2015年10月、「東寺百合文書」が世界記憶遺産に決まった。
この「東寺百合文書」とは、京都の東寺に、8世紀から18世紀のおよそ1千
年間の長きに渡り伝えられてきた古文書群で、その数はなんと2万5千通に
も及ぶと言われている。
その中には、新見の庄関連の文書も2千点ほど含まれている。
それらは中世における寺院の運営に関する古文書で、仏教のみならず当
時の社会状況を知る上でも貴重な資料で、歴史的価値も高く国宝に指定さ
れている。
江戸時代に加賀前田藩から寄贈された百個の桐箱に保存されていること
からこう呼ばれるようになった。
昭和42年に京都府が東寺から購入し、現在では京都府立総合資料館の
収蔵庫に保管されていて、そのWebサイトではそれらの文書を検索し閲覧
することも出来る。
そのサイトに入り「たまかき」と言うキーワードを入れて検索してみると、
「ゆ函/84/たまかき書状井備中国新見庄代官祐清遺品注文」がヒットする。
これこそ新見の地ゆかりの「たまかき書状」と言われるものだ。
当時新見では武士の代官による年貢の取り立てが厳しく、農民たちは東
寺から直接代官が派遣されるよう願い出ていて、それがやっとかない着任
したのが「裕清」であった。
しかし、「祐清」の取り立ては以前と変わることもなく厳しかったため、農民
の反感を買い、荘園の見回り中谷内の地で暗殺されてしまった。
その遺品の整理報告と形見分けを願ったのが、裕清の身の回りの世話を
していた「たまかき」で、東寺に届けた書状が「たまかき文書」である。
中世在郷女子の直筆(異説もあるらしい)文書は、全国的にも珍しいと言う。
駅前には二人の像が、暗殺場所である市内の国道脇には説明板が立てら
れている。(続)
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この「東寺百合文書」とは、京都の東寺に、8世紀から18世紀のおよそ1千
年間の長きに渡り伝えられてきた古文書群で、その数はなんと2万5千通に
も及ぶと言われている。
その中には、新見の庄関連の文書も2千点ほど含まれている。
それらは中世における寺院の運営に関する古文書で、仏教のみならず当
時の社会状況を知る上でも貴重な資料で、歴史的価値も高く国宝に指定さ
れている。
江戸時代に加賀前田藩から寄贈された百個の桐箱に保存されていること
からこう呼ばれるようになった。
昭和42年に京都府が東寺から購入し、現在では京都府立総合資料館の
収蔵庫に保管されていて、そのWebサイトではそれらの文書を検索し閲覧
することも出来る。
そのサイトに入り「たまかき」と言うキーワードを入れて検索してみると、
「ゆ函/84/たまかき書状井備中国新見庄代官祐清遺品注文」がヒットする。
これこそ新見の地ゆかりの「たまかき書状」と言われるものだ。
当時新見では武士の代官による年貢の取り立てが厳しく、農民たちは東
寺から直接代官が派遣されるよう願い出ていて、それがやっとかない着任
したのが「裕清」であった。
しかし、「祐清」の取り立ては以前と変わることもなく厳しかったため、農民
の反感を買い、荘園の見回り中谷内の地で暗殺されてしまった。
その遺品の整理報告と形見分けを願ったのが、裕清の身の回りの世話を
していた「たまかき」で、東寺に届けた書状が「たまかき文書」である。
中世在郷女子の直筆(異説もあるらしい)文書は、全国的にも珍しいと言う。
駅前には二人の像が、暗殺場所である市内の国道脇には説明板が立てら
れている。(続)
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