楽しませてやってくれ。それでなくても、あっという間に過ぎ去ってしまうんだ」
珍しくもジョージーの兄、ラクノ公爵が妻フィグに対して言った言葉。これまでも、常にフィグの言いなりになっていた印象が強いビンキーだが、子供を前にして言うべきことは言えるようになったようだ。

「ここがあなたの国でないことは承知していますが、わたしたちは伝統を重んじていますし、それを壊そうとする人達には心を痛めています」
滞在しているアメリカ退役軍人夫婦が英国人の風習に対して批判的であることに対して、女主のレディー・アイガースが放った言葉。露骨に対立するような言い方でないことが教養ある人間であることの証なのだろう。

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14話の『貧乏お嬢さま、追憶の館へ』では、祖母の遺産を相続した親友のベリンダに誘われてコーンウォールにあるという家を訪れる。家は崖沿いに立つあばら家同然の家でまともな台所も風呂場もない。他に行くあてのない二人はそこで一夜を過ごすが、夜に男がやって来て一緒のベッドで寝ていたことが朝になって分かる。その男はベリンダの幼馴染の男で、ベリンダは密輸か何かの怪しげな仕事をしているに違いない男という。こんなところには泊まっていられない。街に戻って宿場できるホテルを探すが、シーズン外れのこの時期に部屋を貸すところはないっと言われる。困っている二人の前に、幼馴染のローズが現れて二人を家に招待する。ベリンダの家の料理人の娘であったローズは、地元の名家に入った男と結婚して女主人となっている。元々の所有者は事故で死んでいる。夫のトニーは崖から落ちて死んだ元の所有者の娘、ジョルキンの夫でローズは後妻。寂れた田舎で奉公人からも疎んじられて暮らしているローズにとって、幼馴染ベリンダの登場は懐かしくも心強かった。何事においても完璧な家政婦の目を気にしながら毎日を過ごすローズは、夫に殺されるかもしれないと二人に漏らすが、そんな中夫のトニーがベリンダのベッドで短剣に刺されて殺されるという事件が起きる。親友ベリンダが逮捕されてジョージーが真相究明に乗り出す。真相究明と書いたが、このシリーズのジョージーは行き当たりばったりの行動の連続で、彼女の持つ何らかの幸運を引き寄せる力でヒントが積み重なる。ベリンダやジョルキンが子供だった頃、コリンという名の男の子が川で溺死する事件があった。潮の干満ゆえに河口の水量が増えている時に泳げないコリンはジョルキンやトニーたちから見放されて溺れたのだとか。しかもジョルキンはコリンが泳げないことを知っていて危険な場所に連れ出して遊んでいた可能性がある。関係者を調べているうちに、潜入捜査を近隣でしていた夫のダーシーとばったり出会って家政婦の身元調査を頼んだところビンゴ!溺れ死んだコリンの生みの親だったのが家政婦のミセス・マナリング。元々はこの屋敷の女中であったマナリングは、当主から言い寄られて子供を身籠ったが捨てられ、未婚のまま出産したコリンを養子に出して古巣の屋敷で娘ノジョルキンに仕える女中となった。ジョルキンとトニーがコリン溺死に関係あると知って二人を次々と殺害し、ベリンダに罪を擦り付けようとしていた。すべてが露見してしまったミセス・マナリングは屋敷に火を放って自分も死んでしまうという結末。一応筋は通っているミステリーだが、ドタバタ感が最後まで続いている。イギリス王位継承権を持つビクトリア女王のひ孫のジョージーは、人の好い人物だがドジなことこの上ない。そんなジョージーの物語だからドタバタは許される。

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結婚式の次は当然のことながら新婚旅行ということで、第13話は『貧乏お嬢さまの危ない新婚旅行』。結婚式場からジョージーとダーシーが直行したのはテムズ川に浮かぶハウスボート。人気のない岸辺だし、手配してくれた友人は食べ物(キャビアも)と飲み物(シャンパンも)を存分に積み込んでおいてくれたので、2人は誰に邪魔されることなく、そして事件に邪魔されることなく甘い甘い数日を貪っていたものの、食べ物が少なくなり氷も溶けてしまって飲み物も冷やせない。そしてジョージーはキュウリのサンドイッチが食べたい。そこで2人はロンドンのラクノハウスに向かう。義姉ノフィグに嫌みを言われつつも、結婚プレゼントを整理しているところに王妃さまからガーデンパーティに招かれる。栄えあるガーデンパーティの席上で、ダーシーが新婚旅行にケニアを予定していると発表したところ、王妃さまから内々の頼み事をジョージーはされる。かの地に行っている王子を見張って欲しいと。世紀の恋と呼ばれるシンプソン夫人との仲が進展しないように見張って欲しいということだった。

鉄道と飛行機を乗り継いで到着したケニアのハッピー・ヴァレーはとんでもないところだった。その地に根を下ろしている成功者たちは、自分たちならではルールで暮らしており、夜は夜で酒池肉林の乱痴気騒ぎ。そんな中、一番最初にこの地を切り開いた成功者のブワナ・ハートレーが殺される。乱痴気パーティから抜け出した帰り道の途中で、車のエンジンをかけっぱなしで、側の茂みの中で倒れていた。アフリカだから当然のように死体はハゲワシがついばみ始めている。先住民たちの犯罪と頭から決めつけるかの地の上流階級の人々の考えに納得いかないジョージーはダーシーの友人の政府職人に手を貸すことで事件に首を突っ込むことになる、毎度のように。

すべての人間(白人)が怪しい中でなんの証拠もでない。結局、犯人はブワナの家で働くマサイ族の使用人ジョセフだった。彼は、単に使用人なのではなく、ブワナがマサイ族の女との間に作った息子で、イギリスで教育を受けさせてハッピー・バレーの家で使用人として使っていた。当初は息子としてちゃんと扱うという約束だったが、その後何人もの女と結婚離婚を繰り返し、最後は農園を維持するために結婚した金持ちのアメリカ女性との手前、母親であるマサイ族の女性を追い出し、ジョセフを息子として扱うよりも使用としての扱いが多くなってきていた。そんな中、ブワナが貴族の称号を受け継ぐこととなり、子供たちを呼び寄せて遺言を作った。遺言の中に自分のことが全く書かれていないことを知ったジョセフは、自分と母親への裏切りと見なして殺したのだった。

ジョセフを犯人だと見破ったのはジョージーのみ。しかも、ブワナの葬儀の折に、一人の黒人女性と目を交わし合うジョセフの様子を見てピンときたジョージーだった。謎解きになんの脈絡もないのだが、それでも不自然ではないところがさすがにコージーミステリー。ダーシーとのケニアでの新婚旅行、ハッピー・ヴァレーの乱痴気度合い、事件を捜査する現地の警察官とのやり取り等々、事件の回りの状況進展で読み進んでいくうちに、なぜかジョージーがいつものように犯人に行きついてしまう。このジョージーの活動は、ジャネット・イヴァノビッチが書いたステファニー・プラムのシリーズと相通じるところがあるように思う。ステファニー・プラムほど、ハチャメチャで行き当たりばったりのスラップスティックもどきの活動ではないにしても、ドジなジョージーや何をやらせてもへまばっかりの召使、そして上流階級の人間たちの身勝手な行動等々、一般ピープルから見た上流人たちの可笑しくも愚かしい姿を垣間見て笑いにしている、そんなのぞき見的な趣味も見え隠れするように思うのは考えすぎだろうか。

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彼らの論法には正義は含まれていないようだ。
現地の人間たちは、揃って犯人を先住民と決めつけてかかっているのをみてジョージーが漏らした感想。「自分に都合の良い解釈」だったり、「先入観の塊から生まれる間違った判断」というよりも短い語数で、彼らの考えの誤りを指摘している。「正義は含まれない」というのは、単に正しくないという以上にそう考えている人たちの頭の構造に対する大いなる異議申し立てでもある。とは言っても、結局犯人は現地の人間だったわけだが。

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いよいよ貧乏お嬢さまのジョージーがダーシーと結婚式を挙げることとあいなった。アガサ・レーズンの結婚式騒動に引き続いて、結婚がテーマとなったシリーズ第12作の『貧乏お嬢さまの結婚前夜』を愉しんだ。

とは言っても、すんなりとは行かないのがミステリー小説の常。お金がないジョージーとダーシーは結婚後に住む部屋を探すが、家賃高騰しているロンドンには満足できる物件がない。落ち込んでいるジョージーに突然朗報が舞い込む。ジョージーの父親と離婚した後に、母親クレアが結婚(そして離婚)していたサー・ヒューバート・アンストルーサーから知らせが届いた。ジョージーに屋敷を自由に使って欲しいという。ジョージーを気に入っていたヒューバートは、自分の子供がいないためにジョージーを相続人にしている。結婚の知らせを新聞で読んだヒューバートからジョージーへのプレゼントだ。でも、知らせには気になる一文があった。それは屋敷の様子がおかしいので探ってくれというもの。

その一文が気にはなったものの、豪邸が自由に使えて維持費も出してもらえるとあってジョージーは上機嫌。着いてみると、召使たちの様子がおかしい。命令に反抗的でマナーもなっていない執事(ジョージーによると執事とは主人の10倍もマナーが優れている生き物なのだそうだ)に料理下手の料理人、ふてくされるメイド、ろくに働かずに庭園でできた果実を地元商店に勝手に売って金に換えている庭師。そして、屋敷の西別館には幽霊らしきものが。この屋敷で何が起きているのか、それをめぐってジョージーが立ち回る姿がずっと描かれる。読んでいるこちらも、何が起きているのか興味が引き立てられて、ちっとも飽きずに読み進められる。

母親のクレアもドイツ人実業家マックスとの結婚が暗礁に乗り上げてしまって、ジョージーと一緒にヒューバートの屋敷にやってくる。心強くはなったが、母親が気になるのは自分のことだけ。ジョージーは女主人としての威厳を示そうと、そしていつもの探求心を発揮して、屋敷で起きていることを探ろうとする。

西別館に住んでいたのは幽霊ではなく、ヒューバートの年老いて耄碌した母親だと説明される。でも、何か変。昔の召使たちを訪ねて情報を取っていくうちに、今いる執事は本来の人物ではないこと、ヒューバートの母親は口うるさい婆だが決して耄碌してはいなかったことを探り出す。今いる召使たちは何者か?ロンドンに住む祖父(こちらもお隣さんとの結婚が予定されていたが、相手が死んでしまった)に相談したところ、ロンドン警視庁の元部下に引き合わされる。元部下、今は警部が言うには、屋敷にいる召使たちはバードマンと呼ばれた窃盗団の一味に違いないという。一味が逃亡を企てていることをしったジョージーは、警察と連絡を取り合いながら彼らを一網打尽にすることに成功する。またもやお手柄。

かくして、屋敷も無事に昔通りに運営されるようになり、ダーシーとジョージーは無事に結婚式を挙げることができたのだった。


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婚約者ダーシーの父親の無実を証明し、ジョージーはキレニー城(ダーシーの一族が所有する城と領地)で幸せいっぱいに暮らしていたのもつかの間、ダーシーが旅立ってしまうというオープニングで始まるのが、シリーズ第11作目の『貧乏お嬢さま、イタリアへ』。秘密の任務をおおせつかったようだ。ゾゾ(ポーランドから亡命してきた王女)も飛行機による世界一周レースにでるために居なくなって、ただでさえ侘しいアイルランドの片田舎のキレニー城に残されたジョージーは寂しい思いをしているところに手紙が到着。出産のためにスイスとの国境沿いのイタリアの町にいる親友のベリンダが心細さのためにジョージーに来て欲しいと催促と、皇位継承権放棄についてジョージーに直接確認したいという王妃陛下からの手紙だった。キレニー卿には悪いと思いつつも、喜んでロンドンへ戻るジョージー。ダーシーとの結婚のためなら王位継承権は要らないときっぱりと言い切ったジョージーに王妃は、そこまで決心が固いならば応援すると約束してくれたので、これでジョージーもひと安心。これから親友を訪ねてイタリアのマッジョーレ湖に行くと聞いて王妃はジョージーに頼みごとをする。息子のデイヴィッド王子が愛人のシンプソン夫人とその地域のイタリア貴族の家のハウスパーティに出席することになっており、ひょっとすると二人はその地で結婚してしまうのでは、と危惧した王妃がジョージーを丁度よい見張り役として送り出すことにしたのだ。大した用でもないと考えたのが甘かった。

ハウスパーティのホステスはイタリア貴族に嫁いだイギリス貴族の娘で、昔ジョージーとベリンダが学んだスイスのお嬢さま学校に一緒に行っていた頃の敵役だったカミラだという。昔を思い出して一瞬たじろぐが、王妃からの頼みは断れない。王妃からの口添えの手紙もあり、ジョージーは無事にハウスパーティに潜り込むが、そこに居たのは不可思議な取り合わせの人々。ホスト役のパウロ(カミラの夫)の叔父はムッソリーニの顧問をしているというイタリア政界の重鎮。そこに、ドイツの将軍とその副官、ジョージーの母親のクレアと恋人のマックス、デイヴィッド王子とシンプソン夫人、それにドイツ貴族というハンサムは青年のルドルフ・フォン・ロスコフ伯爵。このルドルフはイタリアへ向かう列車の中でジョージーを口説こうとし、あわやレイプ寸前にまで行きかけた品行の良くない男。不思議な組み合わせの人々が集まる中、ルドルフが殺されるという事件が発生。最初は自殺かと思われたが、左利きのルドルフが右手にピストルを持って自殺するのはおかしいとジョージーの鋭い観察眼が見抜く。余計なことをすると一行から大顰蹙をかったものの、事件は事件として自意識だけで膨れ上がっている現地の無能な刑事がしゃしゃりでてくる。

調べていくと、ルドルフは招待されておらず、ドイツの将軍一行も彼を招いていないことが判明。それだけではなく、ジョージーの母親がルドルフに脅迫されていることも判明し、その上ホステス役のカミラとの間にも不審な様子が見て取れる。使われたピストルは、クレアの所有物だったために、母親が有力な容疑者になる中、脅迫のネタを捜してくれという母親のたっての願いを断れない。脅迫のネタは二人の情事を隠し撮りした写真で、それが明かされるとクレアはマックスに捨てられてしまうだけなく、殺人犯確定になってしまうのだ。またもやジョージーは泥沼に嵌まり込んで行く。

写真の隠し場所かと思った離れの小屋を探っていると、そこに突然ドイツの将軍とムッソリーニ顧問でもあるパウロの叔父、そしてデイヴィッド王子たちが秘密の話し合いをするために小屋に入ってくる。長いテーブルクロスが掛かっていたことを幸いにジョージーはテーブルの下に隠れるが、そこで交わされた会話を耳にしてしまう。ドイツとイタリアが英国を自分たち側に引き込もうとして、デイヴィッド王子を利用しようとしている。

今までに色々な事件に巻き込まれ、危ない思いもしたジョージーだが、このテーブルクロスの下に隠れて秘密の会話を聞いてしまうシーンは、いままでのシリーズの中で一番スリリングであることは間違いない。特に、テーブルの下に落ちたライターをルドルフが拾おうとする場面は、思わずヒヤリとさせられる。ヒッチコックばりに緊張感が高まったシーン。

見つからずに無事に小屋から脱出できたジョージーの前に庭師に扮して紛れ込んでいたダーシーが現われてびっくり仰天。デイヴィッド王子がこんなところに来ることの不自然さに疑問を感じていた当局がから派遣されていたダーシーだったので顛末を報告。ダーシーの秘密指令は無事に終了。

だが、そこでルドルフが実は英国のために働く二重スパイであることを明かされ、事件は一層複雑になっていく。一つ無くなっていた枕を探そうとだだっ広いクロゼットの中に入ったジョージーは偶然にも隣部屋との境が取り外せることに気付く。そして、事件は隣の部屋で起きたにも拘わらず、銃声を聞くこともなく眠りに落ちていたのは、そのメイドが淹れたハーブティーに薬が混ぜられていたのではないか。誰も彼もが怪しく思えてしまう中、突如バラバラだったパズルが一つにまとまり、あまりに有能であるが故に怖いくらいの存在であったメイドが犯人と気付く。

メイドはナチスの秘密組織のスパイで殺し屋だった。メイドの手を逃れてダーシーを探しに夜の庭園に出たジョージーに、メイドが気付いて追ってくる。残念ながらこのシーンの怖さはいま一つでした。なぜなら、メイドの他にダーシーと目される第三の影が現われしまうから。ダーシーと二人でメイドを捕らえて警察に引き渡して一件無事に落着。邸宅内の礼拝堂に隠されていた母親の脅迫ネタも焼却して一安心。

今回のエンディングは、スイス側の療養所から抜け出していたベリンダが、借りているヴィラで突然産気付き、たまたま訪れていたジョージーとダーシーが生まれてきた男の子を取り上げる羽目になってしまう。生まれたきた男子は、ジョージーの思いつきで子供が生まれなかったカミラとパウロ夫婦に養子として引き取ってもらうことにして、こちらも無事に落着。

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世紀の恋として名を馳せたシンプソン夫人だが、この物語では、常にその場を取り仕切っていないと気がすまない高慢で自己中心的な存在として描かれている。次期国王のデイヴィッド王子を皆の前で呼び捨てにしたり、飲み物を取ってくるように命令したり、およそマナーの欠片もない人間として描かれている。人が殺された次の日、予定していたミラノにショッピングに行けなくなったことに機嫌を悪くして、こう言い放つ。
「わたしたちが滞在している家で自殺するなんて、なんて軽率なことをするのかしら」

自分を中心にして世界が廻っている、と考えている人間ならでは発言だよね。一方、心のやさしいジョージーは、母親を脅迫していた男と言えども殺されてしまった翌日の雰囲気をこう言っているのと対照的だ。
背の高い窓の外に見える湖も、わたしたちの気分を反映していた-どんよりとした灰色で、向こう側に見えるはずの湖は霧のベールに隠れていた。

今回も、さりげない風景描写があちらこちらに見られて、物語の雰囲気を醸し出す役割を果たしてくれている。ダーシーとゾゾが居なくなったキレニー城にいる気持ちがこう書かれている。
春の香りがする空気のなか、生垣に春の花が咲く道路を歩くのは気持ちのいいものだ。それでもわたしはここをでていきたかった。

ハウスパーティが開かれるヴィラの光景はこう描かれている。
風にたなびいた髪を調えながら、私は眼前の景色を眺めた。ゲートの向こうはきれいに手入れされた芝生と花壇が広がり、斜面をあがった先には木立や緑地庭園が見える。黄色い砂利の私道は両脇にヤシの木が植えられていて、突き当りは噴水のある前庭になっていた。ヴィラは、イタリアの大邸宅というイメージそのものだ。

そして、室内の描写はこうだ。
青と金色に塗られた高い天井、金メッキが施された、水色のシルクの錦織の椅子、同じよながらのシルクの壁紙が貼られた壁いは、イタリアの画家ティントレットによるベニスの風景や、わたしが知らない画家の手による宗教画などがずらりと飾られていた。白い大理石の床にはペルシャ絨毯が敷かれ、低いテーブルには大掛かりな花の飾りが置かれている。(中略)思わず息を呑んだと思う。そこはヴェルサイユ宮殿のミニチュア版のようだった。

戦争前の貴族たちの裕福な暮らしというのは、想像もつかないほど豪華だったのだろう。その一片を見せてくれるのが、それぞれのシリーズの中にある著者の描写なのだが、それに比べて貧乏お嬢さまであるジョージーの貧しい暮らしと両極端だ。それでも、ダーシーとの愛やベリンダとの友情、国王と王妃の信頼とスリリングな出来事に次々に巻き込まれる決して飽きることのない冒険、そして何よりも常に前を向いて明るく生きているジョージーの暮らしが悲惨だとは思えず、これはこれで幸せな生活なんだなと思えてくる。

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第9話は、ジョージーを乗せた車を運転するダーシーがグレトナグリーンへ向かうという唐突な終わり方でした。グレトナグリーンとは、アメリカのラス・ヴェガスのようま町で駆け落ちの名所とのこと。よって、第10話のタイトルは『貧乏お嬢さま、駆け落ちする』とあいなり、グレトナグリーンへ向かう車中のジョージーの独白から始まる。第10話にしてやっと二人の仲が進展するのかと思いきや、大雪に阻まれた二人はグレトナグリーンに辿り着けず、それどころかダーシーの父親が殺人容疑者になってしまったことを新聞のニュースで知るという、今までに無い事件性を帯びた急展開なオープニングです。

急いで地元、アイルランドのキレニー城へ帰ったダーシーから、ロンドンに戻ったはジョージーへ電話が入る。父親の有罪はほぼ確実そうだから、二人の婚約は解約して、もう会わないことにしよう、と。泣きくれるジョージーだったが、こんな時こそ愛しいダーシーの元にいる事にしようと単身アイルランドへ向かう決心をする。世間知らずなお嬢さまだったジョージーが、逞しさとしぶとさを兼ね備えた女性に成長したものだと思わずにはいられない。決心したのはいいが、計画性がないジョージーだけに到着するまでが一苦労。やっとの思いで到着してダーシーに会い、事件解決に向けて協力しだす頃には物語の約四分の一が経過しており、ジョージーの謎解きを期待する読者は急展開なオープニングの後でしばし待たされる。

ダーシーの父親は、金に困って所有していた城と地所を金持ちアメリカ人に売っており、このアメリカ人を殺した嫌疑をかけられている。人嫌いで世を拗ねている父親は事件当夜の記憶が定かではなく、事件の前に言い争いをしている姿を見られていることと死体の脇に残されていた指紋のついた棍棒という決定的な証拠もあり、自暴自棄になって無実を抗弁しようという気すらない。息子のダーシーとジョージーが助けよう差し出した手を拒絶するばかり。こんな父親を見て、さすがのダーシーも元気を失い、諦めの気分に陥っている。そんなことにめげることなく、ジョージーとアレクザンドラ(亡命している元ポーランド王女)は些細な手掛かりから事件の真相に迫っていく。

ダーシーの父親から城と地所を買い取った金持ちアメリカ人とはシカゴのギャングのボスで、アルカトラズ刑務所から奇跡の脱走を果たした後に遠くアメリカから離れた辺鄙なアイルランドの城に隠れたように暮らしていた、というのが真相。昔の仲間が見つけて昔の分け前を要求したところ、もみ合いとなって殺してしまったために、ダーシーの父親に罪を擦りつけようとしたことが発覚して、めでたく父親の無罪が証明される。

ジョージーはゾゾのことを、
年齢はわからないー40歳か、もう少し上だろうか。黒いシルクのパジャマを着て、これまで見たこともないほど長い黒檀のシガレットホルダーを手にしている。その先では、ロシアのタバコが煙をあげていた。豊かな黒髪が肩の上で緩やかに波打ち、ふっくらした唇は赤く彩られ、その化粧は完璧だった。彼女が、ありえないほど長く黒いまつげを上下させてわたしを見つめ、長くほっそりした手を差し出すと、”官能的”という言葉が脳裏に浮かんだ。

だったり、
田舎の弁護士事務所にゾゾを連れて行くのは、鶏小屋に孔雀を放つようなものだ。

と表現して、社交界のトップに君臨していそうな貫禄と魅了たっぷりな女性として描いている。容姿の見事さだけではなく、パーティで同席したシンプソン夫人が、自分と似た黒いビーズのイブニングドレスを着ているゾゾにドレスの褒めたと際に、

「あら、こんな古いものが?わたしはすっかり忘れていたんだけれど、衣装ダンスの奥に埋もれていたのをメイドが引っ張り出してくれたのよ。もう何年も着ていなかったわ」
と自分のドレスをけなすことで、似たドレスを着ている夫人を貶めるという高度な社交術も披露してくれる。また、

「きみか。なんの用だ」とキレニー卿(ダーシーの父親)に言われて
「ご挨拶だこと。それって本当は、”息子とその友人たちに会えてうれしいよ”っていう意味なのよね」
と切り返す頭のよさと前向きに物事を捉えようとするポジティブな性格でもあり、初対面のキレニー卿のことを

「あら、あのぶっきらぼうな外見のしたには、きっと寛容で暖かい心が隠れているのよ」
と見抜く眼力の持ち主でもあり、また

「あらまあーずいぶん恐ろしいところね。あなたは、恐怖の館に滞在することになるのね、ジョージー。まさかウーナ大おばさまは魔女だったりしないわよね。」
と言ってお茶目さを披露してくれる女性でもある。

事件が解決した後の最後の最後で、ダーシーの父親がこのゾゾに求婚するところで物語が終わる。こんな魅力的な新しい登場人物に加えて、いつもならがのジョージーの活躍に、読了後になぜか誇らしい気持ちになれたのはシリーズ初の体験だった。

二人の女性が活躍する合間に、
射しこむ太陽の光に目を覚ますと、真っ青な空にふわふわした雲が浮かんでいた。窓の下では、ウーナが鶏に餌をやっている。どこから見てものどかな田舎の風景で、ひとりの人間の命が危険にさらされていることを忘れてしまいそうだ。

というさりげない情景描写もあり、謎解きと事件に関わる人間関係だけではなく、ホッと一息つけるような身の回りの風景描写もあることで、緩急自在な展開を魅せてくれる作者の手管にはほとほと感心してしまう。

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シリーズ第9話、『貧乏お嬢さまと時計塔の幽霊』では、ケンジントン宮殿に住んでくれという依頼が英国王妃からジョージーになされる。条件は、国王・王妃の三男であるジョージと近々に結婚することになって英国にやってくるギリシャのマリナ王女の付き添いになって、英国暮らしになれてもらうお手伝いをすること。貧乏の代名詞のようなレディー・ジョージアナにとっては天の恵み。それまで使っていた家は、持ち主のベリンダがアメリカから帰ってきたので出て行かなくてはならない。実家に戻って義理姉の世話になるつもりはない。そんな中で降って湧いたような美味しい話だった。

ところで、ケンジントン宮殿ってどんなところか気になったので調べてみると、ロンドンはウェストミンスターの西方、ケンジントン・ガーデンズ内にある宮殿らしい。今は、ウィリアム王子と夫人のキャサリン妃が住んでいるらしいが、その前は離婚したダイアナの居住地になっていたそうだ。

お話の中では、一部にジョージーの親戚である王族の老女たちが住んでいるのみで、それ以外の居室には飾ってある美術工芸品も少なく(すぐに物を壊すジョージーには好都合)火の気がないために寒々としている棲家のところに、ジョージーは疫病神のようなメイドと一緒に乗り込んでいく。住み出せばメイドたちがしっかりとお世話をしてくれるし(ジョージーのレベルで言うと、という基準値の低さはあるが)、親戚の老女たちもお茶に招いて親切にしてくれる良いところ。何よりも、秘書役の近衛兵少佐に言えば、買い物だって高級レストランでのランチだって、それに高級カジノにだってお金の心配なしに行くことができる。「王族のため」という錦の御旗のもとに何の心配もなし、のはずだったのだが、ここでもジョージーは死体に遭遇してしまう。それも、ケンジントン宮殿の中でだ。そして、死体の主は、なんとロンドン社交界の花形であったボボ・カリントンという若い女性。ボボは、花婿のジョージ王子の数多い愛人の一人で、しかも子供を生んだばかりということも分かってくる。結婚式を控えた王子が犯人なのかという疑惑が出てくる中、ロンドン警察と王室警護のための秘密警察の共同捜査が始まる。

第一発見者であるのみならず、王族の一部であるために関係者に気儘に質問して回れるという点が買われて、ジョージーも捜査協力することになるが、好奇心が人一倍旺盛で活動的なジョージーが「協力」といった生易しいレベルで終わるわけなく、独自のやり方で調べていくうちにガッツリと事件に嵌まり込んで行く。

社交界で浮名を流していたボボは、上流階級の人々が持つ隠したいことをネタに恐喝をすることで何不自由ない暮らしをしていたことが判明し、そこから捜査は一気に犯人探しへと進んでいく。結局のところ、ゲイであることをネタに強請られていた秘書役の近衛兵少佐が犯人であることに突如気付いたジョージーだが、相手も気付かれたことに気付いて宮殿内で待ち伏せされてしまう。深夜の誰もいない宮殿の中での対決はジョージーに絶対に不利。そんな中でジョージーを救ってくれたのは恋人のダーシーなどではなく、なんと宮殿に住まう幽霊たち。生んだ子供を取上げられて、今でも宮殿内を白いドレスで彷徨う昔の王女と、ジョージ一世がドイツから連れてきた野生児ピーターの二人の幽霊が突然現れ、驚いた犯人が足を滑らせて階下に転落死してしまうことでジョージーは危機を逃れることができて目出度し目出度し.... って、ちょっと都合が良すぎないか。と言うよりも、幽霊に助けられたことにするなんて作者の怠慢??? そんな気がする結末でした。

アメリカから帰ってきたベリンダがハリウッドのことをこう言う。
あのライフスタイルは私には合わない。無作法だし、人工的すぎるのよ。だれも本当のことなんて言わないの。大きなことを言って、できもしない約束をして、なにもかも嘘なのよ。
ある意味、そのとおりだね。

サー・ジェレミーがちらりと少佐に向けたまなざしは、警部はわたしたちと同じ身分ではなく、わたしたちの同類とは言えないが、今は我慢しなくてはならないと語っていた。
この台詞は極めてイギリス的だね。ガチガチの階級社会で生まれて暮らしていくと、こういう考え方になるのだね! シリーズ最初の頃は、階級差が面白さの一つだったが、次第にこの手の台詞が出てくることで、イギリスの嫌らしさであり病巣が浮き出てきている。

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第8話は『貧乏お嬢さま、ハリウッドへ』。ジョージーが母親と一緒に大西洋を渡ってアメリカへ行く。アメリカに行くことになったのは、母親が恋人のドイツ人富豪と結婚できるように、以前の夫(テキサスの富豪)との離婚手続きをリノで進めるためで、しかもジョージーを連れて行こうと思ったのは、一人旅が心配だったから。この世界的に有名な舞台女優である母親は、自分の人生を享受することにのみ熱心で(ジョージーの言葉を借りると、「南極以外のあらゆる大陸の男性と次々と浮名を流している」のだそうだ)母親らしいところがない。なにせ、幼い子供たちを置き去りにして貧乏貴族のお城を飛び出したのみならず、いまだに娘のジョージーに向かって自分に似ていればもっと綺麗になれたのに...などと平気でのたまう母親なのだ。対してジョージーも、ロンドン下町生まれの警察官の娘と決して上流の生まれではないことを指摘して思い出させてやる。口には出さずに心の中で。こんな普通に思い描く親子の関係ではないのだが、決して憎みあっているわけではなくそれなりの愛情を相互に抱いてはいる、それなりのだが。

この第8話は、読み進んでいるうちに興が乗ってこないことに気付いた。今までのシリーズに比べると描写がワクワクさせてくれないのだ。理由は、舞台がアメリカという私が知っている場所柄だからなのか、アメリカには大自然以外にワクワクさせるものが不足しているのか、それとも作者自体がアメリカを気にいっていないのか?作者は今現在カルフォルニア在住と解説しているので、三番目はないだろう。横断鉄道の窓からアメリカの大自然を眺めながらジョージーが感激している。

イギリスにあんな夕焼けはない。まるでイギリスの倍くらいもある空に、巨大な刷毛で原色を塗りつけたような夕焼けだった。魔法のようだった。

たしかに大都市ではない町に行くと空が広いと感じることがある。私自身も、グランドティートンに遊びに行った際に、空の広さに驚いたくらいだったから。

豪華客船の中で大物映画プロデューザーに出会い、母親が映画に出ることになり親子でハリウッドへ行く。この大物プロデューサーの家たるや、ヨーロッパの各地から金に物言わせて価値ある品々、有名絵画や宝飾類のみならず、お城そのものまで持ってきて広大な敷地内に自分の王国を作ってしまう。敷地内に庭にはシマウマやキリンなどの野生動物まで放し飼いにしてあり、点在する来客用コッテジはイギリスやドイツ風を模した造りになっている。これが悪趣味なものであることは文章に滲み出ており、そんな文章が醸し出す雰囲気も私の興を殺いだ一因なのだろう。

文庫本で420ページある物語の250ページ目でやっと事件が起きる。招待してくれた大物映画プロデューサーが殺されてしまう。事件を担当する保安官たちには荷が重そうだ。図体だけはでかくいが脳みそまでは発達する時間がなかったかのような人たちとして描かれている。いつもの通りに、ジョージーがほんの小さな手がかりから犯人を見つけて事件を解いてしまう。そのプロセスが、手抜きとまでは言わないが練られていないのだ。この手のコージーミステリは、ミステリ自体というよりは、物語り自体で主人公や登場人物の行動や心理、振る舞いなどに愉しさや面白さがあるはずなのに、今回は寄り道せずに坦々と平地を歩くがごとくにお話が進んでいくだけなのだ。それならばミステリ部分にもっと面白さを入れ込んでもらわないと割に合わない。雄大な大自然しか描くものがなかったからなのだろう。ヨーロッパを舞台にすると、伝統に裏打ちされた雰囲気なり造形物なりがあり、上辺は取り付くってはいるものの嫌味たらしい上流階級の面々の下種な言動というスパイスが効いてくる。次作はヨーロッパが舞台というから、それに期待しよう。

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第7話は『貧乏お嬢さま、恐怖の館へ』。今回のジョージー、元いレディ・ジョージアナ・ラクノは、兄の領地のスコットランドに戻るのが嫌だが住むところがない中、親戚の王妃に相談したところ、王妃の友人である公爵夫人の家に招待されることになった。単なる社交の招待ではなく、公爵家の新しい跡取りになるオーストラリア育ちの若者、ジャックのしつけ役として。この20歳になるジャックは、自分が英国貴族の血を引いていることなど最近まで知らずに、オーストラリアの羊牧場で伸び伸びと育っていたので、独特のしきたりやがんじがらめのマナーで縛られている貴族の生活などまっぴらだと思っている。もちろん、一族の人間からは白い目と悪意のこもった眼差しで見られ、当てこすりや意地の悪い悪口が陰で叩かれている。そんな中、現公爵が殺されるという事件が領地内で発生し、背中にはジャックの持ち物であるナイフが突き刺さっていた。粗野ではあるが人柄は悪くないジャックに好感を持っていたジョージーは、またもや鼻を突っ込んでいく。

このシリーズを読んでいて愉しめるのは、貴族(王位継承権も持っている)でありながらも主人公には特権階級意識がほとんどなく庶民的感覚すら持っていて好感を抱けることと、物語の進め方の上手さなのだと思う。例えば、この第7話の冒頭の2段落で、ジョージーの母親の性格が手に取るように分かるとともにジョージアナの近況が把握できる見事な出だしなのだ。

母は彼(かつての恋人)が自分よりも『山を優先することが我慢できなかったらしい。女優である母にとって主役以外の役は存在しない。

ハロッズの従業員すべてが自分のためだけに存在してるかのような態度がとれ、アメリカ並びにヨーロッパ大陸を股にかけて恋愛と情事を繰り重ねている母(真の意味で「股」にかけているよね)を羨ましくも思いつつも、自分の身の丈にあった行き方を選ぶほどジョージーはしっかりとしている23歳の魅力的な女性である。

特権階級意識がないという点では、昔警察官をしていた平民の母方の祖父が大好きで、祖父についてこんな思いを持っている。

祖父の家から帰る時は、いつも心が痛む。祖父がわたしの人生でもっと大きな役割を担うことができればいいのだけれど、わたしたちのあいだには大きな社会的な溝がある。ロンドンに戻る地下鉄のなかで、わたしは社会のルールの愚かしさを考えていた。

21世紀の平等世界において、当たり前の考えを20世紀前半の貴族の一員が持っているということがジョージーを好きになる一因でもある。加えて、この手のコージーミステリーに色をそれているのが皮肉と大げさな言い回しだろう。

訪れた公爵夫人の広大な領地に立つ見事な館の広間にある暖炉を見て
長い壁の中央には、牛をローストできそうなほど大きな天井まで届く大理石の暖炉

と言うし、又

蜘蛛が出たらどうしようと考えずにはいられない。普段の私は勇敢なほうだ-蜘蛛がいないところでは

という自虐的な性格描写もある。こんな貧乏お嬢さま、ジョージーを好きにならずにいられようか?!

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『貧乏お嬢様のクリスマス』はシリーズ第6話。実家ではあるものの、義理の姉とその家族の前にラクノ城に居づらくなったジョージアナは、たまたま見かけた新聞広告にあった田舎村でのクリスマスパーティのホステス役求人募集に応募して雇われる。寂れてはいても居心地よい田舎でのクリスマスを愉しんでいたところ、平和なはずの田舎で人が次々に死んでいく。警察は事故と見るが、ジョージアナの独自の嗅覚は殺人の匂いを嗅ぎ付ける。たまたま同じ村で過ごしていた祖父と恋人候補のダーシーの協力を得ながら、古いクリスマスソングになぞらえて起きている連続殺人を解き明かす大活躍となる。

「良家の子女募集」という条件なら、貧乏であったとしても王位継承権のある貴族の末裔にはぴったりのお仕事。よくもこんな設定を思いつけるものだと思いながらも、階級社会のイギリスだからこそ成り立つ発想なんだろうと思うのです。シリーズの別の話でも、「我々と同じ側になれない」と成り上がりの家族のことを平気で酷評するような台詞が出てくるところに階級制度の奥深さが見て取れます。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

額に"刑事"と刺青があったとしても、これほど刑事らしくは見えないだろう。

あなたは私に幸せをもたらすために天国から遣わされた人間の姿をした天使だね。

この手の台詞は大好きだ。男と女の他愛も無い言葉のゲームとして殺人事件の合間合間を愉しませてくれるから。

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このシリーズは設定が絶妙である。2つの大戦の間のつかの間の平和の時代、ヴィクトリア女王の孫にして今(物語上)の国王の親戚であり、王位継承権34番(後に、兄に第二子が生まれたので35番目になる)となるヴィクトリア・ジョージアナ・シャーロット・ユージーニーが主人公。レディーの称号を持っている正真正銘の貴族だが、哀しいことに貧乏貴族の一員として、ロンドンにある結構なお屋敷に召使も執事もなく、文無しで暮らしている。生活費は、自分の名前を使って掃除請負業を営み(派遣される清掃員は自分という情けなさ)、時折友人関係者のパーティに行って飲み食いをすることで何とか生きながらえているという、生活力旺盛な22歳女性。時折、王妃に呼び出されて、やっかいなお仕事を仰せつかるのだが、ジョージーの得意技は好奇心と責任感からくる独自の捜査能力と行動力。貴族であって貴族で無いようなうら若き美女が、巻き込まれた殺人事件に勇敢にも立ち向かい解決している過程で、英国貴族の内輪もちらっと覗かせてくれている。気楽なミステリーに覗き見的な要素を入れ込んだこのシリーズが面白くないわけない。

王位継承権34番とはいえ、貴族の血は父方。母親は有名な映画女優で、今もお仕事ならびに恋愛は現役真っ最中。こんな盛んな母親プラス性的に自由奔放なお友達たちに囲まれつつ、本人は晩熟で恋愛に中々踏み込むことができない。気になる男はいるものの、告白もできず悶々としている。そんな中で、このシリーズ2作目の『貧乏お嬢さま、古書店へ行く』でも殺人が起きる、しかも3件も。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

貴族の友人は自分たちが特別であることを意識しながら、堂々とのたまう:
そんなところにわたしやあなたのような人間があらわれたら騒ぎになるでしょう。ニワトリ小屋の中にクジャクが交ざったみたいな。
なにを言うか!! アホウドリの間違いじゃないか?

心の底から嫌いですが、公正な意見を述べようとしているだけです。
当時の英国社会を賑わせていた一大イベントのシンプソン夫人についての意見が求められた時のジョージーの反論がこれ。芯のある公正なレディーらしさがこの言葉からうかがえる。シンプソン夫人はこのシリーズでは、まことに尊大でいけ好かない女として描かれている。当時の英国上流階級の立場をとるのであれば、こうなるんだろうな。でも、もし、シンプソン夫人がこのとおりの人物であったら、そらぁ好きになれないわ。その意味では、著者の人物の描き方は素晴らしいと褒めるべきなのだろう。

人物だけでなく、風景の描写もなかなかもものがあります。だからこそ、このシリーズが愉しめるものになっている。
目も前にイーストアングリアの平原が開けた。景色のほぼすべてが空のように見える。真綿のような白い雲が浮かび、野原にいくつもの影を落としている。遠くに教会の尖塔が見えて、木々の下に村があるのがわかる。

コージー・ミステリには期待していなかった街や村々の描写に観光気分となりながらも、ジョージアナの活躍話にページを途中で閉じることができない。
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『十二夜』 (シェイクスピア著)

2023年10月26日 | 読書雑感
ヴァイオラ:おなたのお人柄は分かりました、気位が高すぎます。
  だがたとえあなたが悪魔だとしても、実にお美しい。
  私の主人はあなたを愛しております。あのような愛には
  報いてあげなければなりません、たとえあなたが
  並ぶものなき美人であっても。
オリヴィア: どのように愛してくださるの?
ヴァイオラ: 神をあがめるように恋焦がれ、涙は滝のごとく、
  切ないうめき声は嵐のごとく、ため息は火を吹かんばかり。

(第一幕第五場)


公爵: だからおまえも年下の女を恋人を持べきだ。
  さもないとおまえの愛は長続きしないぞ。
  女とはバラの花、その美しさははかないいのちだ、
  散っていくのも一瞬、咲かないかのうちだ。
ヴァイオラ:それが女です、悲しいことにそれが女です、
  花の盛りと見えるときが、散り行くときとおんなじです。

(第二幕第四場)


セバスチャン: ありがとう、アントーニオ、
  おれにはありがとうと言うほか何の俺もできない、
  ほんとうにありがとう。このようにせっかくの好意が
  ただの言葉でしか報いられない例はよくあること、
  だが、おれの財産がおれの真心のど豊かであれば
  ちゃんとお礼がしたい気持ちはわかってくれ。

(第三幕第三場)
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形容詞を使わない大人の文章表現力 (石黒圭著)

2023年10月10日 | 読書雑感
料理を作って親しい友人やお客様に出すとき、食べられればよいとばかりにそのままだすことはなく、器や盛り付けに気を配り、おいしそうに見えるようにする。文章も同じで読み手に伝わらない言葉、伝える力が弱い言葉を修正し、文章に一手間加えること、それがレトリックの本質。

基本的な考え方は「形容詞を避ける」こと。直感的に出てしまう形容詞に一手間を加え、どのように力のある表現に変えていくか。そのための9つの引き出し。

1. 大雑把な表現を排する(直感的表現から分析的な表現へ)
① あいまいさを避ける「限定表現」

 ・「すごい」は、意味が漠然としているため、他の言葉で言い換える。
   ポイントは、「何がすごいのか」「どうすごいのか」、漠然とした「すごさ」を言い換えで表現すること。
   人間の身体はすごい⇒人間の身体は精巧に作られている
   甲子園球場の声援はすごい⇒甲子園球場はスタンドの声援が熱狂的だ
   藤井聡太はすごい⇒藤井聡太は読みの力が群を抜いている
 ・「おもしろい」では伝わる内容が薄い。自分の興味を分析的に捉えて伝える
   日本のアニメは面白い⇒ストーリー性?映像の鮮明さ?主人公のキャラ?登場人物の設定?
 ・両義の形容詞に気をつける
     アルコールは大丈夫です、デパ地下がやばい
② 個別性を持たせる「オノマトペ」
   擬音語、擬態語で状況がイメージしやすくなり、より豊かな表現が可能となる
③ 詳しく述べる「具体描写」
 ・「かわいい」、「すばらしい」、「怖い」は、具体的に、意実に即した言葉に換える
  このネックセル、かわいい!⇒このネックレス、くりぬいたハートの中に輝く真珠がはいっていてエレガントなデザインだ
 ・形容詞を動詞で具体的に描写すると表現が力強くなる
  すばらしいお母さまですね⇒子供の言葉をきちんと受け止められる優しいお母さまですね

2. 自己中心的な発想を排する
④ 明確な基準を示す「数量化」

 ・「多い」「少ない」、「さまざま」、「いろいろ」等は発言者の主観的・相対的な基準に基づいているため、相手に正確に伝わりづらい。
  そのため、客観的な基準を伝え、具体的な表現にする
  この焼き鳥屋は休みが多い⇒この焼き鳥屋は土日にしか営業せず、店が開いている日よりもしまっている日の方が多い
  ホテルを選ぶポイントはさまざまある⇒ホテルを選ぶポイントは、部屋の広さや清潔度、朝食のメニュー、料金など、さまざまなポイントがある
⑤ 事情を加える「背景説明」
  断ったり言い訳をする際には、背景を説明して相手の気持ちへ配慮する
  いま忙しいんでダメです⇒締切間際の仕事を抱えているので、今は手が離せないのです
⑥ 出来事を用いる「感化」
  「幸せ」や「せつない」といった言葉では自分の気持ちが相手に伝わりづらいため、形容詞を動詞に換えて事実や出来事として描写したり、状況を詳しく説明する
  「せつない」事例:病室で、白い布をかぶせられてベッドに横たわる娘にすがりすいて号泣する母親

3. ストレートな発想を排する(直接的表現から間接的表現へ)
⑦ 表現を和らげる「緩和」

 ・否定表現はヒトひねりしたり別の見方を探す
  うわー、不味い!⇒ちょっと私の口に合わないかな / きっと好きな人にはたまらない味なのでしょうね
⑧ 裏から迫る「あまのじゃく」
 ・表現が直接的すぎる形容詞の代わりに、対極的・前向きな見方をしてみる
  つまらない会議だった⇒今日の会議は面白ことは少なかった / 今日の会議は報告事項が多くて新鮮味に欠けた
  厨房がうるさい⇒厨房の声が大きく、テーブルでの会話が不自由だったのは残念でした
          / 厨房をもう少し静かだと、落ち着いて食事ができたのにと感じました

 ・ネガティブな言葉を使って自分の感情をストレートに出さずに、ポジティブな表現な表現に換える
  悔しい⇒残念な気持ちになった / いい勉強になった
 ・肯定的かつ具体的に言い換える
  退屈な人生⇒面白ことは週1回ぐらいしかない / 毎日、同じことの繰り返しだな
⑨ イメージを膨らませる比喩
 「目を閉じていきを吸い込むと、それがやさしい雲のように僕の中にとどまる」(村上春樹独特のひと手間加えた表現)
 大きな土地⇒東京ドーム3つ分の広さ
 ・陳腐な比喩は別表現にする
  死ぬほど暑い⇒焦げ付くほど暑い / めまいがするほど暑い / 命が危険にさらされかねないほど暑い
   「暑い」のは日差しの強さ?気温の高さ?身体への影響?


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『東大現代文で思考力を鍛える』 (出口汪著)

2023年09月09日 | 人生の知恵
少子化により、年々大学受験競争は緩和されつつある。そのため、東大合格者は二分されているという。論理的な頭を持ち、軽やかに受験を乗り越えていく人と、青春時代の大半を受験に費やして、才能をすり減らしてしまったガリ勉とにである。(中略)東大が求める「柔軟な思考力」と「論理力」の二つの能力が重要なのは、むろん東大生に限った話ではない。これからの時代を生きるすべての人に、要求される能力なのだ。(中略)つまり、ものを深く考えたり、鋭い感性でものを捉えたりするときは、私たちは英語ではなく日本語でそれを行うということである。日本語でものを考えることができない人間が、いくら英語が喋れても、それで国際人だとはとても言えない。(中略)まずは母国語である日本語の現代文を自在に扱えることが肝心であり、東大が真に求めているのは、そのよな人材なのだ。

東大の出題者が求めるのは、固定観点にとらわれない柔軟な思考力と、それを他者に正確に伝えるための論理的な思考力である。(中略)考えてみれば、私たちはずっと答え探しの教育を受けてきた。大切なことはあらかじめ決まっていて、それを有無を言わさずに詰め込まれてきた。だが、人生において、さらには、これからの時代において、誰かが決めた正解などどこにもない。政治家や宗教者、あるいはお金儲けが得意な人が答えを出してくれると、心のどこかで信じている。ずっとそのような教育を受け続けてきたのだから。その結果、思考停止状態に置かれてしまったのだ。
現代文というのは不思議な教科で、あらかじめ決められたものをこたえるのではなく、文章のな中からその答えを自分の頭で探し出して来なければならない。現代文の問題を解くというのは答え探しの教育から脱却するための、処方箋となるのかもしれない。

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『戦史』 トゥキディデス著

2023年08月16日 | 読書雑感
大きな判断をはばむ大敵が2つある。すなわち、性急と怒気だ。性急は無思慮に陥りやすく、怒気は無教養の伴侶であり狭隘な判断を招く。また誰であれ、理論をもって行動の先導者たらしめることに頑迷に異論を唱える者は、暗愚か偏見か、そのいずれかのそしりを免れない。なぜ暗愚かと言えば、見通しの定かならぬ未来の帰趨を言葉以外の方法によって説明できると考えるからである。また、なぜ偏見かと言えば、醜怪な説を通さんと欲しながら、己の弁明の術をつくせば、反論者を脅迫し反論に耳を傾けるものを脅迫できると考えるからである。
だが、何よりも始末におえぬ手合いは、反論者は買収されて巧みな説を売っていると相手を頭から非難する人間ども。なぜなら、相手の認識不足を指弾するにとどまれば、論戦に敗れたものも知性に劣りを見せたかと思われるであろうが、己の徳性は傷つけられずに議論の場をを去ることができる。だが、いったん不正なりとの中傷を被った論者は、よし説をと教えても世人の疑惑を免れがたく、もし説が敗れれば知徳ともに劣るものと言われよう。これによって損をするのは我らの国、人は中傷を恐れ、衆議を集めることができなくなるからだ。
(中略)しかしながら、きわめて重大な問題について、しかもかくのごとき条件を覚悟で提案者の立場に立つ我々は、諸君の近視眼的視野よりはるかなる展望のもとに論を進めているのだ、と考えてもらいたい。のみならず、我々は己のなす提案について後刻責任を問われうる立場から、なんの責任も問われない聴衆という立場にある諸君に話しかけねばならないのだ。
(巻三 ディオドトス)

諸君は常々話を眼で眺め、事実を耳で聞くと言う悪癖を培ってきた。口達者な連中が、かくかくの事件がやがて生じうると言えば、その通りかと思ってそれに目を奪われる。だが事が起こった後になっても、事実を己の目で見ても信じようとせず、器用な解説者の言葉にたよっ耳から信じようとする。そして、奇矯な論理でだぶらかされやすいことにかけては、諸君は全く得難いカモだ。とにかく一般の常識には従いたがらない。なんでも耳新しい説であればすぐその奴隷になる。だが尋常な通念にはまず軽蔑の念をいだく。しかして誰もかも、雄弁家たらんことを熱望しているば、それも現実には叶わぬ夢とあっては、われがちに名聴衆たらんと狂奔する。雄弁家のむこうを張って、ただ考えるだけなら弁者の公人を拝するものかとばかりに、弁者が鋭い点を突けばその言い終わるを待たず拍手喝采し、言われる前から先に先に冊子を付けようと夢中になるが、提案から生じうる結果を余談することにかけては遅鈍そのものである。(中略)要するに、諸君は一国の存亡を議する人間というよりも、弁論術師を取り巻いている観衆のごとき態度で美辞麗句にたわいもなく心を奪われているのだ。(巻三 クレオン)

注:古代ギリシャの民族
移動の第一波として前20世紀頃、アカイア人がバルカン半島に南下し、のちにミケーネ文明を成立させた。移動の第二波として前12世紀頃ドーリア人が南下し、ミケーネ文明の滅亡とあいまって、ギリシア各地に人々は移動・定住した。定住後のギリシア人は、方言によって、東方方言群(イオニア系・アイオリス系)と、西方方言群(ドーリア系)に分類される


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『ギリシャ人の物語』 塩野七生著

2023年08月15日 | 読書雑感
ペリクレスの「説得力」が効力を発揮できた最大の要因は、それを聴くアテネの市民たちに、支店を変えれば事態もこうように見えて来る、と示したところにあった。(中略)自信があれば人間は平静な心で判断を下せるのである。反対に、不安になしその現状に怒りを持つようになると、下す判断も極端に揺れ動くように変わる。いまだ自信にあふれる市民たちを相手にすることはできたペリクレスが、民主制の国アテネで30年もの間「ただ一人」でありえた要因は、別の視点を示し、その有効性を解くだけではなかったと思う。彼の演説の進め方にもあったのではないか。(中略}視点を変えてにしろ現状を明確に見せた上で、ただしこの政策への可否を決めるのは、あくまでもきみたちだ、と明言する。ペリクレスの演説を聴く人は、最期には常に将来への希望を抱いて聴き終わる、という点である。誘い導くという意味の「誘導」という日本語くらい、ペリクレスの論法を表現するにふさわしい言葉もないのではないかと思う。

「アテネでは、貧しさ自体は恥とはみなされない。だが、貧しさから抜け出そうと努力しないことは恥と見なされる」{ペリクレスの演説の一部}

民主制のリーダー:民衆(デモス)に自信を持たせることができる人
衆愚制のリーダー:民衆(デモス)が心の奥底に持っている漠とした将来への不安を煽るのが実の巧みな人
前者は、プラス面に光を当てながらリードしていくタイプだが、後者となるとマイナス面を暴き出すことで不安を煽るタイプのリーダーとなる。


ギリシャ人が後世のわれわれに遺した最高の贈り物は「中庸」の大切さを指南してくれたことにあると思っているが、「中庸」とは簡単に言ってしまえば左右いずれにもかたよらないところに着地点を見出す心構えにすぎない。日本語の「良識」は適切な訳語だと思う。

知識人の存在理由の一つは、すでに存在していた現象の中でも重要と見たことを、原語を使って概念化することにある。ゆえに、論理と現実が両立できるとは限らない、とは、アリストテレスの生まれない前からすでに人間世界の真実であったのだ。

論理的には正しくても人間世界では正しいとは限らない、とは、アリストテレスの言である。

アリストテレスが弟子たちに教えたのも、基本的には次の3つに集約されていただろう。
第一に、先人たちが何を考え、どのように行動したかを学ぶ。これは歴史であり、縦軸の情報になる。
第二は反対に横軸の情報で、言うなれば日々もたらされる情報。学ぶべきことは、これらの情報に対しては偏見なく冷静に受け止める姿勢の確立。
最後は第一と第二に基づいて、自分の頭で考え自分の意志で冷徹に判断した上で実行に持っていく能力の向上。


他者より自分のほうが優れていると思ってはならない、とソクラテスは教えた。しかし、そう思ってこそ、できることもあるのだ。他者より秀でていると自負するからこそ、他者たちをリードしていく気概を持てるのである。組織や国家という名の共同体を率いていく想いを持つのも自負心による。無知を知ることは、重要きわまりない心の持ちようであるのは確かだ。だが、「羊」である思う人ばかりでは誰が羊の群れを率いていくのか。

アルキビアデスの言葉を現代風に解釈すれば、30半ばのリーダーは市民たちに、発想の転換、視点の変更、それゆえの逆転の発想の必要性を説いたのである。つまり、未解決の問題にかかわり続けているよりも、他の問題を解決することによって未解決の問題の解決に持っていく、という考え方であった。

悲劇は人間の気高さを描くが、風刺喜劇では人間の劣悪さが笑いとばされる。

あらゆる理念。概念を創造したギリシャ人だが、「平和」という理念だけは創り出せなかったのだ。ギリシャ人にとっての戦争をしていない状態は束の間の休戦にすぎなかった。
古代の見本のように思われている民主政治を生んだギリシャは、実は内輪どうしの内ゲバを繰り返していたことが真実であったのだ、ということがこの本を読んでよく理解できた。華々しいペルシャ戦役と民主主義誕生という出来事だけに目を奪われずに、歴史を紐解いていくことの重要性が再確認できた。






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コージーミステリを読み耽る愉しみ その1 コクと深みの名推理シリーズ(クレオ・コイル著)

2023年08月13日 | パルプ小説を愉しむ
2022年7月の出版された最新作の第19話『ハニー・ラテと女王の危機』を読み始めるまでに何か月かかったことか。このシリーズに限らないが、コージーミステリーの最新作の予約者が多く、図書館の順番待ちは当たり前のようになっている。さて、前作で記憶喪失になったクレアはマイクとの結婚式を控えているものの、新婚旅行の予定が立っていない。マイクとの間に目に見えない壁ができ始めている。そんな心配事の中、ヴィレッジブレンドの店内に蜜蜂の群れが舞い込むという突発事件が発生する。NYマンハッタン市内でも養蜂を手掛ける人は多いようで、そんな養蜂家の一人から何らかの理由で蜂が逃げ出したのかと思いきや、蜂たちがラベンダーの香りを発散させていたことから、クレアが結婚式で使う蜂蜜を提供しようとしてくれていた人物、それはクレアのメンターかつ元姑でヴィレッジブレンドのオーナーであるブランシュの親しい友人が大切にしていた蜂たちであることが判明。何が起こったのかを探るために、ビー・ヘイスティングのペントハウスに向かったクレアと元夫のマテオは破壊された養蜂施設とけがをして意識不明のビーを発見する。ICUに運び込まれた命には別条ないようだがビーの意識は戻ってこない。ブランシュに連絡を取ろうにも友人とカリブ海クルーズに出かけている上にハリケーンに巻き込まれて音信不通の状態。担当警官は遺書が見つかったと言ってビーの自殺として処理してしまう。ビーをよく知っているクレアがビーが自殺するはずがないというものの取り合ってはくれない。そこで、事件を探ってみようと心に決めることでお話が始まる。同居しているはずの姪と連絡がとれない。自家製蜂蜜に混ぜ物をしていたとビーに避難されていた養蜂家が、ビレッジブレンドのゴミ箱から死んだ蜂たちを盗んでいった。蜜蜂の権威に問い合わせたところ、ビーの蜜蜂は独自に生み出したハイブリッドの種類とのこと。少ない花から多くの蜜を集めることができることから、この種にはとてつもない事業価値があるという。怪しい人物No.1に躍り出たフェリックス・フォックスに突撃探索を入れたところ、フェリックスが言うにはこの種の蜂は彼とビーとが恋仲であった時代に一緒に生み出したものだと言う。そして、今でもビーのことを大切に思っているというフェリックスだが、クレアの疑惑は残ったまま。ビーの姪のスーザンがPRを手伝っていた新興IT企業家が開催するチャリティパーティに潜り込んだクレアは、スーザンから会おうというメールを受け取り会合場所に向かったところ、不審人物にビルから突き落とされそうになる。手がかりを探して再度ビーの温室を訪ねたクレアは秘密の引き出しから港で行われている不信な野菜入荷作業に目を付ける。マテオと調べに行ったところ、捕まってしまう。屋内で野菜を栽培するということで資金を集めていた新興IT企業の活動は実は詐欺で、誤魔化すために野菜を輸入していたことをビーが掴んでいた。しかも、その黒幕はCEOではなく、マテオも知っている美人CFOだった。しかも、働かされているホームレスたちは、マイクのグループが追っていた違法麻薬を餌に集められていた。詐欺と違法麻薬製造まで手に染めていた美人CFOの罪が暴かれて一件落着でした。

(マテオの元妻のブリアンは)よりよい環境-新しい(年長)伴侶、緑豊かな(新しい伴侶の銀行口座にたまっているドル紙幣も含めて)場所へと移っていった。
ドルがグリーンバックと呼ばれているのは知っていたが、自然の緑と掛けて「緑豊かな」と皮肉にすることまでは考えなかった。これは使える。英語でだけだが。

ITの魔法使い
ITがブラックボックス化している現在、ITの魔法使いは誉め言葉としても使えそうだ。

聞いているうちに実感したのは、デニス・マーフィのじつに静謐は人となりだ。この人のとほうもない懐の深さは並みのものではない。すべてを受け止めようという穏やかな自信に満ちている。何度となく成功と失敗を経験し、長い長い歳月をかけて築かれた人格なのだろう。経験を知識に換え、平穏な境地に達することができるということか。
こんな老人になってみたいものだ。

彼は地道に階段をあがっていくということができない。いきないジャンプして飛びつこうとする。楽をしたがるんだ、ああいう若造は。テレビ番組みないなノリで。しかし、箔付けに走っても実力はつかない。
デニスが、ある若い料理人を評して言った言葉。地道は努力をせずに一足飛びに上に上がろうという姿勢には私も反対だが、上手く言葉にできなかった。

「5ドルぽっちでなにを期待してるんだか」
「5ドルで買える最高の食事だ、それを期待しているんだ!おまえの仕事はそれを提供することだ。できなければクビだ」

デニスからボロクソに言われた若手料理家だが、そんな彼でも料理することに誇りを持っているようだ。「5ドルで買える最高の食事」と言い返すところに、この男の矜持を感じる。

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前回の書き込みの日付を見たら2021年1月だった。ということは、2年と4か月ぶりに本シリーズを読んだことになる。だいぶ経っているなぁとは思ってはいたが、そこまでとは...第18話『コーヒー・ケーキに消えた誓い』を読み始めた途端に大きな違和感が生じた。覚えているシリーズと違う、と。何が違いかというと、ミステリーなのだ。コージーミステリー的なお気楽なお話しなのではなく、本格的なミステリーっぽい事件性が初っ端から醸し出されていることに驚いた。それもそのはず、今回はクレア自身が誘拐された上で記憶喪失になっているところから物語が始まる。一体何が起こったのか、誰がやったのか。

NY警察のマイク・クィンから正式にプロポーズされた後、結婚式のケーキ試食に出かけたクレアは2週間経って、NYのとある公園のベンチに寝ている自分に気付いた。なぜ、ここにいるのかだけではなく、なぜここにいるのか、何が起こったのかの記憶が一切抜けたまま。自分だ誰だかは覚えているものの、直近の15年ほどの記憶もすっぽりと抜け落ち、娘のジョイは13歳、元夫のマテオとは離婚した直後、マイクのことは一切記憶にない。もちろん、その間の科学技術の進歩や歴史上の出来事も忘却の彼方。ケーキ試食で一緒だった名門ホテルの女性オーナー、アネット・ブルースターは今でも誘拐されたままでどこにいるのかも発見されていない。事件の背後にあるもの、犯人探しに加えて、クレオがどうやって記憶を無事に取り戻すかもストーリーに織り込まれているところがいつものコージーっぽくない。

救急病院に入ったクレオは記憶喪失を専門に扱うセレブ医者の施設に入れられて監禁に近い状態になりそうになることを恐れた友人・知人たち(マダム・ブランシュ、マテオ、マイク、ヴィレッジブレンドの従業員たち)は病院からクレオを脱出させる。警察が追うことが分かっていたから、どこに隠そうか迷ったものの、マテオの前の妻、雄m製ファッション雑誌編集長のブリアンが使っていた屋敷に匿うことにした。コーヒーや料理をすることで記憶の断片がすこしづつではあるがクレオに戻ってくる。クレオと一緒に誘拐されたアネットが所有する名門ホテルは、今ではアネットの妹が代理で経営しており、しかも姪のテッサが引き継ぐことになっていたはずだが、肝心のアネットの遺言書も盗まれていた。どうやら一族の中の争いが絡んでいるよう。アネットの夫の交通事故死から調べ始めたクレオたちは、近所の住民を訪れ、彼女の姪が交通事故で死んだアネットの夫から性的暴行を受けた後で記憶喪失となり、専門の施設で治療したものの死んだことが判明。その施設の持ち主こそ、クレオの治療を買って出たセレブ医師だったから、この医師に疑いが向く。記憶の断片は取り戻すものの、事件の全体像は忘却の彼方にあるクレアは、色々なことを通して記憶を取り戻そうとする。屋敷で風呂に入った時に感じた感覚に触発され、アネットは夫、ハーランの事故死の原因(他殺ではないかと疑っている)の調査を頼まれた直後に、2人は誘拐されたことを思い出す。ハーランはアネットのホテルに設置されたカメラ映像を使ってセレブたちを恐喝していたのだった。事故現場から逃げ去った人影があったとの情報も掴んだクレオが捜査を進めるうちに、クレオを密かに追っていた男が殺される現場に遭遇する。この男は、アネットの姪のテッサが雇っていた私立探偵で、死体の脇には血の付いたクレオの手袋の片方が置かれていた。現場でホテルの警備主任の姿を見かけたクレオは追いかけるものの見失う。マイクが部下たちにその男を逮捕させたものの、荘園反応がなく彼が犯人という確証が得られない。テッサにはヨーロッパで生まれた従兄がいるらしいとの情報を辿って行った結果、アネットの妹のビクトリアがオーストリアで秘密出産して子供を里子に出したらしいと知る。父親はハーランで、ハーランとビクトリアは一緒に住むことに同意して準備を進めていたとの情報も得たクレオとマイクは、ハーランが住んでいた家へ行ったところ、ハーランの書類を整理しているホテルの弁護士、オーエンがいた。オーエンこそビクトリアとハーランの息子で、単なるホテルの弁護士ではなくもっと父親からもらえるはずと欲を出した結果、殺してしまった父親を交通事故に偽装していた。その上、母親にホテルの所有権が移るように、アネッサを誘拐し遺言書の書き換えを迫っていたのだった。クレオはその巻き沿いになっていた。屋敷内でオーエンと対決するマイクとクレオは、事態を探っていた地元の男の乱入に助けられてオーエンを逮捕することができた。そしてクレオの記憶も無事に戻って、マイクとの関係も戻の鞘にもどってめでたしめでたし。

このコーヒーはパークビューパレスのような豪華なホテルにはふさわしくないと思います。スマトラとコロンビアのブレンド。チョコレートとウォールナッツの味わいがうっすら感じられる。焙煎はへたくそでバランスが悪い。明るい酸味もまったくない。だから奥行がなくて退屈。わたしならケニアAAやイルガチョフェを加えるわ。。
記憶喪失のまま、名門ホテルのコーヒーを一口飲んだクレオが発したコメント。NYのランドマークとなっているコーヒーショップの経営者で腕利きバリスタならではな面目躍如。そのコメントを通して、直近15年の記憶すべてが失われていた訳ではないことをマダムたちにも分かると同時に、記憶回復の希望も出てきた。それにしても、たかが一口だけのコーヒーで使われている豆の原産国が分かるとは。しかもどうすれば良いかも即座に出てくるところがクレアのキャラクターをうまく出している。

この部屋でプルーストのマドレーヌが見つかるかもしれない。
コーヒーの一口で記憶の断片が出てくる瞬間に立ち会ったエスターが、かの有名は「失われた時を求めて」の紅茶とマドレーヌになぞらえて言った台詞。分かる人は分かる。

このあたりはカリフォルニアとは違う。裏庭で柑橘類の木を育てることはできない。オレンジ、レモン、ライム、バナナ、アボガド、コーヒー、その他、ここで栽培できない新鮮なフルーツと野菜はたくさんある。だからといって、それを食べずに我慢するなんでごめんと。そういうものから得られる健康上のメリット放棄するなんてもったいない。
カリフォルニアから始まった季節外れの農産物を口にしないというロアヴォアのムーブメントを耳にしたクレオの意見表面。健康オタクのカリフォルニアはモノゴトが極端に走る傾向があるよね。そんな極端なムーブメントに対してクレアは論理的に自分の意見を展開する。自立し公正な見方ができる女性というキャラクターが強められている台詞だよね。

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『ほろ苦いラテは恋の罠』
第17話は、今のデジタル社会がテーマと背景となって物語が進展します。スマホ、そしてアプリ、特に男女の仲を取り持つマッチングアプリに元夫のマテオがハマっているところが書き出しです。シンダーという名前のマッチングアプリがアメリカで大流行し、義理の母でクレアの最大の理解者でもあり支援者でもあるマダムまでシニア向けのマッチングアプリでデート相手を物色している状態。そんな中でもクレアはそんなアプリには目もくれず、「スマホゾンビにならずに済んでいる」と自分を褒めています。

クレアの職場であるビレッジブレンドが、マッチングアプリでデートに最適な場所の一つとして紹介されて店が大流行の中、マッチングアプリで知り合った男から心無い仕打ちをされた女性が店で発砲事件を起こします。スマホ時代の習性として、撮影された動画が投稿されて拡散し、ビレッジブレンドは閑散となってしまう。そんな状況を救おうとしてアプローチしてきたのが、当のマッチングアプリの代表者。店が再び流行るように一種のステマを仕掛ける作戦を提案します。相手の提案を胡散臭いとは思いつつも、困った状況を打破するために手を組むクレア。

発砲事件(実は空砲をつかっただけ)の被害である男は、アプリで女漁りをしては翌朝には捨てるようなクズ男であることが判明、女性として許せないクレアはその男の身元を洗おうとするが、調べれば調べるほど実態がつかめない泥沼状態に。ハドソン川に係留されている船にマダムを迎えに行った際に、波に浮かぶ死体を発見。死体となった女性は、よりよって店に何度か来ていた客であっただけではなく、シンダーのプログラム元開発者だった。彼女がシンダーを辞めた理由、引き抜かれた先の会社と条件(準備金としてキャッシュで1万ドル)、そしてクズ男が事件当夜に落としていったと思われる1万ドルの現金引落明細書、クレアの独自捜査が始まりうちに、店外席でクズ男が殺された。空砲さわぎどころか実際の殺人まで抱え込んでしまうビレッジブレンド。

空砲事件を起こした女性が犯人として検挙されるが、証拠が怪しいと睨んだクレアの恐れを知らない行き過ぎ捜査が始まる。シンダーの経営者を昔プログラム開発者として雇用していた別のマッチングアプリ会社の創業者2名が麻薬販売と復讐も兼ねてシンダーを舞台に大掛かりな不正行為を働いており、それに気付いたプログラム開発者や協力者が殺されていた、というのが事の真相。筋としては悪くないが、ちょっと込み入りすぎなのと、最後のクレア救出シーンが今作品の荒いところかな。結局は拉致されて船に押し込まれたクレアは無事に救出されるのだが、そのクライマックスの場面がやけに白々しく取ってつけたよう。

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「ビレッジにはその後も創作活動に真剣に打ち込むアーティストと熱心な活動家が集まってきた。いっぽうで、快楽にのめりこみたくて危険な香りに引きつけられてやってくる人たちもいた。社会的な制約からの逸脱を目的にするのは、まったく無意味なのに。あくまでもそれは、創作と引き換えにされるべきもの。人間の魂を高みに引き上げる営みと、目的もなく生きることは真逆なのよ」

「新しいものをもてはやし、使い捨てにする。それがわたしたちのモダンカルチャー。いまの若い人が、いつまでゲームに夢中でいられるかしらね。遊び感覚で手軽に恋愛するむなしさに気づいたら、きちんと人と向き合うようになるわ。時間をかけて共に体験を重ねていくことで人は親しくなれる、愛情を育んでいけると、やがて気づくでしょう」
この2つはどちらもマダムの台詞。いろいろな経験をした人ならではの箴言として、スマホ時代の今に対するアンチテーゼとなっている。ナチス時代にヨーロッパから逃れてくる途中に家族を亡くし、アメリカでも苦労を重ねながら今の地位を築いたマダムならではお言葉です。とくに、「新しいものをもてはやし、使い捨てにする」という部分は昨今のビジネス潮流にも当て嵌まる。DXだ、CXだ、サブスクだと、この数年でどれだけビジネスの現場が踊らされてきたことか。それらはすべて役に立つ重要な要素ではあるだろうが、表面的な紹介と言葉の羅列に踊らされたビジネスマンがどれだけいたことだろう。ものごとの本質を捉えずに流行りすたりで仕事をするからそうなっちゃうんだよね。

「『おれを真似ておれみたいに弾いて、おれの失敗までそっくりにコピーする人間はおおぜいいたよ。それよりも自分の人生を生きろ、自分の失敗をしろ、そうしなければ自分の歌は決して見つからない』、彼はそういって私を諭した」
このセリフは、マダムが知り合った60歳近いNY警察の渋い巡査部長が昔を思い出しながら語った話。この「彼」とはジミ・ヘンドリックスのことで、マダムが経営の前線で働いていた時代に応援していたアーティストたちの一人となっている。そんなジミ・ヘンに憧れた若き巡査部長が、ジミ・ヘンを追いかけてビレッジブレンドに来ていたということからこんな逸話が語られている。ずるいけれども、往年のビレッジブレンドとマダムの経営スタイルをイメージさせることには大成功している賢い手です。


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『沈没船のコーヒーダイヤモンド』
シリーズ16話では、元夫のマテオの先祖が関わってきます。20世紀半ば、宝石細工士一家。が乗っていた豪華客船が、イタリアからNYへ旅する中事故で沈没してしまう。沈没のドサクサの中で、DVを受けていた宝石細工士の妻がやったことがお話のプロローグであり、又伏線となって後々の展開に関わってくる。いつものことだが、このシリーズでは冒頭に事件を起こした犯人の行動やその後の展開の起点となるようなお話がプロローグとして提示されて、一体何が起きるのかの興味をかきたててくれるとともに主人公クレアの活動の一部始終を追っかけるための心と頭の準備運動をさせてくれる。

クレアがマネージャーとして切り盛りしているコーヒー店の前で警官が撃たれる。警官が狙われるという連続事件がビレッジブレンドの店頭で起きたのだ。店を飛び出したクレアが撃たれた警官の手当てをしている時に、近くの廃墟ビルからアニメのパンサーマンの格好をしている怪しい人影が現れて去っていく。唯一の目撃情報を元に捜査が始まり、クレアの恋人のマイクとその配下のチームも捜査のに加わるが、いっこうに手がかりがつかめない。そんな最中、プロローグで登場した豪華客船のレプリカを建造して豪華な船旅を提供しようという事業が進み、船上で出すコーヒー業者選定のコンペにビレッジブレンドが参加することになった。事業責任者からの直々の申入れであり、絶好の事業拡大のチャンスとしてマテオもクレアも喜び勇んでオリジナルブレンドの考案と開発を進める。

億万長者たちが味わうことになるコーヒーを考えるに当たって、元の豪華客船に乗ってアメリカに渡ってきた古くからの友人でありNYで成功している宝石細工士に意見を求める。ここで、60年前の沈没事件と現在の事件とが絡まりあって新たな展開となって動き出す。沈没した船とともに行方不明となった有名なダイヤモンド(これがコーヒーダイヤモンド)の回りを飾っていた小粒のダイヤが、マテオの母親からマイクに渡り、婚約指輪としてクレアに出される。ここでも、昔の事件と今とは交錯しだす。

それにしても、マイクがクレアにダイヤの指輪を渡してプロポーズする場面は、あたかもミュージカルの一場面のよう。警官の一団がビレッジブレンド前の道路を封鎖し、強面の警官ふたりがクレアを「重罪犯として逮捕する」と宣言する。罪状は、NY市警の警官を誘惑したから。そこで、一団の警官たちが店内で踊りだす、というLaLaランドの冒頭シーンのような展開。一糸乱れず踊っている警官の間からマイクが現れ、クレアの前で跪きプロポースをする。何だ、これは!! でもいいっか。物語の中のリフレッシュメントとして考えれば。

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いつもことながら、参考になるような例えや言い換え、表現があちらこちらで登場することも、本シリーズの愉しみの一つ。

大学教授がチンパンジーに熱力学を説き聞かせるような忍耐強さでマテオは私に説明してくれた。
チンパンジーと熱力学との組み合わせが、忍耐強く説明している様を面白おかしく描写している。何よりも、苦労している様が目に浮かぶようだ。

クレアの義母にしてマテオの母、そして私が敬愛するとともに憧れるエレガントな女性であるマダムが試作コーヒーのテイスティングをした際にこんな形容の仕方をする。
すばらしいわ。みごとにバランスが取れていて、口当たりはビロードのよう。口に含んだ時から飲み込むまで次々に新しいフレーバーがあらわれて眩いばかり。(冷めていくコーヒーの味見をして言う) まあ・・・パーフェクトなキャラメリゼ。洗練されているけれどエクサイティングで、甘美な上にエキゾチック。パーフェクトな男性みたいね。

ハドソン川から潮の香りのするひんやりとした空気が流れ込む。さわやかな風がすぐ近くのニレの木の枝を揺すり、鮮やかな黄色の葉と低いタウンハウスの赤い煉瓦、それに海のほうの明るい空の色を加えてちょうど三原色になっている。
NYの雰囲気を伝えてくれる風景描写が愉しめるのもいつもと同じ。

小生意気は若い小娘に向かってクレアが吐く台詞もイカシてる。
大学で数年勉強してトレンディなメガネをかけたくらいでは、長い人生経験とまともなマナーにはとても太刀打ちできないわね。ごきげんよう。
そうだよ、決して本と講義では学ぶことのできない貴重は経験を我々おじさんたちは沢山身につけているのだよ。それを、もっともっと世の中は評価しないといけない。この台詞は覚えておいて、是非使ってやろう。

圧力(プレッシャー)がないところにダイヤモンドは生まれない。
これは、クレアの信条。

そして、登場人物の一人が語る自分の生き方の台詞も時代を反映している。
驚いたな、この男はジゴロだ。
すみません。生き方と言って欲しい!自分に合っているだけだ。常に顧客満足を念頭に置いている。

女を食い物にして寄生して生きている男の人生観に顧客満足が出てくるとは。CS(顧客満足)は世界的なトレンドワードになっているのだろうか?

カットと素材の質から判断して、オールドネイビーというよりもJ・クルーあるいはパタゴニアのように見える。
この台詞も驚愕だった。カットと素材で服飾メーカーが分かるのか?そんなにファッションに通じていたのか?それとも、NYでは当たり前の常識なのだろうか? これ以外にも、老人が来ていたスーツを見て、一昔前のデザインだと言った場面も本書にはあった。30年前のバブル期に流行った大きめスーツなら見て分かるだろうが、メーカー名までの特定できないな。勉強不足でした。

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『眠れる森の美女にコーヒーを』
シリーズ14話の本話では、NYセントラル・パークでのフェスティバル中にプリンセス役の美女が薬物で昏睡状態になってしまう。しかも、元夫のマテオが容疑者として逮捕。恋人のマイクがいない中、クレアが秘密クラブに一人で潜入捜査までして真相に挑んでいく。

いつもの、後先見ない勇敢さというか、怖いもの知らずというべきか、それとも正義感ゆえの行動か?いつに増して、本書のクレアは逞しい。

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今回、目を見張ったのは、一言台詞の素晴らしさではなく、余裕のある大人の会話とはこれだ!という会話があったこと。
後を追っていた男が、NYの一角(あまり上等なエリアではない)のレストランにいることを知って、いきり立って乗り込んだクレアに対して男がこう言うのだ。

「魅力的な女性にアプローチされるのは、そうそう毎日あることではない。だから、あなたのぞんざいな態度に目くじらを立てるのはやめておきましょう。お友達についてあなたは質問なさった。ご自身の自己紹介はせずに。『こんにちは、エルダー、ご機嫌いかが?』とも言わず。コーヒーをいっしょにどうか、の一言もない。」
反省しておとなしくなったクレアに対して男は言う。
「どうぞお座りなさい。一緒にお話しましょう。おそらく力になれると思います。」

これだね、大人の男の余裕。激情に激情で相対するのではなく、相手に対して礼儀正しくありつつも、相手の失礼をしっかりと(でもやさしく)指摘して反省する余地を与える。こんな対応ができるのであれば、男と女のゲームも愉しくなるだろうに。


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■『聖夜の罪はカラメル・ラテ』
前後してしまったがシリーズの12話です。クリスマスのNYを舞台に、クレアが雇っていた若い女性が撲殺されるという惨事が発生する。しかも、クレアの店が出店していたイベント会場の横のメリーゴーラウンド中で。いつものように、お節介というべきか好奇心旺盛というべきか、はたまた正義感が強いと形容すべきか、我らが主人公のクレアは独自の調査を開始する。そして分かったことは、殺された女性について何も知ってなかったということ。

彼女の過去を探っている最中に、第二の殺人がこれまたクレアが出店したクリスマスイベント会場で起きる。繋がりは何か? お決まりの迷推理のあての間違った行動が真犯人に結びつくラッキーさ。クレアは福を呼び込むツキを持っているよね。羨ましいかどうかは別にしても、この種のコージーミステリーには欠かせない要素であることは事実。だって、これがあればたいていの進行は許されるから。

今回は、クレアの素敵な義母の登場が控えめだ。義母だけでなく、元夫のマテオと現在の恋人のマイクも。彼ら以上に、店員たちの活躍がハイライトされている回だった。タッカーとパンチのゲイカップルは、お店の中だけでなく事件解決にも大いに貢献し、彼らのショービジネス能力もしっかりと華を添えているから筆者(たち)もサービス精神旺盛なストーリー展開です。

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ドレスの面積があまりに小さいので抗議した。素敵な長い袖はついてるけれど、すそまでの長さはわいせつといっていいほど短い。
この「わいせつ」という単語の使い方がいいよね。どれだけ丈の短いドレスなのかが用意に想像できる。単に「とても短い」というのと、実際の巻尺で測った長さは同じだとしても、読み手の心に浮かぶイメージは大違いだ。こんな言葉が選べることが羨ましい。

ポテトの入った小さな袋をあける。そしてルビーレッドのケチャップをきつね色のポテトに散らす。食のピカソがキャンバスにサディスティックに絵を描くような調子で。
そして、こちらは「ピカソ」を比喩に使った感覚がすばらしい。ブルーの時代、レッドの時代、といったピカソの斬新かつ狂気といってもよいほどの色使いが視覚に訴えてくる見事な比喩だと思う。


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◆ 『大統領令嬢のコーヒーブレイク』
第15話となるこの回はNYではなく、ワシントンDCが舞台になる。舞台が変わるだけでなく、クレア・コージーが容疑者になって恋人のマイクと逃避行を重ねながら自分に仕掛けられた罠を解きほぐしていく。話の進み方も、二人の逃避行の現在からスタートし、順に過去の出来事を語りながら、何が起こったのかが読者に提示される。過去と逃避行の現在を行ったりきたりしながら、謎とスリルに満ちたストーリーが進んでいく。コーヒーと並んで今回のテーマとなるのがジャズ。もう一人の主人公である大統領令嬢が、クレアが経営するコーヒーショップ兼ジャズハウスでセッションを行う場面の描写は圧巻だ。セッションメンバーの体の動きのみならず心の動き、そして店内の情景、そして出される料理とドリンク、これらも見事にジャムセッションしている。26ページ程だが、この場面だけでもこの回は読む価値がある。それだけ、この話は素晴らしい。

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一つの盛り上がりである大統領令嬢がジャズハウスでセッションする時の場内アナウンスがイカしている。こんな台詞を聞けば、いやでも期待が高まって一刻も速く音楽を聴いてみたくなる。

感情が高まった状態で、いかにうまく相手に耳を傾け、反応するのか。ジャズは発見のアートです。そして受け止めるアートです。ジャズにおいてまちがった音は存在しません。どの音もパフォーマンスの一部であり、音楽の一部であり、流れの一部だからです。
今夜、これから皆様が聴く音楽は、ミズ・アボゲイル・パーカーの心と魂から生まれるものです。皆さんにはぜひともお願いしたいのは、ただひたすら聴くということです。耳だけではなく、心と魂で聴いてみて下さい。そうすれば間違いなく、恋に落ちるでしょう


ジャズを極めるには、音楽とは単にコードの連なりではないのだとわかっている必要があります。真のアーティストは、芸術という形で表現します。それ以外には伝える方法がない、そういうことです。
たいていの音楽は人の内面をあらわしています。それをもっともふさわしい方法でつたえるのです。悲しい曲を聴けば泣いてしまう。楽しい曲を聴けば踊りたくなる。ロマンティックな曲を聴けば・・・・ま、おわかりですね・・・
さて、ジャズという音楽になくてはならないもの、それはスイングです。ここジャズスペースで、ふたたび皆さんとスイングするのは、・・・


言葉の力は絶大だと感じさせるシーンであります。26ページ程の言葉の羅列に過ぎないものが、時間と空間、架空と現実の世界を越えて臨場感と興奮とを呼び起こしてくれる瞬間です。

音楽とは楽器ではない。音楽は楽器から生じるのではなく、ミュージシャンの内部から生じるんです

ジャズという音楽についての薀蓄を見事に伝えてくれる台詞が数多くあったが、その中でも気に入ったのがこれ。そしてこんな台詞は私好みのものだ。

女性の胸の谷間を見ることで男の寿命は延びるんだ。科学的な裏づけのある事実だ

音楽や芸術に関する深遠な言葉の合間に、こんな男女の間の痴話話っぽいジョークも出てくる。まさに、読者を掴んで自由自在に翻弄してくれる稀有なミステリーだよね。

なにごとにも賞味期限というものがあるの。若いとそれが分からないのね。欲しいものを手に入れるために絶えず自分の善良さをゆがめていたら、やがて自分のカップの中がすべて腐っていることに気付く日がくるわ

クレアが自分を罠にかけた相手の一人に対して吐いた啖呵です。見事だね。単に怒りをぶつけるのではなく、こんな風に相手に諭すがごとく言えれば、喧嘩は勝てるよ。

そして、私がなりたいと思う自己イメージに合った表現がこれ。こんな男になりたい。

アビーの継父はなかなか素敵な男性だった。そして桁外れのパワーを感じた。ごうごうと燃え盛る炎のような激しさ、太陽のようなエネルギーを発散している。


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NYマンハッタンの洒落たコーヒーショップを舞台に捲き起こる物騒な事件を題材としたこのミステリは、ハラハラドキドキさせてくれて、そしてむしょうにペイストリを横に置きつつコーヒーを飲みたくなり、時間が経つのも忘れさせるほどに愉しませてくれる。しかも、毎回だ。

主人公のクレアも魅力的だが、なんと言っても義母の存在が飛び抜けている。ゴージャスで優雅。日本だったらシルバー世代と呼ばれて、くすんだ色の服と変わり映えしない毎日といった生活しか思い浮かばないのだが、このおばあさまはあくまでも一人の女性、いや女性を超越した女神のような存在といっても良いかもしれないくらいに、刺激と魅力をたっぷりと振りまいてくれる。

残念なのは、この素敵で優美な義母の登場がだんだんと減っていること。それでも毎回お約束の殺人事件を見事に主人公が、周りを振り回してお騒がせしながら見事に解決していくストーリー展開には魅了させられっぱなしだ。登場人物の魅力度、ストーリー度、そして台詞の魅力度、そして舞台となっているコーヒーショップのお洒落な雰囲気とそこで供される各種のコーヒーの描き方も素晴らしい。コーヒーのアロマが文章の中から立ち上ってくるような陶酔が得られる。失望させられることが今までに一度もなかった私のお好み度最上級のコージーミステリだ。

◆『億万長者の究極ブレンド』
スーツとネクタイを身につけているのは葬儀屋と使えないやつだけだというのが、デジタル領域の企業でのファッションの法則です。」

マネジメントの究極の目的は、”意味”を作り出すことであり、お金ではない。仕事というのは、実存的な挑戦として提示されるべきなのです。そうすることで社員の想像力を刺激し、活用する。」


◆『謎を運ぶコーヒー・マフィン』
そんな経営専門用語があるのか?ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとドラルド・トランプを足して二で割ったみたいだな

あなたやわたしはおとなだし、知識を身につけてそれに基づいた意思決定をすることができる

アートというのは"きれいな"ということとは無関係。"真実"と"本質"を追求する営みである。アーティストであるとは、自分の声とものの見方に到達しようとすること。本物であり続けることでしか、それは実現できないのよ



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コージーミステリを読み耽る愉しみ その7 荒野のホームズシリーズ(スティーブ・ホッケンスミス著)

2023年07月03日 | パルプ小説を愉しむ
シリーズ2作目の『荒野のホームズ、西へ行く』では、どうしても探偵になりたいオールド・レッドにつきあってビッグ・レッドともども大嫌いな鉄道会社に雇われる。西部横断鉄道が度々ならず者に襲われるのは、社内にスパイがいるに違いないと考えた保安主任が採用したのだった。探偵の端くれになれて列車に乗り込んだものの、鉄道嫌いのオールド・レッドは乗り物酔いで苦しむ一方。最終車両の展望デッキで吐いているオールド・レッドと介抱しているビッグ・レッドは列車から転がり落ちた人の首と首なし死体を見つける。急ブレーキをかけて列車を混乱に陥れたために車掌から大いに怒られつつも、殺されたのが手荷物係であったころから殺人事件として独自捜査を始めるものの周りからは白い眼と軽蔑の眼差ししか得られない。社内販売員の少年の手を借りつつ捜査していると、又もや列車は急停車する。今度は列車強盗の登場。鉄道捜査員としての務めを果たそうとした2人は強盗団からぶちのめされるが殺されはしない。強盗団の頭2人は、鉄道会社を糾弾する声明を列車内で発表するや、何も奪わずに立ち去っていく。これもシャーロックを尊敬するオールド・レッドにとっては謎解きのためのデータの一つ。字は読めず、人とのコミュニケーション(特に女性とのコミュニケーションが苦手な田舎者のカウボーイだが、推理する能力は一級品。物語は弟のビッグ・レッドの語りで進んでいく。強盗団の頭2人は、先に盗んだ100本の金塊を手荷物車両に隠してサンフランシスコへトンズラしようと画策して、その手引きをしていたのが車内販売員の少年だった。美貌にして勇敢な女性乗客、ダイアナ・キャヴェオを人質とした3人は、客車を切り離して出発するところを、ビッグ・レッドと伝説の探偵で今はただの酔っ払い、バール・ロックハートが追う。運よく強盗団の2人を倒したビッグはダイアナと一緒に列車から飛び降りる。スピードが最大限に上がった列車は難所で脱線して大爆発。金塊は溶けて峡谷の隙間の下へ入っていく。次の駅で出迎えた鉄道会社の保安主任は、金塊話と強盗団の頭2名が死んだことを隠そうとし、2人に黙っているようにいうが、気にいらない2人は断って無事に仕事を馘になる。事件解決とと汚れ仕事を断ったと言う自負を持ったまた、2人はまたもや探偵になるために活動し始める。

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兄貴は生まれてからまだ27年しかたってないってのに、そのすべての年が大荷物となって背中にくくりつけられているみたいに、しおたれている。

あんたたち二人もおれと同じくらい嫌われているみたいだな。
ハンサムで魅力的だと、嫌われることもあってね。


手洗い所に入ったおれは、すぐに自分の顔を鏡で確かめた。そのあまりの凄さに鏡が割れなかったのが不思議なくらいだ。

彼の筆が見事なタペストリーを織り上げるとしたら、おれの不器用な文章がつくるのはつまらない糸の結び目みたいな代物だ。

ゴマをあまりにすりすぎたせいで、ゴマはペーストになっちまいそうだった。

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『荒野のホームズ』
19世紀のアメリカ西部を舞台に、社会の底辺にいると言ってもよいカウボーイの兄弟二人(一日1ドルの日雇いで仕事を探しているくらいの社会の底辺度合いだ)が大活躍する、風変わりなことこの上ないミスマッチさがコメディ風味を生み出しているミステリ小説だ。この兄弟、とても仲がよく互いを認めて支えあって生きている。何せ、他に居た兄弟姉妹のみならず、両親までも洪水で亡くしてしまった境遇だから。兄は27歳だが72歳と言っても通じるくらいの風貌と弟は言うが、シャーロック・ホームズの大ファンにして、ホームズの観察眼と推理力を真似て事件の真相に迫っていく。弟の役割は、一つは力仕事。ビックレッドと呼ばれているくらい大柄(本人の伝によると、家の屋根には背が届かない程度の大柄らしい)で、しかも字が読める。この特技を活かして、雑誌に掲載されているホームズの活躍を兄、オ-ルド・レッドに読み聞かせた結果、兄の異才が覚醒したようだ。弟、ビッグ・レッドの目と口を通して、物語は進む。カウボーイらしく無駄口を叩くのが大好きで話がしょっちゅう横道に逸れるのだが、それが又カウボーイのお話しらしくて興が乗ってくるというもの。

仕事にあぶれた二人が雇われたのが、訳有りの牧場。所有者のイギリス貴族が遠くにいるのをいいことに、働いている男どもはやりたい放題で資産をちょろまかしている。そんなところに所有者であるイギリス貴族の一団が現れ、事件が勃発。蛇のように邪悪で疑り深い雇い主の目を掠めながら、オールド・レッドは証拠集めを進めて、見事にいけ好かない貴族の爺さま一団と雇い主たちを鼻を明かしてくれる。

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牧場で雇われているコックはスエーデン人で英語があまり話せない。その様子が、カウボーイ的にはこのような表現になるようだ。
「どうやら、そいつの喋る英語は、魚が口笛を吹いたらこんなもんだって程度らしい。」
こういった変てこだが愉しい比喩や言い回しが随所に出てくるミステリはそうは無い。西部のカウボーイとホームズ流推理、この二つ自体がアンマッチなのだが、その上字すら読めない無学なカウボーイとなるとミスマッチさが増大されてこの上ない愉しさになる。それが、このシリーズの持ち味です。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その8 ビル・スミス&リディア・チン(S・J・ローザン著)

2023年06月30日 | パルプ小説を愉しむ
今度はリディアがメインとなる第11話『ゴースト・ヒーロー』では、リディアにアート関連の捜査依頼が舞い込む。依頼主は現代中国アートで一角の人物になろうとしている白人コレクター。アートにずぶの素人であるにも拘わらず何故依頼されるのか不審に思いつつも依頼を受けるリディア。早速ビルに相談するのだが、その時のリディアの頭の冴えはすごい。富裕であることを装って入るが、着ているものが既製品のスーツ(高級品だが)、連絡先のみで職業が書いていない名刺、連絡先はプリペイド携帯、絵自体に興味を持っているように思えない依頼主の話しっぷり、そして気前の良い料金支払い。依頼主すら疑ってかかっている時点で、探偵という職業に向いていることが分かる。依頼は、天安門事件で死んだはずのアーティストの絵の新作がを手に入れたいというもの。反体制のヒーローだったチャン・チョウ、別名ゴーストヒーロー・チョウの新作を。相談を受けたビルはリディアを連れてある人物に会いに行く。アート関係を専門に扱う私立探偵、ジャック・リーというアメリカ生まれの中国系2世。ジャックとビルはソーホーのギャラリーのオープニングパーティで知り合って意気投合したのだとか。驚くことに、ジャックもチャン・チョウの新作の噂を耳にした人物から依頼を受けていた。依頼者は別だったので、3人は共同戦線を張ることにした。ジャックの依頼主はNYUの教授のバーナード・ヤン。現代中国アートの権威であるヤン教授は、天安門事件の際に義兄弟同然であったチャンが死に水を取ったのだという。ヤン教授の娘のアンナは、中国で反体制ゆえに投獄されている詩人のマイク・リウというのだから、話は一騎に政治がらみのきな臭さを帯びてくる。新作を見たことがある人を知っているというフワフワした話を確かめに画廊を回るリディアとビル。ビルは金なら腐るほど持っているロシアン・マフィア、リディアはそのアート・コンサルタントという触れ込み。ビルのロシア訛りの英語をそれらしくするために訳者は苦労したのだろうな。会話対だけなら、片田舎から出てきた抜け作みたいな言葉遣いだ。フワフワした話の出所の別の画廊にも同じ設定で2人は乗り込む。受付係をたらし込むビルと、そんなことが気になるわけないでしょ!的に熱くなるリディア。そこに中国系探偵のジャックも参加し、ジャックの言動も気になるリディアは急なモテ期に突入して二股状態となる。そんな所に、依頼主に手を引くように依頼して欲しい、依頼料は1万ドルと持ち掛けて中国人、そして手を引けと脅してくる中国マフィアも登場する。話が錯綜する中で、捜査スケールがどんどんと膨れ上がっていく様は、作者の腕の冴えている証拠。噂の出所はヤン教授の娘のアンナが作った贋作が元だったことを突き止めるが、いけ好かない画廊主が肝心の絵を盗み出してしまう。真作だと鑑定するように父親のヤン教授に圧力をかけて濡れ手に粟を狙う画廊主と苦境に陥ったヤン教授一家。ここでリディアが打開策を思いつく。その打開策というのは、ロス・トーマスの小説並み、『華麗なるペテン師』並みの引っ掛けだった。出世狙いの国務省中間管理職だったリディアの依頼主、手を引くように金を積んできたのは中国領事館の文化担当官、このところ事業不振のいけ好かない画廊に金を貸している中国マフィアは資金を無事に回収したい、これらの絡み合った登場人物全員の裏をかいてヤン教授一家を救い出す方法にリディアとビルとジャック、そしてヤン教授自身も飛び込む。娘が描いた贋作と交換に手持ちの真作を手渡す教授、噂の作品が贋作だが新たな真作が世に出たことで死んだはずの反体制派画家が生きていると思わされた国務省役人と中国領事館担当者は米国と中国が協力して進めようとしているアートウィークが政治的に困ったものになってしまう。国家権力をかざして3人に襲い掛かる国務省役人だったが、画家本人は合法的にアメリカ市民権を取得したと聞かさて今度は入国を斡旋した黒幕を差し出すように圧力をかけて出世に繋がる自分の手柄をなんとして得ようとする。リディアが出した最後のカギは、いけ好かない画廊主。中国本土に頻繁に出入りすることを現代中国アート界での力の源としていた画廊主は、これで中国政府から好ましからざる人物と烙印がおされて地位を失う。国務省役人と中国領事館館員は黙るしかなくなる。そして脅されていたヤン教授一家の憂いはなくなった。

「そのとき芽生えた麗しき友情が、隣のバーで確固たるものになった」
ビルとジャックが知り合い親交を深め合ったエピソードが披露された折のビルの台詞。「カサブランカ」の最終シーンの台詞をもじっている。これだけではなく、ローン・レンジャーとトントが出てくるは、TV番組や小説やらがあちらこちらに顔を出して、会話に色を加えてくる愉しみも味合わせてくれる。

「中国人の十八番だろう」
「中国人をバカにしているのね」
「ぼくの存在価値を確かめたかったのさ」

これはビルとリディアのいつもながらの掛け合い。この2人だけではなく、
「あなたが脚線美で陀ぐ・ヘイグの注意を惹きつけているあいだに、ビルがギャラリーに忍び込んで絵を取り返す」
あなたに脚を見せた覚えはないわ」
「想像力を使えと言ったから」

こんな掛け合いがされるほど、リディアとジャックの仲も盛り上げってくる。「想像力を使え」とリディアに言われたことを逆襲の手に使う頭の良さ、これも演出の一部。

自分を信じるかと訊く人は信じないことにしているの
探偵としてのリディアの矜持というか信念、それとも生き抜いてきた中で得た人生訓というべきか。

「ていうか、入手できないのが考えられない立場なんだよ。どういう意味かわかるか」
ロシアンマフィアに扮したビルがいけ好かない画廊主に対して言う台詞。金と力があるんだぞ、ということを暗に示しつつも、言った本人のお頭の良さは今一つであることを分からせるように非常に上手に化けているビル、というか作者の腕の冴えだね。

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第10話『この声が届く先』を読み始めてすぐに感じたことは、「このシリーズはこんなハードボイルドっぽかったけ」という疑問符だった。ブラームスのソナタを練習しているビルの元に電話がかかってくる。着信音はワーグナーのワルキューレの騎行。
朗々と響く重厚な和音は携帯電話の軽やかなメロディーを圧倒した。(中略)ワーグナーがブラームスに勝るのは、それがリディア・チンを意味するときだけだ。
短い文章が並べられてビルの状況が描写される冒頭の2つの段落は、とてもハードボイルドなタッチ。リディアからの電話からは、ボイスチェンジャーを使った声がリディアを誘拐したと伝え、リディアも「最悪よ」と自身の生存を伝えるメッセージを口にする。誘拐犯はゲームをしようと提案し、時間は12時間と切る。商品はリディアを無事に救出できるかどうかだ。思わず引き込まれたまま、一気に読み進む。家のドアノブにゴミ袋がぶら下がり、中にゴミかと思うような品々が入れられている。スタバの紙コップ、鉄道の切符、煙草の空き箱、食料品店のレシートは、犯人から与えられたゲームのヒントだ。過去に担当した事件でビルを恨んでいる奴だろうと検討はつくものの、電話の中でリディアが口にした情報から犯人像を描いてみるが、誰なのか分からない。リディアの従兄のライナスに電話をかけて協力を依頼する。コンピューター関連の事業を起業したライナスは、同時の人的ネットワークを使って電話の発信元を探り出すが、それだけでは謎が解けない。ライナスのガールフレンドのイタリア系女性で行動派のトレラもここから一緒に行動を始める。何とかヒントを元に示された場所に言っていると、中国系女性の死体が転がっていた。発見と同時に警官に包囲され、殺人容疑で捕まりそうになったビルは警官に手向かって逃走。これで罪状が重くなる。すると、そこに突然現れる中国系マフィアのボスのルー。ルーが支配する売春宿の女が被害者だった。従えた大男のボディーガードに痛めつけられたビルは本当のことを言うが、信じてもらえない。拉致されたビルが入れられた車を止めたのは、これまたリディアの親戚の女警官、メアリーだった。トレラから連絡を受けたメアリーが張っていた場所を運よく通過した車を止めて、指名手配犯を装うことでビルを逮捕することで救った。リディアの誘拐を警察に任せたくないというビルの強い要望に時間制限を設けることで、メアリーはビルを逃がす。そこに、犯人から次のヒントが与えられる。向かった先のコンドミニアムの部屋に拉致されていた中国系女性は、こちらもルーの配下の売春婦。その女の隣には時限爆弾が仕掛けられている。爆発まで寸でのところで女を救出できたビル。そこへ、またもや電話がかかってくる。目の前で女が死ぬように仕組んだ男の狙いは何か?そしてリデャアが監禁されている場所はどこか。救い出した女を近くの救急病院まで運ぶことをライナスたちに依頼して、次なるヒント解きを始める。男の会話から思い起こされる犯人像に合致するのは、異常に勝ちにこだわるゲーム好きの男のケヴィン。ケヴィンの昔の知り合いにあたってみたところ、誰も知らないという。しかし、そのうちの一人のところに隠しカメラが設置されていて、ビルが正体をしったことがケヴィンに伝わる。ビルが多少盛り返して、ここからゲームは後半へとなだれ込む。次のヒントをライナスやトレラと3人で解いたビルが向かった先に仕掛けられていたのは、潮の干潮で縛られた女(これも中国系)が海に落ちるように設定されていたトラップ。一人では救えないが、泳げないライナスに変わって飼い犬のウーフにひと役買ってもらって何とか救助成功したものの、そこへまたもやルーと用心棒が登場。助かられた女が言ったことで、ビルの犯行ではないと思うようになったルーは、ビルとライナス、ウーフを自分のアジトの一つへ連れていく。もちろん中華街の中の高級売春館。ビルはこの辺りで顔を知られているために、警察に一報が入る。警官に包囲された中を、伝説の地下トンネルを通って、ルーたちとビル、ライナスは逃亡を続ける。ここからは、ルーたちも味方になる。昔のケヴィンの顔をフォトショップで加工して今の顔をライナスが作り上げる。それを配下にばらまくルーと、ツイッターを使ってフォロワーたちの協力を得ることで、ケヴィンの居場所をあぶりだそうとする企みが見事にあたって、ダウンタウンを歩いているケヴィンを見つけたものの、そこへルーたちが現れて折角の機会を失ってしまう。この場がとても良い。建物んの屋上に追い込まれたケヴィンが飛び降りると脅す中、言葉でさんざん挑発して屋上縁から出させようとするビルだったが、リディアが監禁されている部屋に取り付けた毒ガス装置を携帯電話で起動させることができると聞かされて一瞬たじろいだ際に、隣にビルへと飛び移って逃亡するケヴィン。ルーの用心棒が追うが取り逃がしてしまう。逃亡する間際に投げ捨てた携帯電話をトレラがダイビングして掴むが、建物の壁面に設けられた旗竿を掴むことで落下せずに済んだトレラ。トレラは旗竿があることを測ってダイブしていた。トレラを助けるためにルーと用心棒の手を借りるビル。敵対者同志が和解して真の協力関係に入った感動的な場面だ。電話発信先を割り出し、ケヴィンの性癖を付け足すことで、リディアの監禁場所が改装中のビルの中だと突き止め、事態を把握した警官たちと一緒に現場へと向かう。リディアが監禁されている地下の一室のカギを開けた瞬間、ビルだけがケヴィンに部屋に引きずれり込まれる。1対1の対決となったものの、長時間は知り廻ったビルは体力の限界。一方的に殴られけられるビルに加勢したのは、鎖に繋がれているリディアだった。ビルを戦っているケヴィンの後ろから股間を蹴り上げ、倒れたケヴィンをビルが殴り続ける。ふと気づくとリディアがビルの脇腹を蹴っている。早くドアを開けて警官隊を入れ、毒ガス撤去しろと促す。警官隊が突入して救い出されるビルとリディアが、病院を退院して連絡を取り合う最終章。こので二人の仲の今後の進展させる予感で余韻を持たせたまま、第10話が終わる。うーん、渋い、渋すぎる。一気呵成のノンストップ・クライムサスペンスだった。

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ちょっと跳んで第7話『天を映す早瀬』。港北図書館にあったこのシリーズで一番若い番号で未読のものがこれだったから。奇数回の今回はリディアが語る番。NYのチャイナタウンで尊敬される人物であると共にリディアの祖父の親友だったガオおじいさんから依頼を受けて、リディアとビルは香港に飛ぶ。ガオおじいさんの香港時代からのもう一人の親友が死んだので、形見の翡翠を香港の孫に渡して欲しい、遺骨を香港の墓に埋葬して欲しいという依頼。何の問題もなさそうな簡単な依頼なのだが、よりによってリディアとビルの二人が指名された。簡単な任務のはずだったが、相手の家族に会ってみると息子が誘拐されていた。息子の返却と交換でガオおじいさんから渡された翡翠のペンダントを渡せと。宝石店で鑑定してもらっても大した値打ちのものではない。裏に何かあるとみたリディアとビルは捜査を開始。すると、別口の脅迫電話がかかって来て200万ドル支払えとの要求。ますますおかしい。一緒に消えた子守りのフィリピン女性も失踪したままだ。彼女が仕組んだのか、それとも子供と一緒に誘拐されたのか。米国アラバマ育ちの現地刑事も加わって捜査を進めるが、一向に埒が明かない。地元ギャングのボスも絡んで、カンフーを使う手下どもがビルを拉致する。ビルを返して欲しければ、息子の行方を探し出せとリディアの要求。ギャングが誘拐犯でなければ誰が誘拐したのか、そしてギャングの狙いは?

NYで亡くなったウェイ・ヤオシーが弟と営んでいた貿易事業に密輸が絡んでいた。ウェイの弟がギャングのボスと組んで中国本土から盗掘した価値ある埋蔵品を輸入していた。新たな事業主になるウェイの息子スティーブに恩を着せて操りたいと言うのがギャングのボスの考え。誘拐は狂言で、密輸の当事者であった弟がスティーブに入荷を邪魔されないように子供を連れて2・3日遊びに行くように強要したところ、怪しんんだ子守りが自分の考えで身を隠したのだった。子守りの恋人が子供時代に習っていた離島のカンフー道場に目星をつけたリディアは組んでいる刑事と乗り込む。子供はいた。さすがにボスは別の道も作って有、直接スティーブと交渉して配下に入れることに成功していたので、ビルは痛めつけられながら無事に戻された。

「黒雲が雨一滴落とさずに通り過ぎるかと思えば、雲ひとつない晴天の日に堤防が壊れて村を洪水が襲うこともあるのだよ」
なぜ私なの?と尋ねたリディアにガオおじいさんが説明するのがこの台詞。要は、見た目とは違って何が起こるかは誰にも分からない、という意味なのが、そう言うよりも奥が深そうに聞こえるのが不思議だ。ガオおじいさんはこの手の例え話をよく使う。題名の『天を映す早瀬』だっておじいさんがいった「早瀬は天を映さない」から取っている。中国四千年の人智が凝縮された箴言にアメリカ人は思えるのだろう。私も年を取ったので、直接的に簡潔に説明するよりもこの手の予言めいた箴言を言ってみるようにしよう。文章は説明口調にならず、コンパクトかつインパクトある文章にする必要があるが。

「ぼくの生まれ故郷では、占い師は善良で敬虔な信徒の目の敵にされていた」
「あなたの生まれ故郷では、占いよりもっと抽象的な神学論に傾倒して、日常生活で不可解な出来事が起きても無視していたのよ」

占いというものに懐疑的なアメリカ人のビルに対するリディアの論法。これって一種のディベートだね。相手の論拠を崩すのに、自分に都合の良い論拠に拠って反論を組み上げているのだから。その論拠はアメリカ人には到底受け入れられないものであったとしても、文化の違いや4千年の歴史に裏打ちされた人智の極致であるという自信のもとに堂々と主張している。これだよ、いかにロジカルに話すかよりも、自分にとって都合のよい論拠を堂々と振り回す度胸だよ。

「当店ではお客様の美しさにいささかなりとも近づけるものだけを、吟味して提供するようにしているんですよ」
持参した翡翠の値打ちを鑑定したもらおうと入った宝石店が、素晴らしい宝石類を飾っていたことをリディアが口にした時の店主の返事。謙遜しつつも、相手を賛美し、自分たちの自慢もそれとなく塗している。

「あなたは兄上に贈り物をしたいという。だが兄上の趣味や、どんなものを喜ぶのかも知らない。だったらともに時間を過ごし、兄上自身やその価値観についてもっと知ったほうがいい。そうすれば、品物ではなく、いっしょに過ごす時間が一番の贈り物だと悟ることができるでしょう」
ギャングのボス・リーと対面しようと、アメリカからの旅行者を装ってリーが営む古物を訪れたリディアに対して、リーが与えるアドバイス。この台詞で悪役度が一気に何倍にも膨れ上がった。相手の嘘を見破ったのみならず、参ったとした言いようのないアドバイスを垂れる。

神々はこの種の会話に聞き耳を立て、そこに目に余る不遜な態度を認めれば、いつの日にか必ず天罰を下してその輩に破滅をもたらすのだから。
事件解決後に謙遜の態度を忘れないリディア。なぜなら、リディアが解決したのはほんの僅かでしかなく、そのことを何十倍にも膨らませて自慢話にしてしまわない慎み深さを持つリディア。その裏にある東洋人ならでは謙虚さを尊ぶ気持ちを、唯一の絶対神を信じるアメリカ人に対して分かりやすく、そして聖書の教えらしく語っている。東洋から西洋に対する言論の手本のような台詞の一つだ。

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3作目『新生の街』はリディア・チンが物語る回となり、ハードボイルドタッチが減る、とは言ってもコージーミステリーのようなお気楽さはない。なぜなら、リディアもニューヨークのマンハッタンで開業する私立探偵だから。ビル・スミスよりも経験は少ないが、事件に真摯に向き合う。兄のアンドリューの友人の新進ファッションデザイナーであるジェンナ・ジンが新作ファッションショー目前に根済まれた新作コレクションのスケッチブックを取り戻して欲しいとの依頼をうけた。5万ドルの受け渡し役として現場に出向いたリディアは、指定されたようにゴミ箱に5万ドルが入った封筒を入れたところ、何者かに狙撃される。張り込んでいた同僚のビス・スミスは狙撃相手を追っている間に、5万ドルが入った封筒は紛失。面子を失くしてしまったリディアは意地で捜査を継続する。そもそも誰が盗んだのか。身内を洗い、ジェンナを支える金持ち名家の御曹司、ジョン・ライアンを追って時代の最先端を行くクラブへ潜入。そこでモデルエージェンシを経営する男から声をかけられた上に、ジョンが別のモデルと密会している現場を目撃。何やら金を渡している。そのモデルは、ジェンナがショーで使う予定のアンディー・シェクターというモデル。ジェンナが信頼することこの上ないジョンが何をしているのか。声をかけられたエージェンシーに出向き、モデル志望と偽る。社長はヘアデザイナーを紹介して髪型を変えるように指示。エージェンシーの支払いで有名ヘアデザイナーに髪を切ってもらいイケてる髪型になったリディアにビルはびっくり。ヘアカットもモデルの履歴書といえるブック用の写真撮影もエージェンシー負担という都合のよい話には裏があり、このエージェンシーはモデル斡旋業ではなく、エージェンシー負担で色々と揃えた上で仕事のために有力者を紹介するという触れ込みで売春斡旋している会社だった。ショー直前で辞めていったプロデューサーのウェィン・ルイスも容疑者として浮上したので家まで訪ねて行ったところ、殺されていた直後だった。関連を追ううちに仲たがいしているリディアの妹に行き当たる。モデルということだが見つからない。芸名を使っている可能性も考えて捜査をするとある女性が浮かび上がる。コンタクトに成功すると、やはりリディアの妹のドーンだったが、モデルではなく高級コールガールをしていた。殺されたウェインはドーンが雇っていた連絡役兼会計係だという。ドーンの家に忍び込んだ二人は、ドーンが残しているはずの電子メモ帳がないことに気付く。そんな中、ジェンナに再度5万ドルの要求がある。受け渡し役としてジョンが出向いたところ、ジョンが拉致されて100万ドルの身代金を要求されてしまったとジェンナから聞かされたリディアは、ジェンナと共にジョンの母親を訪れて金を貸してもらえるように交渉する。ジェンナとジョンの付き合いに反対している母親は、100万ドルを出す見返りにジョンとは二度と会わないことを条件とする。ジョンの命を救うためにその要求をのみ、金を引き渡し場所へ運ぶリディア。ダウンタウンのさびれたビルの中で、ジョンを拉致した2人組とリディア・ビルとの銃撃が始まる。1人は倒したものの、ジョンを人質としているために形勢不利なところに思いもよらない助っ人が登場。リディアの妹のドーンが突然現れて、もう一人を倒す。犯人はモデルのアンディーとリディアの兄の友人のローランド・ラムだった。元々は、リディアにいい恰好したいジョンがローランドを巻き込んで仕組んだ芝居。信託基金を支配してジョンに自由に金を使わせないようにしている母親を騙して、金を出させようとした芝居だったが、自分が経営する縫製工場に嫌気がさしたローランドは金を独り占めしようと画策したところから歯車が狂って話が妙な方向に行ってしまっていたのだった。すべてが判明した時点で、ジョンはリディアの元を去っていく。そしてリディアとビルは目出度く事件を解決したのだった。

思わず食べてしまいたくなりそうなクリームがかった白いウール地の脇には、ずっしりした質感を持つ革の切れ端が五種類留めてあった。金、銀、赤のメタリックな布切れが光沢のある黒い絹の上に縦、横、斜めに交差している。絹には、月光に照らされた池の表に立つさざ波のごとくに、泡立ち、消えていく地紋があった。
ファッションを取り扱う回らしく、布生地の表現が詩的だ。ビルの回だったら、こんな表現は出てこないだろう。そして、風景についてもこんな描写がある。事件捜査中の一種の箸休め的な風景描写だ。
五感をいくら働かせても、ニューヨークが陸に囲まれているとしか思えないときがある。四方八方に陸地が延々と続く、大草原にぽつんとある街か、平原地の真ん中の市に住んでいる、そんなふうに・・・・。ところが、また別のときにはーーそよ風と水の匂いが香り、やかましく鳴くカモメが西から東に雲を追いかける、明るい春の朝にはーーここが、大洋に注ぎ込む川に囲まれた大陸の岸辺であることに突如思い当たる。

直感は神秘的なものでも、摩訶不思議なものでもない。単に普段は意識していないというだけの、経験の賜物である。
丁度、ユング心理学の本を読んでいるところだったの、意識と無意識についての台詞に敏感になっていた。大海のような無意識の世界から突然に湧き出す直感をリディアはこのように信じているんだなぁ、と。

しかし母は、偶然という概念は、世の中というものに底なしにうとい西洋人が作り出した絵空事だと信じている。さらみは、中国人をだますために異邦人が編み出した質の悪い計略ーーつまり西洋人はそんな概念を作り出すほどずる賢く、同時に、効き目があると思うほど間抜けだとことになるのだがーーであるとも。
リディアが母親のものの考え方についてこういっている。アメリカに移民として渡ったものの、中国人としての気概と自尊心と中華思想にどっぷりと染まっている様がよくわかる。また、このように言うことで、リディアが代表する中国系の人物を浮き立たせる役目も果たしている。

「どちらとも言えないわ。両方かもしれない。どっちでもないかもしれない。その中間かもしれない」
「何かを決めようってときのそういうあいまいな態度が、君たち中国人のおもしろいところだ」
「西洋人は融通がきかなくて、なんでも白か黒かに決めつけようとするから、外見だけで判断する視野の狭い人種になっちゃうのよ。ある意味では、それが地球をまっしぐらに破滅に導いているんだわ」

ビルとリディアの掛け合いだが、これも中国系とアメリカ人との考え方の相違をデフォルメして見せてることで、このコンビの面白さを際立たせることに成功している。

わたしは、全然考えないというわけではないが、本当に深く考える前に行動に移してしまう。ビルはそれよりも、まず湯気の匂いを嗅ぎ、レシピを調べる。
リディアが考える2人の思考と行動パターンの違い。すぐ行動に移してしまうリディアの性癖に」くらべて、ビルの性癖の表現はだいぶ比喩的だ。「まずは状況を把握して」ではなく、「匂いを嗅ぐ」という言い方、手練れが表現するとこういうレトリックになるのかという良い見本。

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50代の白人男性と若い中国人女性がコンビを組んで事件解決にあたる探偵ものといえば、何年か前に『チャイナ・タウン』という小説を読んだなという記憶が頭の片隅に残っていた。今回読んだ『ピアノ・ソナタ』は『チャイナ・タウン』に続くシリーズの2作目。ボケをかます男にしっかり者の女がツッコミを入れるというコメディタッチの物語だったと記憶していたのだが、この『ピアノ・ソナタ』を読み進めるうちに間違った記憶をしていたことに気付いた。なにせ、この『ピアノ・ソナタ』はハードボイルドの要素が満載なのだ。大排気量の車をゆっくりと運転している」ゆとりと言うか、ヘヴィー級チャンピオンが軽く縄跳びをしていながら「いつでも全力出せるぜ」的な底知れぬ力を秘めた余裕が文章の底辺に流れている、そんな感じ。物語は50代の白人男性の一人称で進む。今は独り者だが、以前は結婚していて一人娘が交通事故で亡くなった夢で明け方に目が覚めることがたびたび。そんな時はピアノを弾くのだそうだ。今はシューベルトの変ロ長調にはまっている。
今朝四時に心臓が早鐘のようにうち、顔を汗びっしょりにして夢から飛び起きた後も弾こうとしてみた。お馴染みの夢だった。それを見た後は眠れないが、たいていピアノは弾ける。だが、今朝はまったく駄目だった。

謎、そして影のあるこの男、ビル・スミスが昔世話になった人から調査を依頼される。警備員をしていた彼の甥っ子がはたらいていた老人ホームで殴り殺される事件が起こり、真相を暴いて欲しいと。警備員として施設に入り込んで色々と嗅ぎまわる。施設があるのはNYのブロンクス。施設は厳重に警備されてはいるものの周りは犯罪多発地帯。コブラという黒人犯罪集団が地元を仕切る。勤務開始初日に、スネークたちにぼこぼこにしている男を助ける。助けるといっても当人もボコボコにされる。銃を出してその場をやっと切り抜けるという体たらくさ。超人的なスーパーヒーローではなく、ちゃんとした普通の人間らしい設定にしてある。並みの人間にして影がある男、これこそハードボイルド。助けた男は同じ施設の用土品チームで働く男で元スネークの一員だった黒人。この男が色々と助けてくれる。そして、一癖ある入所者の一人、元ピアノ教師のアイダ・ゴールドスタインも主人公を気に入ってくれて、彼女なりのマナーで助けてくれる。そうこうしているうちに第二の殺人事件。夜間部門の警備主任が、前回と同様に殴り殺された上に足を銃で撃たれていた。警察は黒人犯罪集団の仕業とにらみ、ボスのスネークをあげようと躍起になる。二案目の被害者のロッカーから5千ドルのキャッシュを発見したビルはメモを残す。何かがこの施設で行われている。色々と嗅ぎまわるが真相には行き届かない。不信な車に備考されたり、コブラから呼び出されてヤキを入れられたり、踏んだり蹴ったりのビルの多難が続く。そんな中、アイダの手引きで施設の隠された地下室に入り込んだビルは、ここが盗品売買の倉庫代わりに使われていることを発見する。用土品係の主任の副業がそれで、二番目に殺された夜間の警備主任は袖の下をもらうことで目こぼしをしていたのだった。加えて、厳格な管理をすることで嫌われていた施設の管理責任者が
補助金を詐取していたことも見つける。終盤間際になって各種の犯罪がこの施設で行われていることを暴くが殺人事件の犯人は分からない。コブラに呼び出されて再度ヤキをいれられてしまったビルが施設にやっとこことで帰り着くと、そこで襲われて殺されそうになる。助けたのが、相棒のリディアと昼間帆警備主任。彼らのおかげで殺されずにすんだビルは、覚えていた襲撃者の姿かたちと推理から、犯人はコブラの副リーダーだち暴く。施設に対して「保険」として月千ドル要求したのだが、その副リーダーはさらに五百ドルを上乗せして要求し、受取役の夜間警備主任と二人で上前を撥ねていた。分け前を増やせ、さもないとボスにばらすと脅されて犯行に及んだもの。しかも最初の殺人は、真相に気付いた警備担当を夜間主任が殺していた。これで依頼された事件の真相が究明された。

朝の光に輝くまばゆいばかりの沈床園の向こうに、プロンクス・ホーム養老院の三階建て石灰岩造りの棟が、庭の両側にそびえる塀ちかくまで延びていた。太陽が中央棟の背の高い窓に反射し、屋根のタイルをきらめかせる。石造りの広いポーチが曲線を描いて庭にせり出していた。
初出社の日に見た施設の印象がこれ。どうってことない描写なのだが、建物のイメージをしっかりと持たせてくれる良い文章だと思った。

勘定をすませ、リディアと共に黄昏れ始めた外へ出た。レンガ造りの建物が連なる上の空に霞がかかり、太陽が低い位置から黄金に赤をちりばめた光を放っていた。
こちらもそう。こんなふうに身の周りの景色を軽々と描写するとことが、軽く縄跳びするヘビー級チャンピオンを感じさせてくれる。

「明日は、ずいぶん仕事がありそう。こっちが書類仕事に浸かっているあいだ、何するつもり?」
「きみが愛してくれないから、さめざめ泣いているさ。」
彼女はにやっと笑っボビーを見やり、馘を振った。いつものように、わたしがふざけたと思っている。


「イーストチェスターがウェストチェスターにあるの知ってた?」
「ああ。きみがきれいで、ぼくが首ったけだって、知ってたかい。」
「ビル、ちょっと、いい加減にしてよ。」
「悪かった、ごめん。さりげなく言っときゃ、気がつかないと思ったんだ。」

昔読んだ一作目はこんな会話が随所にあったような気がする。コメディタッチのミステリものと記憶していたのはそのせいだろう。

「この事業は、誰かがやらなければならないんだ。まったくの無駄骨なんじゃないかって思えることもあるがね。たいてんそんなふうだって言った方がいいかな。出血しているところに、バンドエイドを貼るようなもんだ。検討はずれの治療法だし、そのバンドエイドにさえ事欠く有様さ。だが、それが手元にあるなら、そしてそれしかないんだったら、やってみないわけにはいかんだろう?」
こう言う施設責任者にして人権保護の活動家の元弁護士に反論してみようとしたビルに対して、元弁護士が言い放つ。
「そういう意見は聞き飽きたよ。目の前で患者が出血死しそうな時に言ってみるんだな」

「もし、ロビン・フッドが単なる盗人以上の人間かと思うかってきいてるなら、違うって答える。もし、ドクター・マドセンみたいのがたくさんいて、ミセス・ウィルコフみたいなのが少なければ、世の中は住みよくなるかってきいてるなら、そうだって答える。」
ロビン・フッドって普通はヒーローだと見なされていると思っていたのだが、それは一方的な勘違いだったのか。

後書きを読んで知ったことだが、このシリーズは一作ごとに語り手が交代するらしい。ということは、一作目はリディアの目から見た物語だったのか。だから、ビルの軽口が多く、そのことからコメディーっぽい作品と思ったことが判明した。









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『失楽園』ジョン・ミルトン著

2023年06月08日 | 読書雑感
「善を為すのも為さないのもわたしの自由であり、必然も偶然も、わたしに手を触れることはできぬ。わたしがわが意志と示すものこそ、運命なのだ」(第七章)

「最初わたしが人間を創造った時、彼に幸福と不死という二つの佳き賜物を与えておいたのだが、その幸福がむなしく失われてしまった。そうなれば、残ったもう一方の賜物である不死も、人間の苦悩をただ永遠ならしめるのに役立つにすぎなくなり。わたしが『死』をあてがってやるまでは、その苦悩は続こう。そうだとすれば『死』は人間の最後の救いの道ということになろう。人間が苛烈な苦難の試練を経、信仰と信仰の業によって浄められてこの世の生を終えたのち、正しきものの復活の機会が来るに及んで眠っているその人間を呼び醒まし、再び新しくなった天と地とともに、第二の生命へと甦らせるもの、それが『死』だ。」(第十一章)

「その死という傷を癒やすことのできる方こそ、お前の救主として来り給う方だ、それもサタンその者を滅ぼすことによってではなく、お前とお前の子孫のうちに働くサタンの業を亡ぼすことによって癒やし給うのだ。そしてこのことは、死の刑罰を条件として課せられた、神の律法への服従という、お前にはできなかった務めを救主がてゃたされることによって、また、お前の罪過と、そしてそれから生ずるお前の子孫の罪過とに当然課せられなければならぬ刑罰としての市の苦難を、自ら負われることによってのみ可能なのだ。(中略)主の市は人間のための、ーそうだ、贈られた永遠の生命に感謝し、その恵みを善き業を伴う信仰によって受け入れるすべての人々のための、死だ。この神々しい行為が、罪に沈淪して生命から永久に見放されたお前の宿命を、お前の当然死ぬべかりし死を、抹消する。この行為がサタンの頭を砕き、その力を粉砕し、その両腕として猛威を揮っていた『罪』と『死』を亡ぼし、この両者のもっていた針を彼の頭に深く差し込む。死は眠りに似ている。死は永遠不朽の生命への静かな移行に他ならない。」(第十二章)
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