簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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安永立場と安永餅(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-01-27 | Weblog
 東海道は、矢田立場跡で左折すると旧街道は旧大福村に入って行く。
この先は、真っ直ぐな道が1.5㎞程先の員弁川の土手まで続いている。
暫く行くと西側に日立金属の桑名工場が見えてくる。
昭和の頃迄この辺りには江場の松原と呼ぶ松並木が残っていたらしい。
今はその姿を見ることは無く、工場と住宅が建て込んでいる。



 道なりに進み、旧安永村に入ると西側に、天照大御神を御祭神とする
城南神社がある。境内に建つ鳥居は、伊勢神宮の一の鳥居で、遷宮の折
に下賜されたものらしい。
更に真宗大谷派の晴雲寺があり、その先で国道258号の高架を潜る。



 丁度この辺りに安永立場が有ったという。
先程の矢田の立場から左程進んではいない地だが、余程の山道では無い
限り、休憩の出来る茶店はこのように間隔を問わず置かれていたようだ。
街道沿いには古い家並みが残されていて、面影を今に伝えている。



 ここは桑名名物として知られる「安永餅」発祥の地である。
つい最近まで、餅を提供する「玉喜」という店が有ったらしい。
茶店では、「牛の舌餅」とも言われた、粒あんの入った薄くて細長い焼
き餅が、旅人に人気を博していた。

 しかし餅の販売店は先頃止めたらし。
今は創業以来200年という料理旅館「玉喜亭」として営業を続けていて、
ここは藤の花の名所らしい。



 街道を更に進むと右角の石垣の上に、道標として文政元年に寄進され
た高さが4.3mも有る「伊勢両宮常夜燈」が残されている。
東海道の道標として、また伊勢神宮への祈願を込めて、桑名・岐阜の材
木商により寄進された物だ。



 その脇にあるのは、明治初期頃建てられて道標だ。
正面には「從町屋川中央北桑名郡」と有り、両側面に三重県庁と桑名郡
役所までの距離が彫り込まれている。
郡境と里程を示す物だが、風化が激しいのか、鉄板の補強が痛々しい。(続)





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