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kusazoushi:Santoh Kyouden Ⅱ

2010-09-08 | bookshelf
***山東京伝 2***

 江戸生まれ江戸育ち、旅行以外江戸を離れたことがなく、生涯江戸を愛した生粋の江戸っ子・京伝は、何不自由ない町人(父は銀座の長屋の家主職)の長男として生を受け、若くして吉原など廓へ出入りし30歳くらいまで職にも就かず草双紙の挿絵や戯作などしながら、江戸後期の世俗文化を満喫していました。働いてはいなかったものの、彼には人並みはずれた才能があり、画才と文才それに人の良さで、さほど苦労もなく世渡りができた稀有な人物です。
 15歳の時、浮世絵の挿絵画家として頂点にいた北尾重政に入門し浮世絵を学んだところから彼はまず浮世絵師(画工)として18歳でデビューします。師匠は蔦重刊行の草双紙の挿絵を担当していた由縁もあり、当時流行していた富本節(とみもとぶし)正本に役者絵を描き、20歳には自画自作で草双紙デビューもしています。処女作のひとつ1780年に刊行された『米饅頭始(よねまんじゅうのはじまり)』は、米饅頭という名物饅頭が売り出されるまでのお話で、洒落も穿ちもあまり効いていない物語でした。
 1782年22歳で書いた『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』が評論家(狂歌師・戯作者)の大田南畝に称讃されたことで戯作者として一躍名を馳せました。しかし、京伝の草双紙の面白さは文章だけでなくその画にもあります。現代の漫画のキャラクターが人気者になって一人歩きをするように、京伝の生み出したキャラクターは現代でも高い人気を誇っています。
           『たなぐいあわせ』1784年白鳳堂刊
 『たなぐいあわせ』は、手拭の図案を披露する遊び「手拭合の会」で出品された図案を京伝が写し取ったものをまとめた冊子で、同年『小紋裁(こもんさい)』という浴衣の染め柄など滑稽な図案集も出版し、これらは現在でもクリエイターから高い評価を得ています。上の画像の右端の暖簾から覗いている獅子鼻(団子鼻)の不細工な青年が、翌年蔦重から出版された『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』の主人公・艶二郎(えんじろう)として登場し、大人気キャラクターとして一世を風靡するのです。

 『江戸生艶気樺焼』は次へもちこし・・・

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