生態系崩壊の崖っぷち――ジャンプか転落か

2006年07月23日 | 持続可能な社会

 シルル紀(4億3千9百万年前)に植物が海から上陸しはじめ、デヴォン期(4億8百万年前)にそれを追って動物が上陸をはじめて、海と陸との「環境」と生物のバランス、微生物と植物と動物のバランスという意味での地球の「生態系(エコ・システム)の原型がほぼ出来上がってきたと考えられます。

 このシステム=組織は、コスモスの130億年以上の自己複雑化・自己組織化の成果です。

 地球の歴史でいっても、40億年以上の進化の産物、生命の歴史でいえば35億年あまりの進化の到達点です。

 このシステムは、生命と非生命(環境)、それぞれの生命グループというふうに分かれてはいても(分化)、一つのシステムとしてまとまりをもち絶妙のバランスを保ってきたようです(統合)。

 しかし人類の登場、特に文明の誕生以来、人類(の一部、文明を形成した人々)は、必ずといってもいいくらいその文明圏の生態系のバランスを壊してきたようです。

 「文明の後に砂漠が残る」という言葉があるとおりです。

 考えて見ると、古代文明の後はすべて砂漠的な環境になっています。

 いまや文明の規模はグローバルになっていますから、生態系の崩壊もグローバルに起こりつつあります。

 そういう状況を見て、「人間は地球・生態系のガンだ」という人もいます。

 確かにこのままだと、そう言われても仕方ないでしょう。

 そして、ガンそのものがガンの患者さんの死と共に死なざるをえないように、人類も〔人類が生き延びられるようなかたちの〕生態系の崩壊と共に崩壊するのは理の当然です。

 (といっても、人類をふるい落とした後、ややかたちを変えた生態系は確実に残り、コスモスはまちがいなく進化を続けると思われますが)。

 しかし私は、人類が地球のガンとして絶滅していくのか、コスモスの自己認識・自己感動器官として意味深い生存を続けるのかは、まだ決着がついていないと思っています。

 間違いなく、瀬戸際・崖っぷちではあるでしょう。

 そして、ジャンプして向こう岸に渡れるか崖から転落するのかは、ジャンプする覚悟ができるかどうか、覚悟ができたとして、ちゃんと必要な距離のジャンプができるかどうかにかかっていると思います。

 いずれにせよ、私たちがスリル満点の時代に生きていることは確かです。

 もちろん私は、ハラハラドキドキしながら、なんとか十分な飛距離のジャンプをしたいと身構えています。

 スウェーデン・モデルは、飛距離が十分かどうかという疑問は残りますが、確実に一つの大ジャンプだ、と私には見えています。

 さて、ここで、ご一緒に大ジャンプに挑戦してみませんか?



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コメント (4)
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