手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

「生きてこの世に在ること」、命の大切さを思う

2014-11-02 12:08:12 | 人生
めっきり寒くなった今日この頃です。
起床してまもなく、朝の陽光がきらめく中、母の寝室がある縁側の雨戸を開けながら、
その金属製の雨戸に頬をあてると、日光で熱せられたせいで、ものすごく熱くなっています。
太陽光ってすごいな、って感じます。これが自然なんだなぁ、って思い知らされます。
ふと振り返ると、庭の南天の実がすっかり赤く色づいてきています。
もう今年も残すところ、あと2カ月。月日が経つのは早いですね。
今は、相変わらず、94歳の母の介護にせわしない毎日を過していますが、
そんな折、つい最近、母の姉が98歳で永眠されました。老衰だったそうです。
で、2日間に亘って行われた、お葬式に行ってきました。
式場には、昔、遊んだいとこたちが大勢出席していて、昔話で大いに賑やかでした。
なんと50年以上も会ってなかった、いとことも会えたし、彼らのお子さんやお孫さん
とも会えました。このような法事の席でないと、いとこたちと会うチャンスがないのは、
残念な気がします。
今朝は、起床するときは、何ということなく、人間が亡くなるって、
大変なことなんだな、って思う気持ちが湧きおこりました。
この世に生れてせいぜい、100歳まで生きた後、その後は、この世から永遠に
去ることになるのですから、「生きている」、ということは、その人にとって
非常に、ものすごーく大切なことです。ここに、「生きている」ということ、
命というものの大切さがあるのだ、と思わざるを得ません。
自然界では、永遠不滅というものがあり得ない以上、生きている間は、一日一日という時間は
非常に貴重であり、よほど大切に過さないといけないな、って思うのです。
今、生きていることの大切さ、命の大切さを思うと、健康でいられることの有難さに
感謝せざるを得ない気持ちになります。
日頃は、毎日くり返す日常生活をほとんど、惰性的に過している私ですが、
先日みたいな、お葬式のようなイベントを契機として、ふっと、
今回みたいに、生きてこの世に存在することの尊さを、気付かせてくれます。
つい先だって、朝日新聞(2014年10月25日付け朝刊)に、人を殺すのはいやだ!
と言って、韓国で兵役を拒否して、フランスに亡命した23歳の青年が紹介されて
いましたが、彼の気持ちは十分に理解できます。
戦争やテロなどのほか、いろんな動機による殺人のニュースが頻繁に飛び交っていて、
そんな報道に接するたびに、やりきれない気持ちになります。