簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

矢田立場跡(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-01-25 | Weblog
 市立博物館のところで交差点を越える。
その先の、北側にある毘沙門堂の前を吉津屋町方面に向け左折すると、
丁度この付近が京町見附跡だ。
その先が七曲がり見附跡で、城下町の宿場らしく、右折、左折、左折、
右折とめまぐるしく進路を変える。



 教宗寺、光明寺、光徳寺、十念寺、壽量寺等が西側に並ぶ街道を進み、
日進小学校を見る辺りで右折、更に左折して、天武天皇社からその先で
国道1号線を横断すると直ぐに善西寺がある。
これまでに鍛冶町、新町、伝馬町、鍋屋町、矢田町を通り過ぎてきた。



 この辺りには、多くの社寺が立地しているのが地図を見ると良く解る。
岡崎の二十七曲がり程ではないが、この桑名宿でも、ここに到るまでに
何回曲がるのかと思わすほどややこしい道が続いていた。
どうやら桑名城下の西の守りを固める地らしい。



 国道一号線を越え正面に益世小学校、その奥に益生駅を臨む辺りで南
に向けて左折すると福江町に入り、ようやく桑名宿は終わりとなる。

 「此の立場は食物自由にして、河海の魚鱗、山野の蔬菜四時無き事なし」
とある。ここには立場が有り、桑名藩の役人が西国大名を出迎え、宿内の
案内をしていたという。



 立場とは宿場と宿場の間にあって、旅人が休憩する茶店などが有った
ところで、街道筋の所々に設けられていた。
お茶を供し、名物の餅や団子で旅人を持てなしていたようだが、桑名な
ら差し詰め焼き蛤が評判を呼んでいたので有ろう。



 右手に平成3年に復元された火の見櫓が見えると、その矢田立場跡だ。
この辺りは先の戦禍を逃れたらしく、所々に古い家並みが残っている。

 この先桑名の宿を出ると大福村で、気が付けばいつの間にか、旧街道
のルートを示すカラー舗装が消えている。
ここから次の四日市までは、三里以上の長丁場が待っている。(続)





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