いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

「明日への遺言」を鑑賞

2008年04月10日 07時43分15秒 | 兎に角書きたいの!
 昨日、「明日への遺言」を妻と鑑賞した。ご承知の通りB級戦犯として、戦後の混乱期、誇りと自信を失うことなく、信念にもとり「法戦」として堂々と渡り合った岡田 資中将は闘った。裁判長の二度にわたる温柔の質問にもきっぱりと信念を通した。裁判長は二度にわたる同じ質問を繰り返したのは岡田中将を救いたいとの態度がにじみ出ていた。
 アメリカの無差別爆撃、広島長崎への原爆投下を厳しく問うた岡田中将に日本の侍精神を見た。
 映画の中の大勢の風呂場の裸のシーンで「故郷」を歌う。ぐっと胸に迫るものがあった。この場面で聞く「故郷」に日本人のDNAを感じた。

 兎追いし かの山
 小鮒釣りし かの川
  夢は今も めぐりて、
 忘れがたき 故郷

 如何にいます 父母 
  つつがなしや 友がき
   雨に風に つけても
  思い出ずる 故郷

 志を はたして
  いつの日にか 帰らん
   山は青き 故郷
   水は清き 故郷
     高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(六年)

 藤田まこと演じる岡田 資中将の堂々たる論戦そして家族、部下などに示す人間愛にシーンのいたるところで泣くのではなく岡田中将の行動、言動に感激し自然と涙が溢れ頬を伝わった。巣鴨と横浜の二箇所でのシーンなのに胸に追う映画であった。
 処刑の前々夜、岡田中将は妻・温子にこう書き遺した。

「温子よ、短い様で永い、又永い様で短い此の世は、そなたにはえらい世話になったね。御礼の言葉もないよ。でもね、そなたの誠実と私に対する純愛は、公人としての私を十二分に働かせしめたし……余生尚有れば、十二分にそなたをいたわってと想うて居たが、今は私の強い業力思念を以って御護りする事に致しませう。家族一同も共に、共に……私は今、久遠の命を確信しています」

 満月の夜、岡田中将はブルー・プリズンから、13ゲートまで、手錠を掛けられた手に数珠を持ち、両側を監視兵に挟まれて行く。刑場の扉の前、「御機嫌よう……」
 そう言って、扉の光の中へシルエットとなって消えていった。

     1949年9月17日、午前零時半であった。         合掌
 
 
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