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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

東海型河川 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-11-09 | Weblog
 「天竜川 川幅十町許 一ノ瀬、二ノ瀬の二流となる 舟渡也」
と古書に有るとおり信州の諏訪湖を源流とし、太平洋天竜灘(遠州灘)
に流れ出る一級河川で、流れも速く、深みもある事から古くから舟渡し
が行われていた。



 下流域の川には大きな中州が出来ており、川の流れは見付側を小天竜、
浜松側を大天竜と呼び、この中州が舟を乗り換える場になっていた。
その様子は広重描く東海道五十三次之の「見付天竜川図」でも解る。



 その渡しの舟賃は、「武士には舟賃なし 商人百姓には銭六文をとる」
と言われたように、武士が一番偉いとされていた江戸期、武士階級への優
遇に比べ、ここでも身分による扱いの違いがあり、庶民には負担であった。
その船賃も時代による変遷があり、十六文との記録も残されている。



 静岡県内を流れる富士川や大井川、安倍川、天竜川などは、所謂「東
海型河川」と言われ、荒れ川・暴れ川が多く、下流平野では度々洪水災
害が起きている。
普段は比較的穏やかで、水量も少なく徒渡りが出来るような川も、一度
上流で雨ともなると突然大河となって暴れ出す。



 そうなれば当然川留めとなり、徒渡しも舟渡も中止され、旅人はただ
宿場に留まり再開を静かに待つより致し方ない。
旅籠代も嵩み旅人には負担が大きかったようだが、是は武士も庶民も変
わりは無かったようだ。



 この時代でも、どんな基準かは知らないが、土橋や舟橋が架けられて
いた川もある。しかしこれらの橋は、洪水にはめっぽう弱く、一度大水が
出れば流されてしまう。それでも旅人にとって、川に橋は、どんなに有り
難かった事かは想像に難くない。(続)





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