「まさかり 担いで 金太郎~ 熊にまたがり お馬のけいこ~♪」
童謡でよく知られた、金太郎である。
おかっぱ頭で丸金マークの入った腹掛をし、マサカリを担いで熊にまたがる
のがお馴染みの姿だ。
旧出雲街道・勝間田宿の一角にある小さな公園には、そんな像が建っている。


説明板によると、駿河の国で生まれ金太郎は、幼いころから気は優しくて
力持ちで、21歳になるころには源頼光に仕え名を坂田金時と改めた。
数々の手柄を立て、その後頼光の四天王と呼ばれるほどとなり、九州筑紫の
征伐に向かうが、その途中厳しい寒さと大雪に阻まれ難渋を極める中、重い
熱病にかかり55歳であえなく最後を遂げてしまった。
それがここ勝間田の地であり、彼を祀ったのが来栖神社である。


そんな公園を中心に延びる街道の両側には小川が掘られ、近くを流れる滝川
から引いた水が流れていた。今では水路として整備されているので、その分道
幅が広くなっているが、当時の小川はその幅も今よりは広く、旅人や住民の生
活用水として利用されていたのであろう。

公園の近くには、明治45年に建てられた勝田郡役所が残されている。
濃い緑色のしゃれたとんがり屋根の建物で、内部にはかつてこの地にあった
本陣の古材・肥松が再利用されていると言う。この場所は宿場町の真ん中に
位置し、数々の変遷を経て昭和に入ると県の地方事務所となった。

この地には警察署も設けられていたようで、それらと共に常にこの地方の
政治・経済の中心として役割を果たしてきた建物は、今では郷土美術館とし
て町のシンボルとなっている。(続)

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童謡でよく知られた、金太郎である。
おかっぱ頭で丸金マークの入った腹掛をし、マサカリを担いで熊にまたがる
のがお馴染みの姿だ。
旧出雲街道・勝間田宿の一角にある小さな公園には、そんな像が建っている。


説明板によると、駿河の国で生まれ金太郎は、幼いころから気は優しくて
力持ちで、21歳になるころには源頼光に仕え名を坂田金時と改めた。
数々の手柄を立て、その後頼光の四天王と呼ばれるほどとなり、九州筑紫の
征伐に向かうが、その途中厳しい寒さと大雪に阻まれ難渋を極める中、重い
熱病にかかり55歳であえなく最後を遂げてしまった。
それがここ勝間田の地であり、彼を祀ったのが来栖神社である。


そんな公園を中心に延びる街道の両側には小川が掘られ、近くを流れる滝川
から引いた水が流れていた。今では水路として整備されているので、その分道
幅が広くなっているが、当時の小川はその幅も今よりは広く、旅人や住民の生
活用水として利用されていたのであろう。

公園の近くには、明治45年に建てられた勝田郡役所が残されている。
濃い緑色のしゃれたとんがり屋根の建物で、内部にはかつてこの地にあった
本陣の古材・肥松が再利用されていると言う。この場所は宿場町の真ん中に
位置し、数々の変遷を経て昭和に入ると県の地方事務所となった。

この地には警察署も設けられていたようで、それらと共に常にこの地方の
政治・経済の中心として役割を果たしてきた建物は、今では郷土美術館とし
て町のシンボルとなっている。(続)


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