簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

空腹抱えて(四国遍路)

2012-11-07 | Weblog
 「明日、今治から夜行バスに乗る」と言う彼女は、千葉まで帰ると言う。
「もう出会うこともないかも・・」と別れた翌朝は、少し肌寒いほどに冷え込んでいた。



 この日は58番仙遊寺を打って、その先に宿を取っている。
この間、40キロほどを歩くことに成るので、少しでも早く発とうと、朝食も食べないで、
早々と6時に宿を出た。



 おかみさんから「鎌大師」の方に道を取ればすぐにコンビニが有ると聞かされていた
のに、どこでどう間違えたのか海沿いの道を来てしまったのでコンビニがどこにもない。
途中、町中に商店を見つけたが、こんな早朝から開いている筈もない。
更にその先には、道の駅「早風の里・風和里」も有ったが同様閉まっている。



 山が海まで迫り、国道には海に押し出されるように新しい歩道が作られている。
所々切り抜かれた床にはグレーチングが嵌められているので、防波堤に打ち砕ける白い
波が真下に見える。



 朝日を浴び始めた海は、まだ灰色のままで、その境目には薄いオレンジから白、更に
微かなブルーから、濃い青色に変わる幾層もの色の帯が積み重なった大きな空が広がっ
ている。
 景色は申し分ないのに、空腹だけは如何ともしがたい。
途中ジョギング中の女性に尋ねると「コンビニは菊間までありませんよ」とつれない返事。
地図で確認するとまだ5キロ以上先だ。



 「おにぎりでも頼んでおけば良かった・・・」
愚痴とため息をつきながら、ただひたすら歩くより仕方がない。(続)


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「花へんろ」の町と老舗宿

2012-11-05 | Weblog
 さすがに北条の町に入ると、町並みも、道行く人や車にも多少賑わいが増してくる。
北条駅を右に見て、辻町商店街を進むと、かぎ型に曲がる道路があり、曲がった先に
「花へんろの町」と書かれた看板がある一角に出くわした。



 何となく懐かしい、聞き覚えのある言葉だと思ったら「早坂暁の故郷」と書かれている。
NHKのテレビドラマでやっていたらしく、題名には記憶があるが、見た覚えはないので、
おそらく作品としての題名に覚えが有ったのかも知れない。



 風早町(現北条町)の、遍路道に面した商家で生まれた作者の自伝的な小説の舞台
となったのがこの町らしい。



 今晩の宿「大田屋」は、ここから100mほど歩いた右手にある。
嘉永6年創業と言う、「元祖鯛めし」が自慢のビジネス旅館である。
 泊り客は三人で、他は太山寺から前後しながら歩いて来た、あの若い女性の遍路
だけで、我々が到着した時にはまだ着いていないと言うので、一番風呂を頂いた。



 楽しみな夕食は、大きなタイの頭の煮つけ、それに酢の物や刺身などが並び、締めは
鯛の炊き込みご飯と潮汁だ。鯛めしはこの地方に昔から伝わる伝統食らしい。
 夕食を取らないと言う風呂上がりの彼女を、「こんな美味しいものがあるのに・・・」と
話の輪に誘い、折角だからとタイ飯をお握りにしてもらう。



 他にお客もいないので、しばし遍路談義、人生論(?)に遅くまで話の花が咲く。 
それにしても、お寺では作法通り務めていたようだし、何より一人で回る気力・体力が、
この30代半ばの、ごく普通の娘さんにしか見えない華奢な身の、どこに潜んでいるので
あろうか・・。
傍らで美味しそうにお握りをほおばる彼女を眺めながら思うのである。(続)


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瀬戸内の海に沿って(四国遍路)

2012-11-02 | Weblog
 境内を出て左に進路を取り、JR予讃線の線路を超える。
次の札所54番延命寺までは38キロ余り、松山市を抜け、北条市から更に今治市に
向けて歩くことに成る。



 県道347号で堀江の町に入ると海が近づいてくる。
ここからは、瀬戸内の海に沿って、ほほJR予讃線と並行する道を歩き、光洋台、粟井の
駅を過ぎる。
ガイドブックには、この辺りの粟井坂に高浜虚子の句碑が有ると書かれていたが、坂を
実感する道も、その句碑にも気付ぬまま通り過ぎてしまった。



 柳原を過ぎ、河野川を越えた辺りの道路の左側に、白いガードレールに隠れるように
俳人・高浜虚子の胸像が建っていた。
 ここ西ノ下地区は、虚子が幼少時代を過ごした町らしい。
その大師堂の石柱には、「この松の下にたたずめば露のわれ」「道の辺に阿波の遍路の
墓あわれ」と刻まれている。



 途中逆打ちの遍路に出会う。
うるう年は、遍路は逆打ちに出るものらしいが、その謂れを良くは知らない。
早速和気公民館の学生たちのお接待所を勧めておいた。



 海すれすれの道は、やがて国道179号線となって北条の町に入る。
穏やかな海に、芸予諸島の大小の島々が浮かんでいる。
一際大きな島影は、中島で有ろうか。
ここらあたり一帯が中世も前期の頃、瀬戸内海を制した海賊、河野水軍の
本拠地らしい。(続)




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