簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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岡南泉田駅 (岡山臨港鉄道・廃線跡を歩く)

2023-04-14 | Weblog
 市中心部に近づくにつれ町並みも商業施設が多くなり、賑やかになっ
てきた。そんな通りの前方に国道30号線の高架橋が見えている。

 臨港福田の駅からは2.1㎞、大元からは2.3㎞離れた、国道30号線と交
わる「泉田」という地で、当初は「臨港泉田駅」と言った「岡南泉田駅」
がここにはあった。



 芳泉高校の創設で最寄り駅となり、学生などの利用客が急増した。
臨鉄は、旅客扱い便をこれまでの4往復から一気に12往復まで増やした。

 暫くして市内のバス網の整備が進み、学校前にも路線が開かれバスの
運行が始まる事になる。
目の前のバス停では、700m離れた鉄道の駅は太刀打ちも出来ず、増便
は僅か4年で元の本数に戻された。



 昭和43(1968)年に貨物取扱駅となり、自社倉庫も建設し、駅付近に
は多くの専用線が引かれていたという。

 一方、国道30号線はこの頃既に(昭和36年に)開通している。
巷間ではモータリゼーションで急速に交通量が増加し、その影響もあり、
泉田駅付近の踏切では深刻な渋滞が発生していた。



 その解消策として国道の高架化が決定した。
計画から11年後の昭和54(1979)年に下り線(玉野方面)が、その翌年
には上り線(岡山方面)が竣工している。
結果、泉田の駅はこの高架橋の下に潜り込む形となった。



 今その高架下には何の痕跡も残されてはいない。
モニュメントが有るらしいとの情報も有り、高架の下辺りを探してみた
が何も見つけられなかった。
 
 岡山港駅から並木町の遊技場までの線路跡は、ほとんどが宅地や用地
に転換されている。その為鉄道が走っていた痕跡は、全くと言って良い
ほどに、何も残されてはいない。



 しかし、市道を超えた福成3丁目から国道30号線南側、泉田駅が有っ
た辺りに至る3.4㎞の間は、市道泉田福成線に転用され、僅かに道路の形
状が線路跡を彷彿させている。
 更にその先の国道30号線の高架を潜ると、線路跡は、遺物こそ無いも
のの、趣も新たな遊歩道として整備されている。(続)





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