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スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

宇治から近江へ

2007-05-25 12:01:38 | 西国三十三箇所めぐり

夏日と思われる暑さの昨日、京都府・岐阜県をまたに駆けて5箇所を巡ってきた。
10番札所の宇治市の三室戸寺からスタートし、14番の三井寺まで・・・。

午前7時過ぎ自宅出発。昼食はコンビニのおにぎりでを車中で摂るというハードな今回である。

今回の巡礼で、各お寺で巡拝軸と納経帳へのご朱印を貰うたびに「散華」なる紙の札を貰うことができるのだ。今はまだこれだけだ。全てが揃えば、額に入れようと思っている。

 「散華」




周辺は平安貴族の別荘地・・・

<10番札所  明星山 三室戸寺(みょうじょうざん みむろとじ)>

場所:京都府宇治市菟道滋賀谷21


花の寺としても有名。本堂前のハスの花は7月になれば満開!

開基は光仁天皇。宝亀元年(770年)、宇治山の滝から出現した千手観音像を宇治の離宮(御室)に祀って「御室戸寺」と称したが、その後光仁、花山、白河の三帝の離宮となったことから今の三室戸寺の名になったと言われている。
本堂は江戸時代後期に再建されたものである。
また、宝蔵庫には平安時代を偲ぶ五体の重要文化財の仏像がある。
山門右手の杉木立の中には、一面に紫陽花が蕾を持っている。

その緑色の中に、ピンクや赤・しろのシャクナゲが・・・そして、山麓一面に植えられ咲き終わったツツジの剪定作業が行われていた。

このお寺はハスの花が見事だとか。葉っぱだけの睡蓮が幾つも置かれており、鉢の中で繁殖している藻の掃除をされていた。綺麗なハスの花が本堂前で見られるのだ。
7月末~8月始めが見頃だと言われていた。
枯山水、庭園も見事で、池には錦鯉が一杯。近づくと餌を求めて寄ってくる。気持ち悪いほどの大群で・・・口をあけて・・・。

5000坪の境内は、花の名所としても有名なのだ。

 
「大山レンゲ」という花も蕾が・・・。また咲き終わった花には種(?)が・・。

紫陽花の葉っぱの中に「シャクナゲ」が・・・。周囲、そして奥にはツツジの木が・・・。咲き終わり剪定されていた。

霊水湧く寺から花山法皇隠棲の地まで

2007-05-09 22:30:03 | 西国三十三箇所めぐり
昨日訪ねたのは、4箇寺。
奈良~大阪~兵庫を股にかけ播州路をひたすらカーナビを頼りに、走り回った。
全走行距離375km。午前7時30分から午後7時30分まで、実運転は8時間以上。チョット疲れたが、まだ余力あるのです。 


<25番札所  御嶽山 清水寺(きよみずでら)>

場所:兵庫県加東市平木1194


先に訪ねた「一乗寺」から約1時間で「御嶽山清水寺」に到着。
駐車場までの3km区間は、お寺の道路(?)なのか入り口で入山料を支払った。
約5分間のドライブで標高500mを一気に登り、朱塗りの仁王門前に着く。

寺の名前は「清水寺(きよみずでら)」。
名前の由来は、インドから来たといわれる僧、法道仙人が水の乏しいこの地のために水神に祈願し、霊泉が湧き出るようになったことから付けられたとか。

このお寺は、その昔から幾度かの火災で焼失。大正時代には根本中堂、大講堂を再建、仁王門は台風で倒壊したものを昭和55年に再建されている。
重厚な建物ではなく華やかな趣で、ちょっと違和感を覚えるが、これもいいものだ。

坂上田村麻呂が奥州征伐の必勝祈願をした際に奉納したという太刀が国の重要文化財として保管されている。
本尊は法道仙人が作られた十一面観音である。

このお寺でも、当日は「花まつり」で、甘茶の接待を受けたのです。かなり甘かったので・・・・。でも、頂きました。

参拝者は我々を含めて4名だけ。広大な境内だけに、余計にひっそりとした佇まいのお寺であった。


仁王門。昭和40年の台風で全壊。昭和55年に場所を変えて再建。朱色に塗られたのは平成4年。明るく輝いている。

左側の大講堂の横の石段を登ると「根本中堂(627年創建。大正2年炎上、6年再建。)」に至る。

大講堂(登録文化財。725年創建。大正2年焼失、同6年再建。)



<番外札所  東光山花山院菩提寺>


場所:兵庫県三田市尼寺352


本堂(左)と薬師堂(右)は小さい。十一面観世音菩薩が祀られている。 

花山法皇が観音霊場再興の旅の途中に、この地の美しい山に魅せられ、浄願達成のあと、訪れたのがこの「阿弥陀ガ峰」だったとか。

境内からの眺望は素晴らしく、有馬富士を眼下に、遠くには播州平野、明石海峡を望める。
このお寺で花山法皇は余生を過ごし、更に修行を重ねることになるのである。

花山院バス停からの「琴弾坂」はかなり急な坂で、歩くと30分以上掛かる。でも、門が閉まる5時までに着かなければならないため止むを得ず車で登る。(勿論、言い訳なのだ。)参道協力費として500円を支払うことに・・・。団体でのバスは全員、徒歩で「琴弾坂」を登っておられたが・・。

軒下に付けられたこの菊の紋は16片だ。目立つ紋だ! 天皇直系の印しなのだ。


標高374mの有馬富士が眼下に見られ、眺望が素晴らしい。


「西の比叡山」と「伝説の寺」へ・・・。

2007-05-09 17:35:00 | 西国三十三箇所めぐり


<27番札所  書寫山 円教寺>



場所:兵庫県姫路市書写2968

西国三十三箇所の中で、一番西に位置する「書寫山円教寺」。
朝、7時30分頃、自宅を出発。
まだ通勤ラッシュの真っ只中を一路、兵庫県姫路市まで高速道路を乗り継ぎ10時30分頃、姫路市書写のロープウェイ乗り場に到着。

書写山(300mくらい?)にある「円教寺」へは、ロープウェイ(往復900円)で4分。更にマイクロバス(往復1000円 志納金300円含む)で5分程で本坊事務所前まで。楽チンな巡礼(?)である。
どうやら山の裏手に車が通れる道があるとのことだが、お寺関係の車しか通せないとのことだった。

966年性空上人が書寫山に草庵を営み創建したお寺である。
バスを降り茶店の前に立つと、大和・長谷寺と同じような勇壮な舞台造りの摩尼殿(如意輪堂)が聳える。周りの新緑のモミジが覆っている。本尊の如意輪観音は2代目とか。

「はなまつり」の最中とかで、「甘茶」が振舞われていた。ちょっと飲んだが・・甘すぎて・・・ゴメン!

更に摩尼殿の裏手を通り、800年の老木や新緑のモミジを潜りながら進むと、3つの堂がコの字形に建っていた。真ん中に「食堂(じきどう)」右に「大講堂(釈迦三尊像)」左に「常行堂(念仏修行所)」。これらは室町初期の建立で重要文化財である。

途中には、新緑のモミジの中に宿坊などが朽ちかけたままで佇んでいたが、これもこのお寺ならではの趣である。

更に奥の院まで歩き全てのお堂を巡れば2時間を要すると聞いて、摩尼殿で納経帳と掛け軸に宝印を頂き、再びバス・ロープウェイで下山。 
今日は「はなまつり」とあって、参拝者、観光客も多く、15分間隔のバス・ロープウェイも往復とも一杯であった。既に正午が過ぎていた。

昼食の後、姫路城(白鷺城とも呼ばれている)を運転席から眺めながら、次の26番札所「法華山 一乗寺」に向かった。


山門。 

「三つ堂」。室町初期の建物で威容な佇まいで、要塞を思わせる。

ロープウェイで書写山に登る。4分間のパノラマは絶景。遠くには淡路島が見えるとか・・。今日はモヤのため残念!

本坊事務所前のバス乗り場近くで見かけた綺麗な花。お寺関係者に聞いたが不明。どなたかご存知でしょうか?



<26番札所  法華山 一乗寺>


場所:兵庫県加西市坂本町821-17

本尊は「聖観世音立像」。奈良時代の作で重要文化財である。

開基は法道仙人。仙人は山にこもって修行し、食べ物が必要な時には「鉄鉢」を飛ばして、お布施として貰っていたとか。
あるとき瀬戸内海を官米を満載にしていた船を見て、ささやかな「お布施」を求めたが断られたという。すると、飛んで帰る「鉄鉢」に続いて、積荷の米俵も続いて飛んできたという・・・・・。
このような伝説の僧で、孝徳天皇時代に「一乗寺」を建立。更に後醍醐天皇時代に大講堂を建立されたのだ。
また古文化財を収蔵していることでも知られ、優美な「三重塔」、「絹本着色の聖徳太子画像」は国宝。その他、重要文化財が多い。

このお寺でも「はなまつり」が催されていた。地元の世話方が揃いの法被姿で、屋根瓦の寄進、甘茶の振る舞いを行っておられた。
夜店屋台も数軒出ていて、賑わいをみせていた。

長く、急な石段を登の途中に「仮本堂」があり、ただ今は本堂の改修工事中であり、立ち入り出来ない。
本堂前には、国宝の三重塔が、重ねた年月が感じられる黒色でどっしりとした佇まいで建っている。


本堂は改修中。7年ほど前から着工しているが・・・まだ完成していないのだ。写っていない手前には防護柵がしてあった。

右手奥に見えるのが仮本堂。


藤の花に囲まれ、千の手、千の眼が・・

2007-05-01 07:43:50 | 西国三十三箇所めぐり
<5番札所 紫雲山葛井寺>   * 「藤」や「葛」でもなく、表示不可。


住所:大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21

古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立。
藤井寺駅から5分、昔近鉄バッファローズの本拠地であった藤井寺球場がすぐ近くにあり、街の中に建つお寺である。

本尊は、日本最古の天平時代作の仏像、十一面千手千眼観世音菩薩で、中が空洞の脱活乾漆造りで、国宝に指定されている。
毎月、18日に開扉され、その美しさで多くの方を魅了し続けている。

お寺の名前の由来をお寺の方に尋ねると、百済の王族・葛井氏が興したことからと言われていた。
また、現在の藤井寺市の名前は、大和在住の藤井安基という人が葛井寺の荒廃を嘆き、その復興に尽力したことから付けられたとか。
街の中に建つ、お寺だけあって、西門の軒下まで露天の園芸用品の売り場となっていた。実におおらかというか大阪ならではである。








急坂と石段の連続・・・空海剃髪のお寺

2007-04-27 23:37:40 | 西国三十三箇所めぐり
<4番札所  槇尾山 施福寺>


住所:大阪府和泉市槇尾山町136


写真では小さく見えるが、近づくとかなり大きい、ドッシリした佇まいだ。
 

標高530m。今まで訪ねたお寺の中で一番厳しい急坂と石段を登った。車を寄せ付けないお寺なのだ。

山門までの坂道でかなり疲れる。門からの登りは広くなだらかだが、次第に狭く急坂になり、不揃いな石段を選びながら一歩一歩登る。汗がドッと出てくる。そして時々休憩しながら・・・。
小石がゴロゴロとした地道を経て、やがて148段の急な石段を登り切ると本堂に到着する。 

参拝者同士の「ようこそ、お参りを・・」「こんにちは!」という会話が自然と出てくる。お互いを励ますつもりかな? それとも自分を鼓舞するためなのか?
これは、「山登り」をする人たちのマナーじゃないのかな?とも思ったりしながら・・・
1キロの行程を40分ほど掛かった。
修行の道は険しく、辛いものなのだ。

欽明天皇時代(6世紀)に行満上人が興したお寺。
仏教公伝538年頃の創建で日本有数の古い寺なのだ。

弘法大師空海が793年、20歳の時に剃髪した寺でもある。そして唐から帰朝し再びこの寺で自らを鍛え、真言宗のもとに繁栄したとか。

織田信長により焼かれ、豊臣秀頼が本堂を寄進、再建。江戸時代からは天台宗寺院となっている。

本尊は十一面千手千眼観世音菩薩であるが、5月1日~15日までしか開扉されない。拝観できず・・・残念!

馬頭観音は50年に一度、方違大観音は70年に一度しか開扉されないとか。
でも、ご好意で特別に別の観音様を拝観させて貰った。

本堂は全て欅(ケヤキ)で造られ、恐らく同じ建物は造れないのでは・・・と言われていた。
屋根は銅板で葺かれているが、酸性雨の影響で腐食が進み、葺き替え工事が始まっている。
しかしながら、建築資材の運搬も大変である。何しろ車での運搬は不可なのである。職人さんも徒歩で来なければならないのだ。

そう考えると、このお寺の建築の資材をどうして運んだのか・・・その労力たるや・・・。凄い力を感じるのだ。


欅(ケヤキ)造りの山門。 

仁王さんも睨んでます。

山門の上には蜂の巣が・・・。最初、彫り物かと思ったのだが・・。


山門から坂道が続く。ここはまだ広く、緩やかだが・・・。
あとの急な坂道、小石がゴロゴロの狭い道は写真を撮るのも忘れるくらいキツイのだ!



弘法大師が剃髪したとされる茅葺きの愛染堂。


最後の148段は石段だ。


本堂の裏手は新緑のモミジが美しい。


天皇家直系であるしるしの16片の菊の花。


本堂の全てがケヤキ造りなのだ。曲がりのある垂木4本が同じものだ。 

参道で見かけた花たち。

境内で咲く花。桜・カリン・スズラン。


茶店からは、岩湧山、遠くには金剛山も望める。


この写真は、お寺のご好意により、本坊の裏手に回り、撮ったものである。眼下には泉佐野市街、そして関西空港への橋も・・(かすかに写っているが・・見えないかな?)天気の良い日には、神戸方面も見えるとか。