簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

北海道の塗り潰し(JR全線乗潰しの旅)

2010-01-26 | Weblog
北海道のページを開く。
高校時代、旅をした時のスクラップブックを見ながら、赤色の鉛筆で路線を塗り潰す。

函館から北上、最初の宿泊地は大沼公園だった。
「ウウン?ここはどっちのルートを通ったのだろう?」
大沼-森間は、名峰駒ケ岳を右手に見るルートと、左手に見て海沿いを走るルートが有る。
どっちを通ったかアルバムからは分からない。
だからこの間は保留としておこう。

 【写真:大沼公園(昭和39年)】

二泊目が洞爺までで、三日目は札幌まで・・・・。
「あれっ、ここにも乗り残しがあった。」
東室蘭に途中下車した記憶は無いので、当然東室蘭から室蘭の間は乗っていないことになる。

 【写真:昭和新山(昭和39年)】

札幌からは、旭川を経て夜行列車で稚内へ行った。
再び旭川に戻り一泊、ここでは市内の公園で侘しく野宿だった。
翌日層雲峡をバスで巡り、再び旭川に戻り、ここからは石北本線の夜行で網走へ。
更に斜里、北浜原生花園で遊び、夕方網走で友と合流している。

翌日、美幌から乗った北見相生までの相生線は、1985年3月末日を以って廃線となっている。

 【写真:美幌峠(昭和39年)】

再び網走から釧路へ、更に日本最東端の東根室を経て根室へ。
根室から再び釧路を経由して帯広へ、そこから南下する広尾までの広尾線も、1987年2月に
廃線となっている。
様似から日高本線で苫小牧、更に函館に戻ると北海道の旅は終わりだ。

 【写真:納沙布岬灯台(昭和39年)】

その後、北海道には出張と家族旅行などで何度か訪れているが、出張は空路で千歳までの往復だったし、
家族旅行は日本海のフェリーとマイカーのため、新たに鉄道を利用することは無かった。

こうして過去に乗車した路線を塗り潰して見ると、道東・道央に乗り残しが有ることが解る。
「北海道内の全線は、もう一回、一週間か十日程度有れば全て乗れそうだ」
俄然北海道再訪の夢が膨らんできた。

しかし、こうして見ると随分と廃線が目に付く。
寂しいのはまだ乗っていない路線が既に廃線になり、今は無いと言うこと。
当時の国鉄の、採算度外視の線路網の凄さを、改めて思い知るのである。(続)
コメント
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