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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

オーストラリアとのサッカーW杯アジア最終予選、物足りなかった!

2009-02-12 17:00:16 | スポーツ
昨夜、W杯アジア最終予選試合として、横浜・日産スタジアムで行われた、日本とオーストラリアとの試合をテレビ観戦した。結果は0-0で引き分けたが、観ていて物足りなさを感じた。全体としてボールの支配率は日本が上回っていて、シュート数も日本の方が多かったのにもかかわらず、ピリッとした良い試合には思えなかった。物足りなさの原因は、試合後にテレビ各局のコメンテーターが、異口同音に「日本が相手ゴール前に攻め入った時、日本の選手が大勢で怒涛のごとく攻め入ることが必要だ!」と、言っていたことに尽きる。私も、試合を観ながら、しょっちゅう、そのように思っていた。
試合後、日本代表の岡田監督は、「われわれのやろうとしたサッカーをしてチャンスをつくれた。勝ちたかったが、よくやってくれた。点が取れなくて残念だが、貴重な勝ち点1だと思う。」と語ったそうだが、昨晩の試合の評価が、この程度だとしたら、岡田監督にも大いに不満であり、今後の試合の行方に大いに不安を感じてしまう。


サッカー・トヨタカップ:ガンバ大阪の攻撃サッカーが見応えあった!

2008-12-19 09:56:50 | スポーツ
昨晩、横浜国際総合競技場で行われた2008年度トヨタカップ戦は、アジア王者のガンバ大阪と欧州王者のマンチェスター・ユナイテッドとが、準決勝を戦った。観客数が、同競技場開設以来の67,618人を最高記録したそうだ。試合は、前半、ガンバ大阪が世界最優秀選手であるロナルドがいるマンチェスターを全くものともせず、臆することなく果敢に攻めて、持ち前の攻撃サッカーを展開し、シュートを何本も放ち、惜しい得点シーンを作っていて面白かった。しかし、マンチェスターにいづれもコーナーキックから2得点を先制されてしまい、ここで、前半戦終了の笛。ここでの私の予想では、このまま、後半戦は、ガンバ大阪が、マンチェスターに一方的にメチャメチャに攻撃されて、ノーゴールのまま、最終的には大差で負けるのでは、と思っていた。
ところが、後半に入っても、ガンバ大阪は前半と同じく攻撃サッカーを貫き続けて、なんと山崎(敬称略、以下同様)が、マンチェスターの一瞬のスキを突いて、ゴールを決めた。これにはビックリ。山崎は、サッカーワールドカップの日本代表にも名前のない、無名の選手だ。ここで、両チームの得点は、ガンバ大阪の1-2で、1点差になり、あわや、ガンバが逆転か?、との期待を持たせたが、その後、マンチェスターによるエースストライカーのルーニーの投入の後で、立て続けに3得点を挙げられて、1-5とされてしまった。
でも、ここからがガンバの真骨頂が発揮された場面だった。ゴールエリアでの相手選手のハンドでPKを得たガンバ。ここで、ワールドカップ日本代表の遠藤が、冷静にゴールを決めたシーンは大いに盛り上がった。さらに、終了間際にも、ガンバの橋本がシュートを決めた。彼もまた、日本代表に名前のない、無名の選手だ。そして、ここで、試合終了のホイッスル。ガンバは3-5で敗れはしたものの、世界の王者を相手に、最後まで、攻撃サッカーを続けていて、実に見応えある試合だった。その証拠に、終わってみると、ガンバが放ったシュート数23本は、マンチェスターを上回っていた、とのことだった。



北京五輪での「口パク」少女の影の少女、可哀想

2008-08-25 16:02:21 | スポーツ
新聞によれば、昨日幕を閉じた北京五輪においては、その開幕式で著名曲「歌唱祖国」を独唱した、美少女、林妙可ちゃん(小学3年生、9歳)が、実は他人(楊沛宜さん)の歌声に合わせて「口パク」をしていた、という。開会式の音楽総監督が「口パク」は楊さんの容姿が見劣りするためで、中国共産党指導部の指示だったと説明している、という。
実際に独唱した歌声の主は、北京市の小学1年生の少女、楊沛宜さん(7つ)だったそうだ。当の彼女は、今月18日夜、林妙可ちゃんが出演するテレビ番組を見たが、その際、番組の中の司会者は、開会式で全世界に流れたのは楊さんの歌声だったことに最後まで触れなかった、という。
翌朝、楊さんが歯型が残るほど強く腕をかんでいたことが判明したそうだが、心を傷つけられた彼女の気持ちは十二分にわかる思いがする。無念の気持ちが痛々しく伝わってくる。彼女の両親はマスコミの取材を避けるため娘を遠方に避難させたというが、担任教師も「彼女をこれ以上傷つけないで」と訴えているそうだ。
おそらく彼女は、テレビを見てるとき、司会者がまもなく自分の名前を語ってくれる、と期待していたであろう。ところが、最後まで彼女の名前が語られることなく番組が終了したことは、テレビ局が、この世における彼女の存在を否定したことになろう。開会式の場で、「容姿が悪いから」との理由で、替え玉を映像で流したこと自体、彼女にとってはすごい屈辱であり、ショックであったろう。その上、テレビ番組では、自分の存在を完全に無視されてしまい、小学1年生の彼女が、いかに心を傷つけられたか想像を絶するものがある。
五輪という華やかな舞台で、「口パク」という"ヤラセ"を公然と認めるって、日本では考えられないことだ。華々しい舞台の影で悔しい想いを抱く少女の姿、実に可哀想に思う。



中国五輪で、女子ソフトボールが金

2008-08-22 09:51:37 | スポーツ
現在、中国で開催中のオリンピックで、昨晩は、日本の女子ソフトボールチームがアメリカを破り、初優勝を飾った、という。私は、どちらかといえば、サッカーの方が好きで、昨晩は、サッカーの"なでしこJAPAN"の試合を観ていたので、女子ソフトの優勝は、今朝のテレビで知った。
テレビでは、優勝にいたるまでの努力や苦難の道のりが紹介されていた。優勝の裏で、数々の苦労/努力があって、それが実ったものなんだ、としみじみ思い知らされた。優勝の立役者とされている上野投手をはじめ、選手全員は、苦労が報われて、喜びに浸っていることだろう。
優勝を勝ち取った上野投手は、恩師の故 平島監督に、最高にプレゼントをしたことは間違いない。
ニューヨークタイムズ紙には、「ソフトボールにおける、これまでのアメリカの独走に終止符を打った!」との記事が踊った、という。
夢、そして感動を与えてくれたオリンピックって、素晴らしい祭典だとつくづく思う。
日頃の努力の大切さを改めて思い知らせてくれた。



昨日のサッカーW杯予選、日本側の選手交代遅すぎ!!

2008-06-08 11:04:03 | スポーツ
オマーンの地で、なんと気温36度という酷暑の中でオマーンと争った試合をTV観戦した。観て思ったことは、敵地での審判の判断というのが相当問題があるように思えたこと。そして、もう一つ、日本選手の交代時期があまりにも遅すぎた、という思いだった。家内と応援していた私は、後半に大久保選手がレッドカードで退場になる少し前から、岡田監督は、一刻も早くすぐにも選手を交代させて、控えのエネルギーまんまんの選手に代えるべき、と見守っていた。疲れて脚が止まり気味の相手側に一撃を浴びせる絶好のチャンスだ、との思いがあったからだ。でも、現実に二人の控え交代選手がピッチに立ったのは、なんとロスタイムの頃だった。私はガッカリ。これでは、どうしてもこの試合で勝ちを取ろうとする岡田監督の真意は伝わってこない!!ダメだ、こりゃ!!

サッカーの我那覇選手の日本代表としての勇姿を早く見たい

2008-05-30 18:15:01 | スポーツ
元日本代表の我那覇 和樹選手(川崎フロンターレ所属)が、2007年4月に体調不良によりチームドクターから受けた点滴治療がドーピング問題として注目されてきた事件は、スポーツ仲裁裁判所 (CAS)にまで持ち込まれ、2008年5月27日、CAS は、無罪を叫ぶ我那覇選手の訴えを全面的に認めた、という。
私は、事件当初から、我那覇選手を信じてきて成り行きを見守ってきただけに、CASの裁定結果は当然だと思っている。
ところで、私は今日、たまたま、彼の公式ブログ
http://ameblo.jp/ganakazu/
を発見し、読ませてもらって、彼の真摯な態度と相まって、ますます彼を応援したくなった。
彼は、沖縄県那覇市出身。小学生の頃に宇栄原(うえばる)FCでサッカーを始め、小禄(おろく)中学校から沖縄県立宜野湾高等学校を卒業後、川崎フロンターレに入団した。その彼は、2006年の活躍を認められ、日本代表監督に就任したイビチャ・オシムにより沖縄県出身者としては初めて日本代表に初選出され、同年9月6日のアジアカップ予選、イエメン戦(サヌア)では後半途中から出場し、ロスタイムに決勝点となる代表初ゴールを決めている。
私は、今後は彼が早く日本代表に返り咲くことを祈り、その勇姿を、そして、彼のゴールシーンを一刻も早く見てみたい。

またも起こった大相撲の殴打事件--今回は、間垣部屋と陸奥部屋で

2008-05-19 16:47:57 | スポーツ
最近の大相撲のニュースで2件の事件が明るみにされた。
相撲協会の理事でもある間垣親方(55)=元横綱二代目若乃花は、両国国技館で開催中の夏場所4日目(14日)の朝げいこで序二段力士を竹刀で殴打し、顔や手、太ももに1週間の打撲などを負わせた、という。当日の取組を見た審判が力士のけがに気づき委員会に報告したそうだ。親方は「(力士が)やってはいけないことをしたから立ち直らせようと思ってやった。しごきがなくなったら相撲界じゃない。かわいいからやったんだ」と暴行を肯定するかのような発言をした。ところが、翌日、態度を一転。「やりすぎたなと思って(弟子に)謝った。本人は『オレが悪いから怒られていると両親に伝えている』といっていた。オレらの育った時代とは違うし、これからは口で言って聞かせないといけない」として、暴行肯定の態度一転させた。
一方、陸奥部屋では、豊桜が今年1月、けいこ前に生活面を教育しようとして力士の頭を調理器具のお玉で約10発殴り、すぐ救急車を呼んだが、8針縫うけがを負わせた。陸奥親方(49)=元大関霧島には報告しなかったそうだ。親方は、この力士が首を痛め5月初旬に入院したとき頭の傷に気付いたそうだ。力士は殴られたことを隠そうとしたが両親に電話し確認、事件を把握した。陸奥親方と豊桜は記者会見を開き、豊桜は「時津風の事件を軽く思っていたところがある。これまで以上に気をつけていきたい」と頭を下げた。親方は豊桜と力士の実家を訪れ、謝罪し、実家の両親と和解した、という。
これら2件の事件を聞くにつけ、またか、という思いが強い。この度の2件は、たまたま明るみに出た事件の一角にすぎないようにも思えてしまう。特に、事件を起こした当事者である間垣親方は、今後も相撲協会の理事職を続ける意向も示している、というが、責任の取り方が甘い。相撲協会の指導力が問われる。先が思いやられる。

元 巨人軍の仁志敏久選手のリベンジ魂に拍手

2008-05-15 10:01:24 | スポーツ
プロ野球一昨日(5月13日)のセ・リーグの巨人-横浜戦で、延長十回に横浜の仁志選手がサヨナラ打を放って、横浜が巨人戦で今期初勝利をあげたが、昨日もまた、その彼が2回ツーアウト満塁の場面で逆転の3点二塁打を打って、横浜が連勝した。その仁志選手は、茨城県の常総学院高校から早稲田大学を経て巨人軍に入団し、その持ち前のファイトは、あまり野球に関心を持たない私も知っていた。でも、監督が堀内監督から原監督に変わってからほどなくして、彼は原監督ら首脳陣から「いらない選手だヨ!」として解雇されて、横浜に移籍したことも私は知っていた。そんな状況だけに、仁志選手の対巨人戦にかける思いは並大抵のものではなかったハズだ。
一昨日と昨日の試合は、日頃からファイトを前面に出してありのままにプレーする仁志選手の本領が発揮された場面だった。今後も彼は、大いにファイト、燃える闘魂を発揮してくれるはずだ。頑張れ!仁志選手

サッカー:アンゴラA代表とのU―23日本代表の戦いぶりは、なかなか良かった

2008-03-28 14:28:05 | スポーツ
昨晩の27日、国立競技場で行われたアンゴラA代表とのサッカー親善試合をTV観戦した。今回は、事前にU―23日本代表の反町監督が、従来から起用してきたフォワードの平山選手を「一皮剥けてない!」として、代表から外すなど大胆な策を打ち出し、注目を集めていた。
アンゴラA代表を相手にまったくたじろぐことなく、U―23日本代表の堂々の戦いぶりは、非常に迫力があり見ごたえがあった。特に後半に入っても、日本代表は疲れを感じさせること無く、攻め続け、アグレッシブな戦いを見せてくれた。相手にボールを奪われてもすぐにしつこくそれを奪い、後半でのボールの支配率は、日本側の方が多かったように思う。特に、日本の得点に貢献した長友選手は、非常に良かった
一緒に観ていた家内は、このU―23日本代表のメンバーは、ワールドカップ出場を目指す日本A代表に入れ替わってもいいぐらいだ、と感想を漏らしていたが、私もそれに同感だ。
実は、前晩には、バーレーンでワールドカップ出場を目指す日本A代表がバーレーン代表と戦っていて、その試合をTV中継で観ていたのだが、その時の日本A代表の戦いぶりが私には不満で、途中TVを切って眠ってしまった。後で、0-1で日本が敗れたのを知ったが、さもありなん、と思ったものである。
今回のU―23日本代表と日本A代表を比べたとき、そのヤル気というか戦いぶりに大きな差があったが、なにがそうさせたのだろうか?
監督の違いだけだろうか?
選手の質の問題なのか?
選手のヤル気の問題なのか?
とにかく、選手には、常に「必死にプレーをやっている」という姿勢を、私たちに見せ続けてほしいものである。それが、日本を代表する、ということなのだから。

テレビ観戦でサッカーのキーパー木寺選手を懐かしく見た

2008-03-03 18:14:18 | スポーツ
去る3月1日(土)に、東京・国立競技場で行われたゼロックススーパーカップの試合をテレビ観戦した。対戦カードは、今年の元日に行われた天皇杯決勝と同じで、サンフレッチェ広島と鹿島アントラーズとの顔合わせとなっていた。番組の最初の方で、アナウンサーが広島の選手紹介のとき、ゴールキーパーを"木寺"とアナウンスしていたので、それを耳にして、すぐさま私は、もしかすると、私が以前、埼玉県の大宮サッカー場に何度も足を運んで、見ていた、当時、武南高校の木寺浩一選手のことかな、と、思った。その後、ほどなくして、広島の今日のキーパーが、まさしく、その木寺浩一選手である、ことがわかり、実に懐かしく思った。彼が、武南高校時代は、その頃、毎年のように、全国高校サッカーの埼玉県代表が、武南高校だった。私は、その当時、毎年、年末から翌年の正月にかけて行われる高校サッカーの試合を、試合会場に行って観に行っていたものだ。
当時は、高校サッカー界では全国に名を馳せていた武南高校だけに、私は、数え切れないほど同高校が出場する試合は、目にしていた。あの当時、大宮サッカー場のゴールポスト裏手に陣取って、観戦したこともあり、ゴールポストを守る木寺選手の雄姿は、今でもはっきり目に焼きついている。あの日、彼は黄色の色をした服に身を包んでいた。当時、私なりに、彼の顔は、TVスターの石田純一さんに似てるな、って思っていた。そのせいかどうかは分からないが、当時は、女学生たちからは、大モテで、プレーする彼に対して、いつも黄色い大声援が浴びせられていたものだ。
テレビ観戦していて、その彼が、いまや35歳になる、と聞いて、ビックリした。彼が高校生の17、8歳だったころからすると、もう17、8年も経ったことになり、かなりの歳月が経過したことになる。
私は、テレビの中の彼の顔を凝視したが、今は、真っ黒に日焼けして、口ひげを生やしてるように見えるが、まさに武南高校時代の面影は残っていて、実に懐かしい。私の隣で、テレビ画面を見ていた家内も、彼を見て、石田純一さんに似てるネ、と言っていた。
高校卒業後の木寺選手の消息は、私には未知だったが、運送の仕事への転職を考えて、大型自動車免許を取得したり、などなど、いろいろ苦労してきたようだ。これからは、懐かしい彼の活躍を応援していきたい、と思っている。
木寺選手の未来に幸あれ!!