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Ikku's 「zoku hizakurige 11」 part1

2011-09-03 | bookshelf
上州榛名山風景。狂歌は一九の弟子・五返舎半九

***『続膝栗毛十一編』上***
『続膝栗毛十一編』十返舎一九(57歳)作画 1821年文政4年刊行
河内屋太助、鶴屋金助、田村屋治郎兵衛、伊藤與兵衛板  英盛堂上梓


 今まで読んでいた『続膝栗毛』は何故か十編までしか掲載されておらず、残りの十一、十二編が収録されている本を探したら和綴じ本(稀少本になっている)をコピーしただけの内容で現代仮名に直していないので、読めません。変体仮名のひらがな一覧表を使って読み解くも、判読不能な箇所もあり、根気も失せて、要約作業も困難を極める。


舌代:板元英盛堂述
 膝栗毛は当年満尾の積りだったが、作者が取材旅行などして彫刻が間に合わなかったりしたので十二編で満尾とする。景品に美人画を付けるので封切にご覧になってご評判宜しくお願いします。


 弥治郎兵衛喜多八には、国に待ちわびる妻子はいないけれど、江戸が懐かしくなり、草津湯治もそこそこにして帰郷する道中。
 ふさぐ気の草津出ればふところも さみしく夏の旅ぞものう哉  (でいいのかな?ものうやが意味不明)
北八は、お金がなくても旅はなんとかなるさという気持ちですが、弥次さんはふさいでいるので、どうしたのか聞くと、「もう江戸へ行く路用しか残ってないし、湯治場で上方者にやった菓子の三匁を棒に振ったことは死んでも忘れねェ」などと弥治郎はケチなことをいつまでもグチグチ言っているので、北八は呆れます。
 草津を出たときはあんまり気がせいていたので、手水を使うのを忘れていたことに気付きます。すると綺麗な川があったので、そこで口をすすぎ顔を洗いました。弥次さんが手拭があるはずだと北八に言いますが、北さんはないと答えます。そんなはずはないと弥次さんは北八の手拭を取って、顔を拭きますが、よく見ると紐がついています。手拭に紐がつているわけがないので褌で顔を拭いてしまったことに気がついて、弥次さんは北八の褌を川へほかってしまいました。褌は流れていって、水車にひっかかったので北さんが行って取ろうとするも、水車が回ってなかなか取れず、ついに北さんは川の中へ落っこちてしまいました。褌は取れましたが寒くて青ざめる北さん。
 ふんどしをまわしというもことわりや 水の車につれてまわれば   (これは自信あり)
 近所の人達が走ってきて、ある親仁が怪我はないかと聞きます。「この男が手拭を洗おうとしたら川に落として、水車にひっかかったのを取ろうとして落ちた」と弥次郎が説明します。親仁は「この川は村の用水で、呑み水だから洗いものをしちゃいかんのだ」と言って手拭を奪い取り「これは手拭じゃない」と言うので、北さんが「手拭だ」と言い張るも、「インネ、コリヤァふんどしだ」と言われて北八は認めましたが、「通りがかりの旅人だから知らなかったんだ」と弁解します。ところが親仁は村の取り決めだからと庄屋へ連れて行くと言い、若者がひったてに来たので、北さんがまごまごしていると、弥次さんが「旅のものだから了見してくんなせへ」と謝り許してもらいました。
 「弥次さんが人の褌を川へ放り捨てておいて、おれをとんだ目にあわせた」と北さんは怒りますが、弥次さんは「おれは褌で顔を拭かされたんだからお返しだ。ハハハハ」と言い返します。「草津では宿の膳椀を褌で拭いてたじゃねえか」「あれはまだ一度もしめてない褌だからだ」「いくら新しくても、尿瓶で茶は沸かさないじゃないか」などと言い合いになります。
 草津から高崎へ歩いているつもりが、淋しい道になってきたので、2人は道を間違えたことに気づきます。大戸宿で泊ろうと思っていたのが、その道は大戸へは行かないし、日も暮れてきたのでどこか人に頼んで泊らせてもらうことにしました。人に尋ねて、泊めてもらえる家に行きます。その家には、女房と女の子と男の子がいました。騒がしいうえ、汚い(衛生的に)ので、忌々しい家に来てしまったと思う2人。食事を出してくれますが、食べる気がしなかったので布団を出してもらい寝ました。
 その後、亭主と村の者が囲炉裏端で話をしているのを、2人は覗いて聞いていました。

 
※亭主と女房と村の親仁が何やらしゃべっている場面が続くのですが、方言が交じるので解読するのが困難。最後は成り行きがわかりませんが、亭主と親仁がもめて、亭主が石臼にぶつかって肝を潰して、石臼は弥次郎があんまり寒くて石臼をきて寝ようとして(?)転がったと言う。と石臼が囲炉裏の中へ転がって灰だらけになってしまった。

『続膝栗毛十一編』上 終


 一九は草津温泉から伊香保経由で中仙道高崎へのルートを行ったのかもしれませんが(表紙裏に拾遺集の伊香保の沼の図が描かれている)、弥次郎と北八は大笹道大前から信州街道(現・国道406号)を歩く予定が道に迷い、どうやら現・国道145号を郷原宿を経由して榛名山の北西から榛名山へ登り、南下下山して信州街道草津道室田宿へ出て中山道高崎宿へ向かったようです。





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