簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

白須賀宿 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-12-25 | Weblog


 東海道32番目の宿場・白須賀は古くは「白菅」とも書かれていたが、
真砂が集まるところから「州賀」の字が当てられていた。
遠州灘に面した海岸にあり、白い灘が広がっている地として「白須賀」
と呼ばれるようになった。



 宝永4(1707)年の大地震による津波の被害を受け、潮見坂下の地
からこの坂上の台地に移され開かれ、やがて人口2,704人、家数613軒、
本陣と脇本陣は各1軒、旅籠は27軒を有する中規模の宿場町となった。
元の宿場は「元白須賀」と呼ばれる立場(旅人や人夫などの休憩場所)
として残されている。



 「おんやど白須賀」を後に、街道を行くと、石碑が何本も立てられた
公園があり、その先に「潮見坂公園」の石碑が立っている。
しかしそれらしい公園は無く、いまその敷地には小学校や中学校が建て
られているが、かつて旧東海道はこの敷地の中を通り抜けていたと言う。
この辺りは、明治天皇行幸の折の休憩地で、木立越しで望む遠州灘は、
「潮見晴嵐」という遠江八景の一つとなっている。



 ここから暫く進むと宿場の中心的な場所となる。
通りを行く車は少なく、人の姿を見ることもまれで閑散としているが、
それらしい落ち着いた雰囲気の平入りの低い家並みが続く道筋には、連
子格子の嵌った古い民家も幾らか残されている。
その内の一つ川原氏宅は、昔の旅籠屋の跡で、建物は湖西市の文化財に
指定されている。



 民家には昔の屋号が書かれた札が掛けられているが、本陣跡、脇本陣
跡や高札場跡などには、当時の遺構は何も残されてはいず、僅かに案内
板で知るのみである。(続)





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