「よりよい」あるいは「まし」なコスモロジー?

2006年07月14日 | 生きる意味

 私は、「思想の自由」ということを相当に尊重しています。

 ですから、私の発言はいつも提案やお勧めであって強制ではないつもりです。

 しかし、なぜか強制に感じる方もあるようです。

 それは、一つはつながり・重なりコスモロジーの圧倒的な説得力によって、それまで自分が考えてきたことを全部否定されるように感じるからかもしれません。

 もう一つは、「強くお勧め」しすぎて、強く制しようとすること=強制に感じられてしまうのかもしれません。

 後のほうは、私の責任です。失礼。

 前のほうは、私の責任ではありません。

 さて、それについて、ここのところいただいているコメントへの返事のコメントですが、ネット受講生のみなさんと共有したいので、本文欄で書きます。

 まず、「自分の考え」は「自分そのもの」ではない、のではないでしょうか?

 考えは、いろいろ変わるもの、変わっていいもの、場合によっては変えたほうがいい、条件付で変えなければならないものだ、と私は考えています。

 認識、知識、体験等々が変われば当然変わります。

 生まれた時から、完全な、絶対に正しい考えを持っている人など、この世には存在しないでしょう。

 人間(とその考え方)は、生まれてから死ぬまでずっと不完全なものだと思うのです。

 だから、成長につれて変わっていいのです。

 それどころか、幼くて、不完全で不正確な考え方をしていて、ちゃんと生きていくのに不都合がある場合は、変えたほうが当人のためにも、まわりのためにも、いいでしょう。

 さらに、歪んでいて、倫理的あるいは法律的に他者に迷惑をかけ、かつ自己破壊的になるような考え方の場合、まわりに対する責任、自分自身に対する責任として、変えなければならないと考えられます。

 自分のこれまでの考え方を大切にするあまり、自分自身のいのちとまわりの人のいのちを大切にできなくなるとしたら、それはいわゆる「本末転倒」ではありませんか?

 つながり・重なりコスモロジーは、現代科学の標準仮説をベースにしているので、順を追って体系的に学んでいただくと、圧倒的な説得力が感じられると思います。

 ということは、これから圧倒的多数の人間の合意点になる可能性もきわめて高いということです。

 つまり、これからの世界平和のための人類的合意ラインになりうるのではないかということです。

 その上、自分と他の人々、そして世界のすべての存在をきわめて肯定的に捉えることができるようになります。

 だとすれば、これを採用しないという手があるでしょうか?

 強制に感じたりするお気持ちもよくわかりますが、できたら、心情的な抵抗感をご自分で克服していただいて、〔絶対でも完全でもないけれども〕自分と他者のために、「よりよい」あるいは「まし」だと思われるコスモロジーを採用していただくといいのではないでしょうか?

 でも、もちろん、最終的にはみなさんの思想の自由・選択の自由です。

 私は――半分残念ながら――人間には自分にもまわりにも不都合・迷惑・有害な考え方であってもこだわり続ける権利――あるいは抜き難い傾向――があって、それはなかなかどうにもならないな、と感じています。



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コメント (2)
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