「鉄道マンとして判断の甘さがあった」というのが、しばしばJR西から聞かれる言葉だ。ここに違和感を感じるのは、“重箱の隅をつつき過ぎ”だろうか・・・。
「甘さ」というのは、考えていないわけではなかったが、十分ではなかった、認識が足りなかった、といったニュアンスだ。もう少し徹底していれば防げた、こんな事態には至らなかった、というふうに、自分たちを擁護する響きがある。
遺族もそう思うだろうか・・・。甘いか辛いかじゃなくて、認識が欠落していたか、判断が誤りだった、というべきではないのだろうか。いまだに「甘かった」ということ自体が、甘いんじゃないかと。
自分は「鉄道マン」だという時に、何を誇っているんでしょうか? 現役でも、退職者でもいい。教えて欲しい。台車の点検一筋に30年やってきました、なんて言われると、おかげさまでいつもJRを利用させていただいています、なんてつい感謝してしまうだろう。そればかりではないはず。
「少ない人員と少ない投資で利益を上げて・・・」ということを第一に言ってきた以上、たとえ同時に「安全」をも求めたところで、利益優先がそれを排除してしまうことは容易に予想できるのだ。そこを、いくら「そうじゃない、安全性を無視してまで言っていない」と言ったって、業務のある場面でどちらをとるかの判断すら当事者に任されていない状態なのだから、会社は、具合の悪い原因があれば都合よく社員に押し付けるだろうから、結局社員は自分を守ろうと思い“第一”とされるもの、すなわち利益優先に走らざるをえなくなってしまうのだろう。そう考えると、やはりいろいろな意味で事故は人災なのだと思う。
「甘さ」というのは、考えていないわけではなかったが、十分ではなかった、認識が足りなかった、といったニュアンスだ。もう少し徹底していれば防げた、こんな事態には至らなかった、というふうに、自分たちを擁護する響きがある。
遺族もそう思うだろうか・・・。甘いか辛いかじゃなくて、認識が欠落していたか、判断が誤りだった、というべきではないのだろうか。いまだに「甘かった」ということ自体が、甘いんじゃないかと。
自分は「鉄道マン」だという時に、何を誇っているんでしょうか? 現役でも、退職者でもいい。教えて欲しい。台車の点検一筋に30年やってきました、なんて言われると、おかげさまでいつもJRを利用させていただいています、なんてつい感謝してしまうだろう。そればかりではないはず。
「少ない人員と少ない投資で利益を上げて・・・」ということを第一に言ってきた以上、たとえ同時に「安全」をも求めたところで、利益優先がそれを排除してしまうことは容易に予想できるのだ。そこを、いくら「そうじゃない、安全性を無視してまで言っていない」と言ったって、業務のある場面でどちらをとるかの判断すら当事者に任されていない状態なのだから、会社は、具合の悪い原因があれば都合よく社員に押し付けるだろうから、結局社員は自分を守ろうと思い“第一”とされるもの、すなわち利益優先に走らざるをえなくなってしまうのだろう。そう考えると、やはりいろいろな意味で事故は人災なのだと思う。