
淀川堤防上の長い長い一本道も、目の前の鳥飼大橋を潜ればようやく
終わりが見えてくる。大阪府守口市大日町と摂津市鳥飼西の間に架かる
橋で淀川の橋としては比較的早い昭和22(1947)年に木橋が完成した。
その後掛け替えが行なわれ、永代橋として生まれ変わるのは、昭和29
(1954)年11月の事で、当初は有料橋であった。

嘗てこの辺りでの淀川横断は、「鳥養(鳥飼)の渡し」と呼ばれる渡
し舟であった。対岸の摂津市鳥飼、藤森神社の近くには、「漫鳥飼の渡
し跡」があるらしいが、こちら岸ではこの渡しを「仁和寺(にわじ)
の渡し」と呼んでいたらしい。

慶長年間、大坂冬の陣を前に家臣とともに大阪城を退き茨木城に入っ
た片桐且元もこの時使ったと伝えられていて、古く戦国時代から続く渡
し舟でだ。 渡しは江戸幕府成立後は幕府寺社奉行管理の許可制となり、
明治の世に入ると民間で運営され渡し銭を取っていた。

渡し船はその後も運航を続け、昭和8(1933)年に大阪府営と成り、
以降は無料で利用出来るようになる。二艘の船が活躍していたといい、
それは鳥飼大橋の完成後も続けられた。

鳥飼下と仁和寺を結んだ淀川本流の渡し舟としては、最後となる昭和
50(1975)年に淀川改修工事に伴い運航が休止され、その後廃止となり、
数百年に渡るその歴史を閉じている。

堤防道は鳥飼大橋に行く手を塞がれ、案内板に従い一旦堤防から一段
低い河原の遊歩道まで下り、橋の下を潜ったら再び堤防に上がる。
その先で左土手下の「八坂瓊神社(やさかにじんじゃ))を見ながら坂
を下り、大庭の町中に入っていく。(続)
お知らせ gooblog サービス終了に伴い
当ブログは 「はてなブログ」 に引っ越しをします
今後とも引き続き 応援をよろしくお願い致します


