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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

二人の孫娘から見舞いの電話をもらい、実に嬉しい

2009-06-23 21:44:46 | 家族
風邪がなかなかスッキリとよくならず、その後遺症のせいか、なんかしら貧血症状のような気分が、ここのところ、ずっと続いている。以前にも風邪を引いた時、今回と似たような症状を経験したが、今回は意外と長引いている。
そこで、今日も、昨日に引き続き、終日自宅でゴロゴロ寝転んだりして過ごした。そんな中、夕方、千葉の孫娘から電話がかかってきた。最初、5歳の孫娘から「むーちゃん、だいじょうぶ?」との声。そして、やがて、次に、電話が小学生の孫娘にバトンタッチされる。--実は、昨日も、今日と同じ時間帯に孫娘から電話がかかってきた。きっと、娘が、孫娘に見舞いの電話をかけさせたのであろうが、とにかく、可愛い可愛い孫娘との電話会話は、私にとっては、この上なく嬉しい。



身延山久遠寺の五重塔の落慶法要式典に出席

2009-05-15 18:35:59 | 家族
日蓮宗の総本山である身延山久遠寺に、この度、五重塔が建設され、同寺から私の母宛に落慶法要式典の招待状が届いた。今年89歳になる母の、"是非出席したい"、との希望に応えて、三男が車の運転をかってでた。私と次男は、それにお付き合いの形で同乗、かくて母および私たち3兄弟を含めた4人で、5月13日に出発し、昨日の5月14日の落慶法要式典に列席してきた。同式典は、13日から5日間に亘って行われ、昨日は、その第2日目である。
昨日は、快晴の中、午前11時から始まった式典は、約一時間で終了した。
ところで、私たち家族は、母が熱心な信者であることから、これまでに何度も身延山の参拝に訪れている。たしか私たち家族が最初に訪れたのは、私が大学生だったころだった、と思うが、当時は今は亡き父が車を運転して参拝に訪れていて、以来、私が身延山を訪れたのは、10回近くになるかな、と思う。最初に訪れたときには、当時、墨染め衣に身を包んだ身延山高校の学生との偶然の出会いがあって、その彼と私たちが、祖師堂の壁のバックに写真を撮らせてもらったことがあった。何故か今でも、「保坂 喜久男(夫?)」さんという彼の名前を覚えていて、懐かしく、恐らく今では、彼は60歳前後で、どこかのお寺の住職になられているのであろう。
母は、檀家の壇信徒として、毎年のように主催される、お寺の団体参拝に参加している関係で、ここ数十年は毎年欠かさず身延山への参拝を続けている。
長男である私や弟たちにとっては、たしか前回、身延山に参拝したのは、父と一緒に訪れたときであり、今回の身延山参拝は、亡き父を想い出す旅でもあった。参拝には、いつも後ろ向き父は、篤い信仰心に燃える母の意向に押されて、車を運転して、私たちを身延山はじめ、池上本門寺や中山法華経寺などに、たびたび連れていってくれたものだった。


元日の今日、例年の通りに初詣

2009-01-01 20:54:58 | 家族
今日は午前7時頃、起床、朝食を済ませて、8時半に駅を出発する電車で、家内と二人で毎年のように初詣に行く千葉県のお寺に向かった。朝から、雲ひとつ無い晴天で、途中、車窓からは富士山が見えた。ただ、少し風は吹いていた。
例年よりも出発時刻が遅かったせいか、電車はまあまあ混んでいるが、立つ、というほどでもない。お寺がある駅で下車すると、通りは混雑していて、お寺での祈願受付の順番待ちが心配された。
10時半頃、お寺に着くと、心配していた通り、既に順番待ちの長い行列が出来ていたが、そこで、既に到着して順番待ちの列に並んでいてくれた息子の家族に合流。2人の孫と破魔矢とかおふだを買い、祈願受付をして、本堂に進み、息子の家族4人と私たちが、他の大勢の参拝客とともに、お坊さんから、ご祈祷を受けた。
お寺での一通りの参拝が済んだのは、正午を廻っていた。帰り道、参道の途中で、たこ焼きなどを買い、駐車場に停めていた息子の車に、みんなして乗り込んで、我が家に向かった。
我が家では、千葉県から来た、娘一家と合流。今夜は、4人の孫を含む総勢10人で、ワイワイガヤガヤ言いながら、おせち料理のほか、シャブシャブなどを食べて、すごく賑やかに過ごした。もちろん、今夜は全員が我が家に泊まった。



ほのぼのとした、羨ましい光景

2008-12-10 13:33:24 | 家族
昨日、帰りがけに、こんな光景に出会った。電車で帰宅する際、改札口を出るとき、ふと前方を見たら、2~3歳ぐらいの、見るからにお孫さんらしい二人の子供に両脇から挟まれて、両手を繋いだ、おじいちゃんが歩いている、そんな後ろ姿が、目に飛び込んだ。その近くを、お孫さんたちのお母さんらしい女性もいて、彼らは、改札口を出て、すぐまん前にあるスーパーマーケットに入っていくところだった。
電車で帰ってきたおじいちゃんを、お孫さんたちが、改札口で出迎えていたのだろうが、おそらく、孫に囲まれ、両手を繋いだ、おじいちゃんの気持ちって、相当嬉しいだろうな、っていう気がする。なんか、ほのぼのとした、こんな光景を見て、とっても、おじいちゃんが羨ましい気持ちになった。私にも、孫たちが、今よりもっと小さかったときに、こんな経験があったかな、なんて思い起こそうと思ったものである。うん、たしか、昨日のおじいちゃんと似たような光景を味わったような気がしている。


アメリカから帰国しました

2008-10-07 18:04:51 | 家族
アメリカ時間の10月4日、私と家内とは、シアトル・タコマ国際空港で、私の妹とアンソニー君との見送りを受けて、午前中に同空港を離陸した。飛行機は、北極圏を経由して、成田国際空港には、日本時間の5日午後に到着した。その間、機外は、ずっと昼間のままだった。
成田空港の税関を抜けて、ドアを出たら、そこで、すぐに、私たちを待っている娘一家を目にすることができた。娘夫婦と7歳、4歳の孫娘が、今や遅し、と待っていたようだった。約10日ばかり後での再会だが、妙に孫たちと会うのが懐かしい感じがする。
やがて、娘の夫が運転する車で、私たちは、娘一家の自宅に向かった。
途中、4歳の孫娘が、前日に行われたばかりの幼稚園の運動会の玉入れ競技の模様を、興奮気味に話してくれた。21個の玉をいれた孫娘の所属する白組が勝ったのだ、という。
娘一家の自宅では、なんと、みんなが、2日遅れの私の誕生日を祝ってくれた。10月3日の私の誕生日には、まだ私がアメリカにいたため、この日に誕生日祝いをしてくれたのだ。私の名前の入ったチョコレートのプレートを乗せた、可愛いデコレーションケーキに蝋燭が立てられ、火が灯されると、周りを囲んだみんなが、ニコニコ顔で、いっせいに、ハッピー・バースデーの歌を合唱、その後、私が火を吹き消した。その後、二人の孫娘が、私の左右のホッペのところに、両側から顔をくっつけるようにしたポーズをとって、私たち3人は写真を撮ってもらった。

お盆で孫たちが来て、我が家は大賑わい

2008-08-14 11:39:30 | 家族
昨日13日から、例年のようにお盆に入った。そして今年も例年のように孫たちがやって来て、我が家は大賑わいを見せている。千葉から二人の孫娘を連れてきた娘一家は、昨晩、少し遅くなって息子のお嫁さんとともに来た二人の孫と我が家で合流、4人の孫たちは興奮の中、大喜びで再会した。昨夜は、そんな興奮がなかなか覚めやらぬ中、娘の夫が4人の孫たちと同室で寝て、彼らを寝かしつけてくれた。
今日は、朝6時過ぎには、孫たちは起床していて、おしゃべりしたり、キャッ、キャッ騒いでいる。最近は、私のことなど全く目もくれなくなりつつある小学1年生の孫娘は、何処にいくときも、もちろん部屋を移動する時でさえも、「コウタにいちゃん、コウタにいちゃん」と言いながら、小学3年生の孫の手をつかんで離そうとせず、どこに行く時も一緒。
お正月やお盆は、親戚や家族が集まってなにかと賑やかで、これこそお正月やお盆の風物詩でもあり、私にとっては賑やかなりに楽しいひとときでもある。
今日は、朝から部屋にいても背中を汗が流れる、うだるような暑さだが、今は、娘の夫が4人の孫たちを連れて近くのボーリング場に遊びに行っている。




以前に住んでいた家の取り壊し作業を見守る

2008-08-05 18:34:13 | 家族
先日の土曜日の引越しに続いて、今日からは息子一家が住んでいた家の取り壊し作業が解体業者の手によって進められた。新築の建売住宅だったこの家を、私たち一家が購入してから約28年になるが、私にとっては子供たちを育てた想い出のいっぱい詰まった家である。そのため、取り壊し前の最後の夜をその家で過ごし、取り壊し作業を見ようと思い、昨晩はその家に足を運んだ。なお、家内は懐かしい家が取り壊されるのを見ると、泣けて辛い、と予想し、私には同行していない。
さて、昨晩は、たまたま、どしゃぶりの雷雨になり、家に着く頃には靴やズボンの裾などはビッショリで水浸しになった。隣のマンションに仮住まいしている息子一家のところで伺ったら、取り壊す家は、既に電気や水道なども止めていて、熱帯夜のうえに湿度の多い夜間の一晩をそこで寝泊りするのは無理だ、ということで、仕方なく昨晩は、クーラーの効いたマンションで孫たちと一緒に過ごした。
今日は7時頃、起床して外を見たら、昨日までとはうって変わった曇り空で、ともすれば雨が降りそうな天候だった。もしかすると、取り壊される家が涙を流しているのかも!、なんて感傷的な気持ちになった。午前8時から始まる予定の、今日の取り壊し作業は、予定通り、2台のトラックに分乗した解体業者がピッタリ同時刻に到着して始まった。既に、今度新築する家を建てる大工さんである、息子のお嫁さんのお父さんも現場に到着していて、息子一家とともに、その家の前に並んで、解体作業に入る前の最後の記念撮影をした。
解体業者の職人さんは家の周囲に足場を組んだ後、まずは屋根の瓦はがしから作業が進められた。


息子の家の引越しを手伝う

2008-08-02 22:22:24 | 家族
今日の土曜日は、かねてからのスケジュール通り、息子の家の引越しを手伝うため、埼玉県に行ってきた。息子の一家が住んでいる家は、実は、息子や娘が幼児時代の当時、4人家族の私たちが、埼玉県で建売住宅の販売中だった新築の一軒家を購入して、私たち一家が約15年くらい住んでいた家であり、今は茨城県に住む私たち夫婦にとっては懐かしい、想い出の多い家だ。
小学生二人の男の子を持つ息子から、老朽化した埼玉県の家を立て替える話が提案され、いよいよ立て替えることになったのだ。たまたま息子のお嫁さんのお父さんが大工さんで、そのお父さんに立て替え工事をやってもらうことになり、8月中旬くらいから始まる新築工事を前に、今日は、小さな広場を隔てて、すぐ隣にある3階建てマンションの一室への引越し作業が行われた。息子の住む家とマンションと距離は10メートルぐらいの距離のため、引越しやさんに依頼することなく、親戚・家族で引越しを行った。参加したのは、茨城県から私たち夫婦、千葉県からは娘夫婦と二人の孫娘、それと息子のお嫁さんのご両親の面々。息子一家の4人を含め、総勢子供たちを含めて12人である。
今日は、炎天下の猛暑が続いていた最近の中でも、珍しく日差しがあまり強くなかったのが、幸いして、引越し作業は順調に滞りなく無事に終了し、午後7時頃には、12人全員が近くのレストランに行って夕食を囲んだ。4人の孫が並んで好きなメニューで腹ごしらえをする光景は、なにかと賑やかであったが、一方で、楽しい雰囲気でもあり、幸福感をかみしめたひとときでもあった。夕食後は、12人全員が息子の家とマンションとの間にある広場に集まり、孫たちを中心にした花火を楽しんだ。つい最近まで、花火が怖いと言っていた、小学1年生の孫娘もコワゴワながら花火を手にしていたけれど、けっこう楽しそうだった。







引越しで別れるのは子供たちにとっても悲しいこと

2008-07-18 10:49:09 | 家族
私と家内とは、昨晩、車で千葉県の孫娘の家に来て泊まっている。実は、今住んでいる孫娘たちの家からは、電車の駅まで遠くて不便なため、孫娘たち一家が今住んでいる家から、明日の土曜日に、新居に引っ越すため、その手伝いに来ているのだ。
この家は、住宅会社が約4年前に、30件ぐらいの住宅を、カタカナの「コ」の字に並んだような形に配置して、新築・販売した際、娘一家が購入してものだ。目の前が道路で、玄関は南向き、室内も明るく、明るいベージュ色の浴室は広くて、住み心地の良い家だった。周囲の家々の家族も、ほぼ娘一家と同じような年齢の夫婦が住んでいて、彼らの子供たちも、孫娘と同じ年齢であり、住環境としても申し分がない、と言える場所だ。
今朝は、幼稚園の年少組の4歳の孫娘は、午前8時半少し前に、自宅前まで、いつもの通りに玄関前まで迎えにきた幼稚園のバスに乗り込み、車内で手を振りながら、元気に幼稚園に向かった。思えば、こうして、この家からバスに乗って行くのも、今日が最後になる。
今日は、朝食前、布団の上で、4歳の孫娘が、私に、すぐ前に住んでいる家のお友達からもらったという、かわいい封筒に入った2枚の手紙を見せてくれた。それには、「まいちゃんへ ひっこしても ひなのことわすれないでね ひっこしてもげんきでいてね」と書かれ、また、もう1枚の手紙には、「まいちゃんへ まいちゃんとりほちゃんがひっこすっていうはなし きいたらかなしかったけど るなもがんばるから まいちゃんもがんばってね。るなのことわすれいでね るなより」と書かれていた。家を引っ越すのって、子供たちにとっても悲しく、寂しくさせるものなのだ。




「父の日」にデジカメをプレゼントしてもらった

2008-06-16 16:17:38 | 家族
一昨日の土曜日、千葉県から娘一家が車で我が家にやってきた。そして、昨日が「父の日」ということで、娘夫婦から、デジカメをプレゼントされた。いままで私が持っていたデジカメは、画素数が200万画素のコニカミノルタ製のもので、買ってから3年以上経過している。旅行のみならず、ちょっとした散策やサイクリングのときにも、持ち歩いていて結構重宝してきた。でも、最近は電源のON/OFFで自動的に開閉するはずのレンズの保護蓋が作動しないなどガタがきていた。
そんな故障がちなことを孫娘も知っていて、それで、娘夫婦は今回、デジカメをプレゼントしてくれたのかも知れない。プレゼントされたのはCASIO製のEXILIMブランドのもので、「EX-Z1200」という機種である。最高画素数がなんと1210万画素であり、今まで使ってきたデジカメには無い高度な機能が付いているようだ。今まで使ってきたデジカメもそうだったが、その機械に備わっているすべての機能をフルに使いこなしてこなかった。この度プレゼントされたものを、どの程度まで能力を発揮させて使いこなせていけるのかわからないが、今後しばらくの間は、マニュアルとにらめっこが続くことになる。