いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

娘との再会(不思議物語)

2007年11月14日 08時51分35秒 | ハマ風は踊る
 横浜の関内に「あじさい」というカラオケ店がある。
 友達に連れられてその店に行ってきたと、ダンス仲間の女性は次のように私に語った。
 友達はこの店でダンスを楽しんでいる。またカラオケ・ダンスなどを趣味とする男性が来ており、その方と女性は何度か踊っているうちに、いろいろな会話を交わすようになった。
 ある時、女性はその男性から、こんなものを書いていると、「シャンソンに魅せられて」「続・自惚れ鏡」「我が社交ダンス奮戦記」など、八百字に収められた署名入りエッセイの写し二十枚ほどを受け取った。
 平成19年8月24日。その女性が、「貴方は、自分史講座などに行かれているから興味があるかと思って」と、そのエッセイを私に手渡してくれた。
 そのカラオケ店の場所を聞くと、以前その店のママと多少縁があって、妻と私の友人を誘って行ったことがある店であった。が、今は経営者が替わって伊いるとのことであった。
 ダンスレッスン会場で、手渡されたエッセイの写しをペラペラとめくっていたところ、「青いペン15号参加作品」と記された文字が目に止まった。
 まさか!もしや!でも、あの、「青いペン」ではないだろう、とは思いながらも、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
 ダンスレッスンを終えて早々に帰宅し、取るものも取り敢えず書棚にある「青いペン」5冊を取り出して、そわそわ、わくわくしながら著者名の確認に入った。
 「青いペン」は、あるエッセイ教室が年に1回程度、生徒のエッセイをまとめ、冊子として発刊しているエッセイ集の表題である。
 娘は、この教室に通っていた。エッセイの提出締め切り近くになると、夜中にもかかわらず原稿用紙に向かって、唇の皮膚にふれながら構想を練っている姿をよく目にしていた。文字数は八百字内と制約されての創作には、その構成に相当くろうしていたようだった。
 家にあるエッセイ集「青いペン」の1冊目には無い。二冊目・三冊目・四冊目にも無い。
 最後の五冊目を、祈るような気持ちでゆっくりゆっくりと、一つ一つ目次を追っていく。と、アッタ! アッタ!何と四十六番目に男性の名前とエッセイが登載されている。その男性の名前を何度も何度も確認しながら……、ウーン!と大きなため息が身体全体を突き抜けていった。この冊子には70名の方のエッセイが収められている。
 何と言うことか。娘が通っていたエッセイ教室と、その男性とは同じ教室でエッセイの作成に励んでいたことになる。
 このつながりは何と不思議なことだろうか。人との出会い、人とのつながりは、この世に存在するということだろうか。
 私は思う。やはりこの世には、人と人とを結ぶ「赤い糸」と言われる糸は存在するんだと言うことを。そして確かなことだと。だから通常あり得ないこと、想像し得ないことに人は遭遇するのだろう。

 「青いペン」に搭載されている娘のエッセイを転記してみる。

 好きな花は、なぁに?
 九月は私の誕生日だった。そこで私は淡い期待を抱きつつ、さりげなく事前に好きな花の名を彼に教えておいた。しかし、当日待ち合わせ場所に現れた彼は、
 「本当は花束も持ってこようと思ったんだけど、名前を忘れちゃってさ」
と言い、私の淡い期待は無残に打ちくだかれてしまった。日ごろ花とは余り接触のない男性にとって、トルコ桔梗という名前は難しすぎたんだ。そう自分に言い聞かせ、空しく自分を慰めるしかなかった。
 好きな花のアンケートを見ると、必ず一位は「薔薇」である。確かに薔薇はいい。花の女王様だ。蕾から始まり、咲ききるまでの間、どの時期をとっても、その姿は魅力的だ。そしてその後も、ドライフラワーやポプリにすれば、いつまでもその姿や香りを楽しむことが出来る。これだけ一本で楽しめる花は他には無い。
 それに、「好きな花は何?」と男性に聞かれた時、薔薇と答えておけば無難だからという理由もあるのではないだろうか?薔薇は男性にとって、覚えやすいし、わかりやすい。結果としてプレゼントして貰う確率も自然と高くなるはずである。
 けれど花好きな女性なら必ず、「薔薇」も好きだけれど、本当に好きな花は……」という花があるに違いないと私には思えるのである。
 三年前ほどのこと、私が通っていたフラワーデザイン学校で、ウェディングショーなるものを催した。場所は川崎の市民プラザである。数名の生徒がドレスを着て、生徒の作ったブーケを手に、しずしずと舞台を右から左へ……という企画である。私もそのモデルの一人に指名された。その時、私が持ったブーケは、トルコ桔梗のブーケと、デンファレと百合のブーケの二種類だった。私は特にどちらを……という意識もなく舞台の上を歩いた。そのつもりだった。ところが後でその時の写真を見、私は意外な発見をし、自分でも驚く。同じはずの私の笑顔が、トルコ桔梗のブーケの時のほうが断然にいいのである。
 たかが花の種類一つで笑顔の質が変わる私も私だが、やはり花の力は凄い!と感心する出来事であった。
 世の男性の方々、好きな人に思いを伝えるための花束を贈る……それは結構なことだけど、彼女が何の花が空きなのか、その辺の取材が欠けている気がするんです。いかが?だって花の好みは十人十色なんですから。
       (筆者は平成十二年五月にご逝去されました)

 慟哭の尽きる日々なし気高くもトルコキキョウを愛でし人ゆえ

 現世にあまたの珠玉ちりばめしトルコキキョウの麗しの精

 この短歌は、ダンス仲間のご婦人が「好きな花はなあに?」を表題とした娘の遺稿集を読まれた感想をこのように表現してくださった。
 娘は、結婚二年目で流産を原因とする病に侵されて享年三十四歳でこの世から姿を消してしまった。
 遺稿集は、娘がエッセイ教室で書きとめたエッセイのうち八十八編を収録し、娘の一周忌に、菩提寺そして縁者にお渡しし、お読みいただいた。
 平成十三年四月二十二日娘の一周忌のとき、菩提寺から墓地に向かう途中で珍しい自然現象に遭遇した。
 「横一線のにじ」が突然大空に現れたのである。四月二十三日付日刊紙にも、その状態のカラー写真が登載報道された。
 報道によれば、「水平環という珍しい現象で、高度5000メートル以上の雲の中で氷の結晶が太陽光を反射して起きる。」そして、埼玉県の熊谷地方気象台の職員は、「みることができた人は幸運です」と。
 エッセイを読んで頂いた喜びで、娘も天国で華やいでいることだろう。娘との間には、過去何度もこのような不思議な現象に、家族ともども巡り合っている。
 例えば、息子の嫁さんが入院していた病院では、出産手当が難しいからと、救急氏やで川崎方面の病院へ向かった。途中、横浜市大付属病院に特別室一部屋が空いているということで、急遽入院が決まった。ここから娘との関係が派生してきた。

① 娘はこの市大病院の裏手にあった愛児センターで産声をあげたこと。
② 娘は、けいゆう病院で亡くなったが、生前の娘の意志で角膜を提供し、そのこ  とに関わった医師は、この市大病院の方であったこと。
③ 市大病院入院三日目に帝王切開で798グラムと超未熟児の元也が息子の第三子  として誕生し、「未熟児網膜はく離」による手術を三度も行った。今では小学  校一年生として元気に通学していることは、娘の角膜提供行為によって網膜は  く離が治癒し、娘に守られたのだろうということ。
④ 平成十二年に開設された市大病院の産科医療は、横浜一の設備と人材を揃えた  最高の病院であったこと。
⑤ 娘はこの市大病院を眺望できる墓地に眠っていること。
⑥ 元也の母親が入室していた入り口には、普段ドライフラワーが飾られている   が、元也を残して母親が退院する日には、何故か、それにしても偶然に、娘の  大好きな「トルコ桔梗」の生花が飾られていたこと。
⑦ 生花のトルコ桔梗は、元也が入院中(143日間)は、「私が見守っているから  安心して退院していいわよ」との娘からのメッセージではないかと。
⑧ 庭にでたとき、お墓参りに行ったときなどに何処からともなくアゲハチョウが  私たちの周りをひらひらと飛ぶ蝶は、娘の化身ではないだろうかと……など。

 娘の法要時に現れたあの珍しい虹は、キット娘と再会するための、そして再会することができた虹の架け橋だったのだと、私ども家族は何時までも何時までもそう思い続けている。

 書きとむる言の葉のみぞ水茎の流れてとまる形見なりける
        新古今和歌集・按察使公通(あぜちのきんみち)

と、遺稿集の巻頭にこの和歌を書き添えて娘への供養とした。

 このエッセイは、ここで完結し、九月十六日に開かれた自分史講座において朗読し、感情が自然にこみ上げてくるなかで、皆さんに披露したところであった。
 ところが、九月十八日の朝、床から離れて庭の草花を眺めながら、家周りの清掃をと思い外に出たところ、隣家のザクロの木から落ちた大きな実が、三個路上にころがり、その先に一匹の蝶が横たわっていた。割れたザクロの実を片付け、その蝶を庭の草花の傍らに埋めた。
 なお家を廻ると、路上で何か動いているものが見えた。大きなミミズのようである。近づいてみたところ、二十センチ程のヘビの子が路面をくねくねと這っていたのである。
 一瞬ドキッとしたが、このままでは人に踏み潰されてしまうと思い、ヘビをほうきで塵取りに乗せ、空き家となっている隣家の庭へそっと放した。
 娘は、昭和四十年のヘビ年生まれで、九月二十三日は四十二回目の誕生日でもある。
 実は、九月十七日の日に、我が家に運び込んで三年になる娘の遺品、衣類・手紙・本などをやっとの思いで、妻と共に整理したところだった。遺品をせいりしたその日の夕方、私が網戸を開けて外へ出ようとした時に、突然、一匹のモンシロチョウが部屋に飛び込んできた。
 モンシロチョウは、部屋を通って妻の居る台所へ……そして妻の周りをひらひらと……
 このあまりにも不思議な十六日・十七日・十八日にわたって起きた現象を「娘との再会」のエッセイに追記しようと、パソコンの前に座ったところ、今度は、金網越しにアゲハチョウがひらひらと舞っている。

 ああー なんということだろうか!
 あまりにも不思議なことばかり。
 娘は、蝶々に化身したのだ!

 今、娘の部屋には、美しい女性を描く画家で、夢二との共通性を持つエルテ(ロシア生まれ)作の、シルクスクリーンに色彩輝く二枚の大きな女性像の絵が飾られている。
 この絵は、独身時代の娘が惚れ込んで、三年月賦で購入した遺品のひとつで、「エルテ」画集に収録されている絵でもある。




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