簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

たまかき文書(JR乗り潰し・伯備線)

2016-11-07 | Weblog
 2015年10月、「東寺百合文書」が世界記憶遺産に決まった。
この「東寺百合文書」とは、京都の東寺に、8世紀から18世紀のおよそ1千
年間の長きに渡り伝えられてきた古文書群で、その数はなんと2万5千通に
も及ぶと言われている。
その中には、新見の庄関連の文書も2千点ほど含まれている。



 それらは中世における寺院の運営に関する古文書で、仏教のみならず当
時の社会状況を知る上でも貴重な資料で、歴史的価値も高く国宝に指定さ
れている。



 江戸時代に加賀前田藩から寄贈された百個の桐箱に保存されていること
からこう呼ばれるようになった。
昭和42年に京都府が東寺から購入し、現在では京都府立総合資料館の
収蔵庫に保管されていて、そのWebサイトではそれらの文書を検索し閲覧
することも出来る。



 そのサイトに入り「たまかき」と言うキーワードを入れて検索してみると、
「ゆ函/84/たまかき書状井備中国新見庄代官祐清遺品注文」がヒットする。
これこそ新見の地ゆかりの「たまかき書状」と言われるものだ。





 当時新見では武士の代官による年貢の取り立てが厳しく、農民たちは東
寺から直接代官が派遣されるよう願い出ていて、それがやっとかない着任
したのが「裕清」であった。
しかし、「祐清」の取り立ては以前と変わることもなく厳しかったため、農民
の反感を買い、荘園の見回り中谷内の地で暗殺されてしまった。



 その遺品の整理報告と形見分けを願ったのが、裕清の身の回りの世話を
していた「たまかき」で、東寺に届けた書状が「たまかき文書」である。
中世在郷女子の直筆(異説もあるらしい)文書は、全国的にも珍しいと言う。
駅前には二人の像が、暗殺場所である市内の国道脇には説明板が立てら
れている。(続)



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新見の町(JR乗り潰し・伯備線)

2016-11-04 | Weblog
 新見はJR伯備線の途中駅、姫新線の起点駅、さらに芸備線が乗り入れ
る発着駅として、二面四線を持つ県北部鉄道の基幹駅である。



 新見は岡山県の北西部、標高500m前後の吉備高原と言われる地勢上
に位置し、高梁川と熊谷川の合流地点に栄えた町である。
この周辺は典型的な阿哲台と呼ばれる石灰岩台地で、カルスト台地や「井
倉洞」や「満奇洞」などの鍾乳洞などが点在していて、それが貴重な観光資
源となっている。







 土地柄、産業は石灰石を中心としたものが多く、農業・林業などが主な産
業だ。モモやブドウの栽培や、最近ではチヨウザメの養殖によるキャビアも
あり、ブランド牛と言われる千屋牛も昔から知られていて、市内にも食べさす
店が何軒かある。



 駅前のロータリーの中心には、新見を代表する祭り、市の無形民俗文化
財に指定されている「御神幸武器行列」(通称:新見大名行列又土下座祭り
とも言う)をモチーフにした石柱が立てられている。
地元の八幡宮の御神幸の先駆けとして仕立てられた総勢64名からなる行列
で、氏子は沿道で正座して敬虔に出迎えるのだと言う。
これは300年の歴史を持つ祭りで、毎年10月15日に行われるらしいが、残
念ながらいまだ見たことはない。



 また駅を出るとすぐ左手には「縁(えにし)の広場」と言うのが有って「裕清
とたまかき」の像が建っている。
その昔新見は、東寺の荘園でその管理下にあり、代官が派遣されていた。

 この像はその直務代官として着任した「僧・裕清」の騎馬姿と、身辺の世話
をした在郷の娘「たまかき」が文机に向かい書を書く姿を現している。(続)



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井倉洞(JR乗り潰し・伯備線)

2016-11-02 | Weblog
 吉備高原の北西部には、阿哲台と呼ばれる石灰岩の台地が広がってい
て、それは3億万年程前に形成されたサンゴ礁が母体となっているそうだ。



 石灰岩は水に溶けやすく、このためカルスト地形と呼ばれる独特の地形
を形成することが知られていて、伯備線の車窓からもその独特な山肌やそ
の山を削る工場を幾つか目にすることが出来る。



 カルスト台地に降った雨は地下に吸い込まれ、付近の川に流出するが、
その過程で時に地下に大規模な洞窟を形成する。
それが鍾乳洞で、井倉洞もそんな一つ、その最寄り駅はJR伯備線の井倉
である。



 井倉駅を出てすぐに左折、前の旧道を暫く行き、伯備線の線路を超える
と駐車場が有る。
ここらあたりは、列車で訪れるよりも車のほうが便利なので、大きな駐車場
は欠かせないが、それでも近頃は以前のような賑わいは見られないと言う。


 
 そこを抜けてさらに奥に進むと、左側に高梁川が流れ、右側に土産物屋
や飲食店の立ち並ぶ道となるが、すでに廃業している店舗の跡も見られ、
ここでも観光客が減少していることをうかがい知ることが出来る。



 井倉洞は、昭和33年に探検調査によって発見された。
高梁川に沿ってそそり立つ高さ240mの絶壁の壁面にその入り口を持って
いる。長さが1200m、高低差は90m、洞内の温度は年間を通して15度程度
と言い、夏は涼しく、冬は暖かい天然の冷暖房と言った感じである。

 洞内にはタケノコのような石筍や鍾乳石、高さ50mの滝などダイナミック
な自然の造形が目を奪う。(続)





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