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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

旧鳥居村あたり(東海道歩き旅・近江の国)

2024-06-05 | Weblog
 瀬田の唐橋東詰の雲住寺には、ムカデの供養塔があるらしい。
その先には、「俵籐太伝説」の藤原秀郷と龍王を祀る唐橋の鎮守、橋守
神社(勢多橋龍王宮秀郷社)もあったらしいが知らずに通り越して来た。



 西詰を左に折れれば、紫式部所縁の石山寺が甍を構えている。
途中寄った店で、「今紅葉が見頃で賑わっている」と聞かされていたが、
寺迄は1.5㎞程もある。境内を含めれば1時間以上の寄り道で、流石それ
は出来ない。門前のしじみ御飯にもそそられるが、何年か前に一度訪ね
ているのでここは先を急ぐ。



 橋を渡り唐橋前駅を左に見て、京阪石山坂本線の踏切を越える。
東海道は、鳥居川の交差点を右折して、賑やかな石山商店街の通りに入っ
てきた。嘗ての鳥居川村で、現在では大津市鳥居川町である。



 「名物近江鮒、瀬田蜆」が昔から知られ、中でも「源五郎鮒」は天下
の名物と持て囃されていた。今でも近江地方では鮒は知られ、特に郷土
の伝統食として鮒寿司は知名度も高いが、これは「ニゴロフナ」を漬け
た物と聞いたことがある。

 鮒の違いは知らないが、この寿司は通には堪らない美味しさらしいが、
発酵食品は苦手で、未だ食したことが無い。



 東海道はその先で国道1号線を、更に京阪石山坂本線を踏切で越える。
左手近くにJRと京阪の石山駅があり、バスや車が頻繁に行き交う道路
には歩行者や自転車も多い。平面交差の道路ゆえ、遮断機が下りる度に、
車列や人の塊が出来ている。



 今日の歩き予定は、宿の便が良いここまでだ。
この日の宿を電話予約した折、駅の近くで直ぐ分かる、と言っていた。
宿はこの近くにあるはずだ。少し早いがチェックインする。(続)





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俵籐太伝説(東海道歩き旅・近江の国)

2024-06-03 | Weblog


 唐橋を中心とした地は観光地で、川を巡る散歩道が整備され、観光船
も運航し、ホテルや観光旅館等多くの店舗が立地している。
 鰻を初め鮒などの川魚料理、しじみ御飯や鮒寿司、近江牛などを扱う
食事処も見られる。



 『籐太がある日唐橋を渡ろうとした時、橋の上に60mを越す大蛇が横
たわっていた。皆が怯えて橋を渡れない中、悠々と大蛇の背を踏み越え
ていった。』「瀬田の唐橋 俵籐太秀郷むかで退治」と書かれた大きな
説明板が有り、俵籐太伝説が書かれている。



 大蛇は、瀬田川に住む龍王の化身で、勇敢な籐太にお願いをする。
『三上山を七巻半巻いている大ムカデが湖に来て、魚を食い尽くし大変
困っている。しかし凶暴で手がつけられない。退治してもらえないか?』
龍王の化身は、大蛇に変身、勇敢な人物が通り掛かるのを待っていた。



 籐太は、『そんなに困っているのなら退治しようと、弓と3本の矢を
持って立ち上がり、1本目の矢を放つが跳ね返されてしまう。2本目も
同じであった。一計を案じ最後の矢は眉間を狙って放つと見事命中し、
大むかでは消え失せた。』

 お礼にと招待された先は、『瀬田橋の下の竜宮で、一千年余も前から
住み着き近江国の民の暮らしを見守ってきた』という。



 龍王は米俵、巻絹、釣鐘などの宝物を籐太に贈ったが、米は一生でも
食べきれないほどで有った。
又美しい音色が響く鐘は三井寺に奉納したそうだ。

 このことから俵籐太と呼ばれるようになった藤原秀郷は、豪傑の誉れ
高い人物で、弓矢の名手と言われた。
天慶3年(940)の平将門の乱の討伐で知られている。(続)





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