昨日は、午前中新聞の求人チラシに目を通していたら、昼になった。
無論、この歳でいい職があるなんて全く期待していないが、気になるのだ。
何度も繰り返すが、食べて寝るだけなら年金生活で全く問題はないが、交通機関を使って外出して外食をし、本を買ったり、美術館や博物館や劇場にでも行ったり、野外の登山や海水浴に行ったり、マラソンに参加したりすると、たちまち家計は赤字に転落する。
現状では、生存するのに必要な費用以外に、わずかに自由になる年金の余剰資金(小遣い程度)はあるが、これでは人並みの生活はできないので試行錯誤中だ。
午後から駐車場に生えている、自然生えのミニトマトの苗を、踏み潰されないようそばのプランター置き場の土に、移植してやった。
ゴーヤも苗から一時的に、鉢植えにしているが、蔓も伸び花も咲き出したので、大きいプランターに移植しなければならないが、そのプランターには、シソやミニトマトが自然生えで生えてきているので、移植が必要だ。
忙しくなりそうだし、大仕事でもある。
今週から来週に済ませたい。
イチジクも早春から7個の実をつけていたが、今はすっかり大きくなり色づくのを待つだけだが、去年6月頃食べた巨大な第一号イチジクは水っぽくておいしくなかったのを思い出す。
その後。職安に求人登録に行った
家からPCでハロ-ワークのサイトを見るには、求人登録が必要なのだ。
以前からハローワークには、何度も通った。
ギャラリー撤退後のさまざまな仕事は、ほとんどはハローワーク経由だった。
登録のために、求人相談の窓口で話を聞いた。
案の定、この歳では求人が少ないと言う。
介護は、今でも女性が有利なようだ。
送迎の仕事はあるが、ペーパードライバーでは、難しいかもしれないという。
運転に関しては、30代の頃は車も持っていたし、アメリカ留学時代もLの使っていたポンコツ車を購入して日常使っていたが、ギャラリー時代以降は車を運転したことがないので、介護関係の送迎は難しそうだ。
掃除ですら女子トイレ掃除の関係で、女性が有利という。
どうやら、これからは極力無駄な出費を抑制し、自営・起業の道を模索しつつ、つつましく分相応に生活しなければならないようだ。
上を望めばきりがない。
余裕はなくとも、最低限、衣食住に不足することなく生き、ジムにも通い運動もできる年金生活をよしとするべきだろう。
後は、お金のかからない知的楽しみを、深めていくことかもしれない。
職安の帰り、天満橋のファストフードで本を読んだ。
一茶の生活の苦労を知ることができた。
そうしたことを、俳句に託している。
俳句や短歌は最小の詩形である。
昔の人は、日常の思いや出来事も文章のみでなく、俳句や和歌にも託している。
詩歌にすることで、文章で表現するより読み返すときに、情景や思いが浮かんでくるし、感性が研ぎ澄まされるように思っている。
感性が研ぎ澄まされることで、他の人が感じていないことにも、面白さや、情感を得ることができ、人生が非常に豊かになることは間違いないであろう。
無論、この歳でいい職があるなんて全く期待していないが、気になるのだ。
何度も繰り返すが、食べて寝るだけなら年金生活で全く問題はないが、交通機関を使って外出して外食をし、本を買ったり、美術館や博物館や劇場にでも行ったり、野外の登山や海水浴に行ったり、マラソンに参加したりすると、たちまち家計は赤字に転落する。
現状では、生存するのに必要な費用以外に、わずかに自由になる年金の余剰資金(小遣い程度)はあるが、これでは人並みの生活はできないので試行錯誤中だ。
午後から駐車場に生えている、自然生えのミニトマトの苗を、踏み潰されないようそばのプランター置き場の土に、移植してやった。
ゴーヤも苗から一時的に、鉢植えにしているが、蔓も伸び花も咲き出したので、大きいプランターに移植しなければならないが、そのプランターには、シソやミニトマトが自然生えで生えてきているので、移植が必要だ。
忙しくなりそうだし、大仕事でもある。
今週から来週に済ませたい。
イチジクも早春から7個の実をつけていたが、今はすっかり大きくなり色づくのを待つだけだが、去年6月頃食べた巨大な第一号イチジクは水っぽくておいしくなかったのを思い出す。
その後。職安に求人登録に行った
家からPCでハロ-ワークのサイトを見るには、求人登録が必要なのだ。
以前からハローワークには、何度も通った。
ギャラリー撤退後のさまざまな仕事は、ほとんどはハローワーク経由だった。
登録のために、求人相談の窓口で話を聞いた。
案の定、この歳では求人が少ないと言う。
介護は、今でも女性が有利なようだ。
送迎の仕事はあるが、ペーパードライバーでは、難しいかもしれないという。
運転に関しては、30代の頃は車も持っていたし、アメリカ留学時代もLの使っていたポンコツ車を購入して日常使っていたが、ギャラリー時代以降は車を運転したことがないので、介護関係の送迎は難しそうだ。
掃除ですら女子トイレ掃除の関係で、女性が有利という。
どうやら、これからは極力無駄な出費を抑制し、自営・起業の道を模索しつつ、つつましく分相応に生活しなければならないようだ。
上を望めばきりがない。
余裕はなくとも、最低限、衣食住に不足することなく生き、ジムにも通い運動もできる年金生活をよしとするべきだろう。
後は、お金のかからない知的楽しみを、深めていくことかもしれない。
職安の帰り、天満橋のファストフードで本を読んだ。
一茶の生活の苦労を知ることができた。
そうしたことを、俳句に託している。
俳句や短歌は最小の詩形である。
昔の人は、日常の思いや出来事も文章のみでなく、俳句や和歌にも託している。
詩歌にすることで、文章で表現するより読み返すときに、情景や思いが浮かんでくるし、感性が研ぎ澄まされるように思っている。
感性が研ぎ澄まされることで、他の人が感じていないことにも、面白さや、情感を得ることができ、人生が非常に豊かになることは間違いないであろう。
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