いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

我が先祖の墓地がテレビ映像に映し出された!

2011年08月15日 08時01分39秒 | 兎に角書きたいの!
 先日、私のふる里と水戸へ妻と墓参にでかけた。墓地一帯は3月11日の地震で殆どが全壊し見るに耐えない凄まじい光景である。兄妹家族集まりしばしの歓談の時間を持ちお袋の味を引き継ぐ兄嫁がご馳走を卓上に並べてくれた。お袋の味を思い出しながら…

 今日、8月15日・TBS番組「初盆を迎えた被災地…」のなかでの7時34分に水戸の墓地は…とのアナウンサーの言葉を聞き妻と映像を見ていたところ突然に我が先祖の墓地の崩壊している様が映し出された。二人で目を疑った。我が先祖の墓地が…びっくりした。今日は妻のふる里伊東へ墓参に出かける。
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愛する人との別離の歌

2011年08月15日 07時02分55秒 | 兎に角書きたいの!
 今日は、8月15日・66回目の終戦記念日。戦時下で思い思いの状態に耐えて日本人!「昭和万葉集」に収められた歌で振り返ってみる。

 @湯加減を見に来し吾につき来たりお召受けたりと言い切りぬ夫は(松本涼子女史詠む)

 @必ずや生きて還ると言ひがたき君と朝(あした)の町を歩めり(柳沢やすみ女史詠む)

 @明日は征く夫が傍(かたへ)に黙ししつつ軍服のほころびを縫い階級章をつける(森田八重子女史詠む)

 @汽車の窓ま近に夫と向ひ居てすがらむいばかりの吾がこころなり(詠み人知らず)

 @夫とのる最後とならん夜の汽車に温かき牛乳わけてのみたり(神戸照子女史詠む)

 @さがし物ありと誘(いざな)ひ夜の蔵に明日征く夫は吾を抱きしむ(成島やす子女史詠む)

 昭和20年9月2日、降伏文書に署名調印した重光葵外相はその前日に心境を次のように詠んでいる。

  神国の栄え行くなる一里塚ならぬ堪忍する日の来りぬ
重光葵外相は、敗戦前後の虚脱の中で冷静に、国体を護持し、祖国を再建するには「ならぬ堪忍」、すなわちポツダム宣言の履行徹底が肝要であるとの心を抱いていた。

 これからの日本の総理には洞察力があり信念と決断と実行力を秘めた人になってもらいたい。この2年間全くお粗末以上の人物だった。
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