伊能忠敬は49歳で隠居し、50歳を過ぎ江戸に出て天文学等を学ぶ。
55歳の折、東北から北海道南部の測量を手始めにして日本全国を測量して歩き、
その旅ごとにその地方の地図を作り続けた。そんな彼の生きざまは、劇作家・井上
ひさしの長編歴史小説「四千万歩の男」でも窺い知ることが出来る。
その作業は71歳まで続けられ、江戸八丁堀において73歳で亡くなったのち、
弟子たちの協力を得て、死後三年目にして初めての実測日本地図を作り上げた。
その地図は、現在のものと比べても何ら遜色のないほど精巧で、学問的な価値
に留まらず、芸術的な美しささえ感じる程だ。
記念館に有る膨大な関係資料は、重要文化財から国宝に格上げ指定されている。
測量旅の測量日誌や測量器具を初め、作成された地図など、その数は何と2345点に
も及んでいると言う。
川を隔てた反対側には、国の史跡に指定されている伊能忠敬の旧宅も有る。
17歳で伊能家の婿養子となり、名主を務めるなど、譲酒業や米穀薪炭を商いながら、
30年余りを過ごした母屋と店舗が残されている。
佐原の町中を流れる小野川の両岸や、その川と交差する香取街道沿いには、江戸
から昭和にかけて造られた土蔵やレンガ、板張りの古い商家が立ち並んでいて、江戸
文化の面影を色濃く残しており重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。(続)
(この旅行記は、「東日本大震災」発生直前に巡ったものです。)
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55歳の折、東北から北海道南部の測量を手始めにして日本全国を測量して歩き、
その旅ごとにその地方の地図を作り続けた。そんな彼の生きざまは、劇作家・井上
ひさしの長編歴史小説「四千万歩の男」でも窺い知ることが出来る。
その作業は71歳まで続けられ、江戸八丁堀において73歳で亡くなったのち、
弟子たちの協力を得て、死後三年目にして初めての実測日本地図を作り上げた。
その地図は、現在のものと比べても何ら遜色のないほど精巧で、学問的な価値
に留まらず、芸術的な美しささえ感じる程だ。
記念館に有る膨大な関係資料は、重要文化財から国宝に格上げ指定されている。
測量旅の測量日誌や測量器具を初め、作成された地図など、その数は何と2345点に
も及んでいると言う。
川を隔てた反対側には、国の史跡に指定されている伊能忠敬の旧宅も有る。
17歳で伊能家の婿養子となり、名主を務めるなど、譲酒業や米穀薪炭を商いながら、
30年余りを過ごした母屋と店舗が残されている。
佐原の町中を流れる小野川の両岸や、その川と交差する香取街道沿いには、江戸
から昭和にかけて造られた土蔵やレンガ、板張りの古い商家が立ち並んでいて、江戸
文化の面影を色濃く残しており重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。(続)
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