
遍路の白装束には修行をさせて頂くのだから、心身ともに清らかになりたいとの
思いが込められている。
笈摺と手甲・脚絆の白装束は、言わば遍路の晴れ着。
しかしそれは決められた事では無く、動きやすい服装で有れば何を着ても構わない、
あくまでも本人の思い次第でもある。
とは言え修行の場を巡るのであるから、矢張り節度は心得ておく必要も・・、などと
考えると、無難なところで白い上衣くらいはと言う事に成る。

信仰の面から言えば、金剛杖も外せない。
「同行二人」のお一人、言わば弘法大師の分身とされるからだ。
そのために、金剛杖には厳しい作法が有る。

宿に着いたら、大師の足先を洗うと言う意味で、杖の先を洗い、床の間に立てる。
また道中、橋の上では杖をつかないとの約束も有り、大師の御加護で無事巡拝出来る、
護身の杖ともされている。
しかし、そんな信仰的な教義も有るが、杖は何よりも歩き遍路にとっては、歩行の
手助けに成る事は間違いない。
平坦な道を歩いていると邪魔だと感じる時も多々あるが、特に厳しい山道の上り下り
では、身体を支えるためには無くてはならない物でもある。
こうして、歩き遍路が八十八か所を歩き終えると、その長さは2~3センチも短く成る
と言われている。

更に遍路の正装で言うなら、輪袈裟をかけ、菅笠を被り、手に数珠は外せない。
しかし、格段の信仰心があるわけでも我が身では、この格好は何だか気恥ずかしい。
だからせめて白い上衣、金剛杖だけを持って歩いている(続)

