
府道の京都守口線を300m程行くと、左側に広大な緑地があり、
隅に「楠葉台場跡(くずはだいばあと)」の案内板が立っていた。
国指定史跡で、跡地を樟葉台場史跡跡公園として整備した場所だ。

台場とは江戸幕府が築造した大砲を備えた要塞のこと。
説明によると、幕末期「開国を求める異国船が突如、大阪湾に現われた
ことから、大阪湾に近い京都(朝廷)の警備強化の一環で、淀川を遡ろ
うとする異国船からの防備」のため築かれたと言う。

場所は八幡市の男山の西に位置し、西側には淀川が流れている。
当時の敷地は現代の公園から西にも拡がり、府道や京阪の軌道敷を越え、
淀川の岸辺までをしめていた。「水堀を備えた西洋の築城方式である稜
堡式(りょうほしき)砲台が採用され、面積は約3万8千平方メートルで
あり、火薬庫の他大砲3門を河口方向の南に向けて備え、舟番所も設け
られた。」

幕末期には欧米列強の外国船への備えから、幕府は多くの海岸に台場
を造った。有名なところでは、「品川台場」があり、今日では通称「お
台場」として知られている。
楠葉の台場は海辺ではなく河岸に造られているが、これは一対の備え
として造られた。対岸の高浜台場(大阪府島本町)とここの二カ所のみ
で大層珍しいという。

砲台の築造によりこれまで淀川河岸を通っていた京街道は、台場の中
を通るように付け替えられ番所が設けられた。このことから、尊皇攘夷
派の浪士らが京の京に入り込まないよう取り締まる目的も有ったと言わ
れている。

その割には北側の備えは脆弱で、鳥羽伏見の戦いでは淀川左岸を進軍
して来た新政府軍に占領されている。(続)
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