
辺り一帯は工業地帯で、無機質な倉庫や大きな石油タンクが建ち並び、
広い通りを大型トラックやトレーラーが引っ切り無しに行き交っている。
周りに商業施設は皆無で、時折乗用車が走り抜けるものの、通りを歩く
人の姿は全く見られず、僅かに事務所で働く人陰を見るくらいでだ。

嘗て市内中心部と南部の港を結んだ、「岡山臨港鉄道」の南の終着・
岡山港駅は、この辺りにあったらしい。
児島湾の岸壁に接して設けられた駅で、ここから対岸の児島半島・北浦
までは渡船が運航されていて、船で渡って来て市内に向かう乗客の中継
地となっていた。

昭和37(1959)年、児島湾に全長1558m、幅30mの締め切り堤防が
完成し、児島湾の西側は淡水の児島湖となり、2年後からは堤防上が道
路としても供用されることになる。
当初は農林省管轄の有料道路であったが、後に無料化された。
岡山からは、児島半島を経て瀬戸内海に面した宇野や玉野方面へ向かう
短絡路として大いに利便性が高まった。

締め切り堤防の建設により、陸路の短絡道路が出来、客足が途絶えた
鉄道は、やがて終着駅への旅客列車の乗入は無くなった。
岡南元町~南岡山駅~岡山港の間の、旅客の取扱いが中止になったのは、
昭和48(1970)年1月の事で、北浦への渡船も中止される事になる。
今ではバス停に「北浦渡船場」の名のみが残り、僅かに往時の面影を留
めている。寂れてしまったこの地には、平日に、限り朝3便、夕方2便の
バスがくるだけだ。

次の南岡山駅は、当初汽車会社の事務所があったので「汽車会社前駅」
と言ったが昭和35(1957)年8月に改称されている。
かつて駅の南を流れていた水路は埋められ、線路跡のデッキガーダー
橋は道路橋に転用されている。
傍らには、古びた石製の8キロポストも忘れられた様に残されていた。(続)





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