簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

きずな街道(東海道歩き旅・近江の国)

2024-02-16 | Weblog


 旧東海道は嘗ての伊賀領に入り、三雲駅前三叉路の、「微妙大師萬里
小路藤房卿墓所」の石碑を見る。

 民家の建て込む余広くも無い通りを更に行くと、民家の前に立派な自
然石の「明治天皇聖跡」が立っている。
天皇は大政奉還以後、各地を行幸され、当地では湖南三山の国宝二寺等
を廻られたらしく、その行幸記念碑である。



 その先で、「あらかわ 砂川也 かりはし廿間ばかり」と言われた荒
川を渡る。勿論今は立派のコンクリート橋が架けられている。
その道路脇にも「藤房卿墓所」案内の古い石柱が建っていて、寺はここ
を左に折れ、荒川を遡ったところにあるらしく、駅からは2.4㎞ほどだ。



 旧街道がJR線を越えるとその踏切脇、右側に広場があり、「きずな
街道 歴史探訪・史跡巡りマップ」と書かれた看板が見える。
 「横田の渡し常夜灯」、「天保義民の碑」や、ここから南に500m程に
鎮座する「立志神社」を初め街道筋に近い寺社や名所等の案内と、簡単
な説明が書かれている。



 天保13(1843)年、幕府の計画した検地に抗議する、甲賀、野洲、
栗太三郡の農民凡四万人が蜂起し伝法山中腹に殺到する「天保一揆」
が発生した。
 その折、百数十人の農民が捉えられ全員獄死したが、幕府からは
「検地十万日延期」を確約させた。
事実上検地の挫折で、農民達は目標を達成させた。



 この時犠牲になった農民を「天保義民」と崇め、慰霊と功績を残す記
念碑「天保義民の碑」が立てられた。
明治時代に建立されたもので、高さは約10メートルを誇るという。
三雲駅東200mの山裾にあり、毎年10月15日には慰霊祭が行なわれる。(続)





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