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2012-06-18 | bookshelf
『蜀山残雨 大田南畝と江戸文化』野口武彦著 2003年新潮社刊

表紙絵:蜀山人肖像 画:文宝亭亀屋久右衛門(二世蜀山人)
蜀山人公認代筆者で本業茶問屋が破綻するほど南畝に心酔した


 十返舎一九先輩の紀行文の翻刻版(現代仮名に変換したもの)が簡単に手に入らないので、蔦屋重三郎とも縁が深い大田南畝ものを選んで読んでいます。
 以前、蔦重を調べていた時は、四方赤良(よものあから:狂歌名)で登場したので本名は何だろう?と調べたら、現代は大田南畝(おおたなんぽ)で通っているようです。それで私は大田南畝と言っているのですが、書籍関係を調べているとタイトルが大田南畝より「蜀山人(しょくさんじん)」という呼び名が多いことに気付きました。一昔前は「大田蜀山人」などという奇妙な呼び方が当たり前だったみたいで、知識人・文人あるいは東京生まれの人々は子供でも蜀山人の名は知っていたくらい有名な人だったようです。
 それで、蜀山人関係のものを検索していくと出るわ出るわ。昭和初期以前生まれの人の崇拝者や研究者の多いことといったら、そんなに凄い人なのか、と思わせるものがあります。でも、現代ではほぼ人気はゼロに近いんではないでしょうか。図書館在庫検索では閉架蔵書になっているのが現実です。日の目を見てるのは日本古典文学全集に収録されている狂歌や狂詩、一部の紀行文くらい。しかも狂歌は四方赤良、狂詩は寝惚先生と表記してあるので私のように詳しくない人は同一人物だとわかりません。
四方赤良(南畝)37歳。吉原の新造・三保崎を身請けした頃 
画:北尾政演(山東京伝)

 江戸後期、明和~天明~寛政~文化期に各雅号でブイブイ言わせていた大田南畝先生。この人も詩作などは趣味で本業は幕臣だというので、どんなにか名門武家の出身でお堅い学者かと想像してました。そこで、伝記を読んでみたところ、南畝先生はものすご~く筆まめで、少年期から日記みたいなものや覚書、出張旅行の道中記や単身赴任中に送った倅への手紙とか、プライベートな記録を沢山遺しているので、当時のお侍さんのリアルライフを知ることが出来ました。いや~いつの時代もサラリーマンはツライですね。南畝先生が狂歌なんかに走るのわかります。彼は名門でも金持ちでも学者でもなく、江戸時代の下級武士の一人でした。もう少し詳しく知りたくて検索して選んで読んだ『蜀山残雨』は、ある幕臣(公務員)南畝の悲喜こもごも人生が書かれた本で、当時の幕臣の仕事や私生活が当事者レベルで理解できました。

これまた歌舞伎役者の似顔をうつせしが、あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきなせしかば、長く世に行なわれず、一両年にて止ム
↑これは写楽についての有名な説明文ですが、これを書いた人こそが大田南畝その人で、『浮世絵類考』の元となった『浮世絵考証』の作者でした。
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