散歩者goo 

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恋愛関係・人間関係、私の場合

2013年02月18日 23時59分09秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先日、私にとってわずらわしいバレンタインデーが終わり、ほっとしている。
半月以上前から、様々なチョコレートやバレンタイン関連の宣伝が始まり、スパーでも大量のチョコレートが店頭に並ぶ。
TVでも、その日が近づくと、関連したテーマの恋愛や男と女の関係についての番組が多くなる。
私も、仕方なく時には面白いのでそうした番組をしっかり見るが、独身で彼女もいない私にとっては、どうでもいいことであり、ある意味、世間からの恋愛せよとの脅迫のようにも感じる。
しかし、この歳では彼女も出来るはずもなく、女友達のいない身にはどうしようもない。
また、今のところ、女友達はあるに越したことはないが、かといってどうしてもほしいとも思わない。

68年間、結婚したこともなく、彼女や内縁の妻を持ったり、同棲したことがない私にとって、そのありがたみは分からない。

この事実を言うと、会う人から奇異の目で見られるし、世間でも奇異の目で見られているに違いない。
私に、犯罪歴があったり、慢性病やその他病気や、将来発生する確率の高い病気を持っているわけでもなく、性格的に異常な性癖を持っているわけでもなく、自分では心身ともに健康な男と思っている。

一番疑われるのは、男色であったり両刀遣いではないかという疑いだが、そうした傾向は100%ない。
(ギャラリー時代に、同性愛者の作家の個展をしたのと、いつまでも結婚しないので誤解を生んでいるようだ。)
アメリカで英語留学していたときとか、ギャラリーをしていたときに、何人かの男性が勘違いして、それとなく接近してきたが、こちらもそのようなものを感じて直ぐに逃げた。
(同性愛者に対する偏見は持っていませんが、同性愛の対象にされると嫌悪感を感じます。)

又、女嫌いとか、女性が不浄といった偏見を持っているのではないかといわれたこともあるが、そんなことは全くない。
恋愛の前提となる恋愛感情がないのでは、という疑問もあるかも知れないが、これでも若い頃は片思いや失恋に近いことは何度も経験している。
映画でも、ミュージカルは恋愛ものが多いが、経済的に余裕のあったころは、古いミュージカル映画は沢山見ているし、お気に入りであった。
私は、40歳以前の会社員の時代には、もっと積極的に行けば彼女が出来るチャンスは何度かあったと思っているが、踏み切れなかった。(仕事には果敢で、チャレンジ精神もあったが、女性に対しては優柔不断で引っ込み思案だった。)
その当時は、お見合いパーティーにも足しげく通ったこともあるが、今から考えると、そんなことをしなくても彼女を得るチャンスはあったと思っている。
そして、40歳以降も、そのような機会は、あったのかも知れない。

経済的にかなり余裕のあった、40歳ぐらいまでは、結婚のチャンスは何度もあったと思っているが、30代後半は技術の管理職をしていて仕事が忙しすぎて(土日出勤のことも多かった。)そんなことを考える余裕がなかった。
40代以降は、経済的にも仕事の面でも不安定で、それどころではなかった。
結婚できなかったのは、縁とお金がなかったからだ思っている。

ただ、経済的に貧しくても恋愛や結婚している人たちを、何人も知っているので、経済的なことは理由にならないのかもしれない。
だが、縁がなかったと言ったことは、間違いだったかもしれない。
人間関係=縁は、お互いが築きあげるものだ。
男女関係の場合は、通常男が積極的に行うものと、相場が決まっている。
実は、縁を作ることに関しては、私はまめではなく、どちらかというと、めんどくさがりである。

40代になって、脱サラをし、アメリカのシカゴに英語留学をしたが、その時、身近に非常に良くもてる白人男性がいた。
彼とは、懇意であったので、女性との付き合い方を学ぼうと、彼の行動や話の持って生き方をしっかり観察した。
彼は、ラテン系ということもあって、女性の扱いが非常にうまかった。
当然、目の前の彼女に対しては、適当な嘘もついていたであろう。
今考えると、彼は女性に対し、非常にまめであり、平行して二人の女性と付き合うことも出来る才能を持っていた。
帰国後、彼の女性に対するこまめな気配りと、声掛けや、やさしさを実践しようとしたが、彼のようにはうまく出来なかった。
私が女性と接する態度に、何か問題があったのだろう。

その意味で、思い当たることがある。
60才近くまで、男女同権を原則に、公私とも女性の扱い方も男性の扱い方もほぼ同様に扱っていた。
本音と建前では、いつも建前や論理的思考を優先し、個人の都合より、社会的約束とか仕事や組織が最優先の傾向が強かった。(今もそうかも知れない。)
私的な場面でも、女性と対話するときも、男と話す時のように論理的な話だけをしていた。

今まで対人関係は、男女を問わず、「去るものは追わず」を基本に考えていた。
相手が、私から距離を置けば、それは相手の意思を尊重すべきと考えている。
同じことになるが、相手の発言や態度は、男女問わずそのまま額面どおり受け取るようにしている。
(技術者の習性かもしれないが、話はそのまま額面どおり受け取らなければ、仕事は進まないし、基本的にしっかりした技術者はほとんど嘘をつかない。間違ったことを前提に話を進めると、間違った結果や製品しか出てこない。)
例えば、映画や歌劇やドラマとかバラエティーで言われる恋愛関係で、相手に嫉妬させて逆に相手の気を引こうとするような場面は、多分私なら、ご自由にしてください、当て馬の方と仲良くしてください、と思うだろう。(恋愛経験もないので、そんな経験はないが)
所詮、相手が二股掛ける様なら、その後も同様のことが起きる可能性が強いと思っていて、そんなわずらわしいことに振り回されるのはごめんだ、という気持ちが強い。
また、私のことを信用できない人や、嘘をつく人や自己中の人とは、適当に距離を置くようにしている。
これらの、対人関係の基本行動が、結果的に生まれてから今まで彼女歴なしの偉業を成し遂げた原因なのかもしれない。

しかし、上記の基本行動を修正したところで、この歳になって、私は枯れてはいないが、貧困の独居老人では、(バレンタインに象徴される恋愛面では、)だれも接近しないであろうし、逆に私から接近すれば女性にとって大迷惑になるに違いないので、こちらからは接近しない。
ただ恋愛面を除いた、単なる趣味上の友人知人としての交流は、相手が許容したり友好的な場合は、問題ないだろうと思っている。
当然のことながら、相手がいつも私から距離を置き、私のことを快く思ってないと推察出来る人には、私からは、近づかないようにしている。

幸いなことに、私には、お金のかからない趣味(現代美術のみならず)もいろいろあり、それに付随して関係する友人知人達との交流もあるし、さらに昔の同級生や会社の同僚といった友人との交流もある。
これからも今までどおり、趣味やその他人間の交流を楽しみながら、心豊かに体も鍛えながら暮らして行こうと思う。

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