
篠原立場本陣跡、篠原一里塚跡、坪井村高札場跡や、馬郡村高札場跡
などを示すサインを確認しながら西進すると、奈良の春日大明神より勧
進したと伝わる「春日神社」があり、それを過ぎるとやがて前方に松並
木が見えてくる。

やがて道路幅が急に狭まり、有名な舞阪の松並木道に入ってきた。
松並木は慶長9(1604)年、徳川幕府の命により、街道の整備が始まり、
それにより黒松が植えられたのが始まりである。
当地には馬群村の領界から舞阪宿の入口(東の見付)まで、8町40間
(凡そ920m)の間に1,420本の立木があったという。

その主なルートは、大正9(1920)年に「国道路線第一号」となった。
所謂国道1号線であるが、是により道路の整備も進み、多くの松が切り倒
された。その後も台風で倒れ、病害虫や自然枯で朽ち、更に道路の拡幅な
どで減少していった。

そうした環境の変化に耐え、生き残ったのがこの舞阪の松並木である。
現在では700m程の間に、330本程の見事な並木が残されている。
その中には自然発芽したものか、植樹なのかは知らないが、幾らかの若
木も見受けられ、往時の姿を良く留めていると言われている。

今では、道の両側には民家が建て込み、中央を貫く道も県道49号線と
なりアスファルト舗装されていて容赦も無く車が何台も通り過ぎて行く。
思わず排ガスは影響しないのだろうかと考えてしまう。
並木の外側(並木敷)には歩行者用に歩道が設けられているが、出来
ることなら昔の東海道のように並木の真中を歩いてみたいし、それが地
道なら言う事もなく尚嬉しい。(続)



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