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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
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宗左の辻 (東海道五十七次歩き旅・摂津国)

2025-06-11 | Weblog


 京阪の枚方市駅を見通す駅前の通りを過ぎるが、この辺りが市の中心
的な場所らしく随分と賑わっている。そこを過ぎ左に緩くカーブしなが
ら町並を抜ける。と右手に「枚方橋跡」の案内があり、その親柱がここ
に残されていた。今は暗渠だが古くは安居川(中川)が流れ「枚方ノ橋」
と呼ばれる土橋が架かっていた。



 宿内には、出格子、虫籠窓、漆喰壁で袖卯建の上がった平入りの旧家
が幾らか残されている。町屋は間口2間半から4間のものが多いらしく、
3室の居室を縦1列に並べ、その片側に通り庭を配するのが基本形式で、
カマヤ(炊事場)は裏手に設けるのが特徴という。



 嘗て街道筋には旅籠屋や煮売屋の他、古道具屋、醤油屋、荒物屋など、
様々な商店が並び、中には酒造業や製油業を営む家もあった。 

 角野宗左(そうざ)は製油業を営む豪商で、ここに屋敷を構えていた。
岡本町商店街の角がその跡地で、ここを「宗左の辻」と言う。



 道路隅に文政9(1826)年の道標が残されている。
正面に「右 大坂みち」、側面に「願主 大阪 和泉屋・・」と刻まれ
ている。江戸時代、一般的には「大阪」の「阪」の文字は「坂」の字が
使われていたが、この碑では「阪」が使われている。この字が使われ始
めたのは明治以降とされているだけに大変珍しい道標と言われている。



 この道標は、京街道と磐船街道の追分けを示すものだ。
磐船街道とは、枚方から私市、磐船を経て、生駒市の南田原に至る道の
事で、枚方から私市へと続く道を「枚方大和道」、奈良県側の道を「岩
船街道」と言うらしい。
磐船に有る岩船寺は、ご神体である舟型の巨岩が知られている。(続)



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