簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

根本道場

2016-11-28 | Weblog
 「月見坂」を登りつめると、本坊に向かう山門が見えて来る。
十段ほどの石段があり、それを上がると広い境内の正面に「本堂」が建っている。



 何十年か前に初めてこの寺を訪れたとき、この山門をバックに記念写真を撮った
ことを俄かに思い出す。
昔と変わらぬ姿が、記憶にしっかりと刻み込まれていたようだ。



 『おもしろいことに、その屋根のかたちが、どことなく神社や京都御所に似ている。
(中略)隆盛する神道の影響を受けたのだろうか、寺院でありながら神社を思わせ
る建築物になっている。』
(「百寺巡礼 第七巻東北」 2004年12月 五木寛之 講談社)


 
 「本堂」を見て、その中に入り初めてお参りした作家の五木寛之は、ナショナリズ
ムの高揚、神道崇拝と言う再建された頃の背景から、建物にもその時代が微妙に
反映されていることを興味深く感じ取っている。

 中尊寺は金色堂・経蔵以外の伽藍が火災で焼失していて、殆どの建物は近代に
なって再建されたものだ。
この「本堂」も、日露戦争が終わった四年後の明治42年の再建である。



 ここには一丈六尺と言う釈迦如来座像が本尊として祀られ、本山延暦寺から分け
られたと言う「不滅の法灯」が燃え続ける一山の根本道場である。
その本堂には、付随する「中の坊」、「鐘楼」や「不動堂」「薬師堂」などがその周りを
取り巻く杉などの老木に囲まれて建っている。



 そこを抜けると見えて来るのが平成12年(2,000年)に建てられた「讃衡蔵(さんこ
うぞう)」と名付けられた宝物館だ。
寺に伝わる文化財・宝物など3000点余りを収蔵・展示する建物で、藤原三代“衡”
の業績を“讃”える意味から命名されたそうだ。(続)






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