茂福の「新設用水道碑」の横に、二つの力石が置かれている。
地区内の御堂建築の折、土台石として各所から沢山の石が奉納された。
その節休憩中の若者達が、石を持ち上げんと、力を競い合った。
これが起源となり、大正の終わり頃まで青年の間で力比べが続けられて
いたそうだ。
石を持ち上げる力比べは、江戸から明治にかけての遊びとして流行っ
ていたらしい。
ルールはただ重い石を持ち上げるだけ、到ってシンプルである。
神社などの祭礼や余興として行われ、その石が奉納された例は他にも数
多く存在するらしい。
当地の大きい石には32メと刻まれているので、恐らく32貫(120㎏)
の事であろう。
その前の小さな石が子供用で、重さ5貫(19㎏)と書かれている。
大人も子供もシンプルな競技に熱中したらしいが、最近ではこうした
行事は行われなくなった。
力石は富田駅近くの、八幡神社の境内にも置かれていた。
この神社の物は重さ百キロと言い、説明によると、村一番の力持ちの競
い合いは鎌倉の頃より行われ、豊作の願いと共に時代を経て継承されて
きたという。
町内には他にも北村若宮八幡宮に同じような力石が保存されている。
この力比べの力石との関連は解らないが、当地には市の無形民俗文化財
に指定された「石取祭」と言う夏祭りが残されている。
これは、桑名の春日神社の夏祭りとして伝えられ、町屋川で拾った石
を祭車に乗せ神社に奉納するらしい。
この辺りでは川石が豊富なせいか、信仰の対象など、石に纏わる伝承
が方々に残されている。
社寺を通じて、人々の生活に密着した歴史があり、今では健康長寿の石
として、末永く伝承するために保存しているという。(続)
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地区内の御堂建築の折、土台石として各所から沢山の石が奉納された。
その節休憩中の若者達が、石を持ち上げんと、力を競い合った。
これが起源となり、大正の終わり頃まで青年の間で力比べが続けられて
いたそうだ。
石を持ち上げる力比べは、江戸から明治にかけての遊びとして流行っ
ていたらしい。
ルールはただ重い石を持ち上げるだけ、到ってシンプルである。
神社などの祭礼や余興として行われ、その石が奉納された例は他にも数
多く存在するらしい。
当地の大きい石には32メと刻まれているので、恐らく32貫(120㎏)
の事であろう。
その前の小さな石が子供用で、重さ5貫(19㎏)と書かれている。
大人も子供もシンプルな競技に熱中したらしいが、最近ではこうした
行事は行われなくなった。
力石は富田駅近くの、八幡神社の境内にも置かれていた。
この神社の物は重さ百キロと言い、説明によると、村一番の力持ちの競
い合いは鎌倉の頃より行われ、豊作の願いと共に時代を経て継承されて
きたという。
町内には他にも北村若宮八幡宮に同じような力石が保存されている。
この力比べの力石との関連は解らないが、当地には市の無形民俗文化財
に指定された「石取祭」と言う夏祭りが残されている。
これは、桑名の春日神社の夏祭りとして伝えられ、町屋川で拾った石
を祭車に乗せ神社に奉納するらしい。
この辺りでは川石が豊富なせいか、信仰の対象など、石に纏わる伝承
が方々に残されている。
社寺を通じて、人々の生活に密着した歴史があり、今では健康長寿の石
として、末永く伝承するために保存しているという。(続)
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