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マチュ・ピチュ

2013年11月27日 23時40分00秒 | 考古学・古代史・歴史・文化人類学
40歳のとき(約30年前)に南米を旅行し、そのときにペルーのマチュピチュに行ったことがある。
当時マチュピチュは、謎の天空都市といわれてきた。
バスが断崖のような急斜面につけられた、九十九折の細いを登っていくのに、肝を冷やし、マチュピチュに着くと、こんな急な山の尾根に、どのようにして、何のためにこんな大規模な街を作ったのか驚いた。
更に急斜面の段々畑を見て、本当にこんなところで農業をしていたのか、疑っていた。

ところが、先ほどのNHKの世界遺産紹介の短い番組での解説を見て、それまで疑問に思っていたことが、氷解した。

マチュピチュは、インカ皇帝の冬の都だったという。
そこから、インカ帝国各地へ八方に伸びる、インカ道が発掘されているという。
インカ皇帝が冬に来て、春の農耕の始まりの時期を告げるためにマチュピチュに来たのだという。
番組では、当時のインカ皇帝のマチュピチュでの生活や草葺の屋根のある町並みもCGで再現されていた。

更に、段々畑が下まで発掘され、それまで考えられていたより、はるかに大規模に遠く離れたところまで、山の斜面に作られていたようだ。
少なくともマチュピチュ周辺は深い急な峡谷で、耕作に適した盆地なんか無かった。
谷底を文字通り這うようにして、列車が走っていた。
この近辺では、作物のほとんどが山の段々畑で作られたのだろう。
作物も山の上から下までの温度差を利用して、温度に適した様々な作物が作られていたという。

私がに行った30年前は、マチュピチュは全く何も分からない謎の都市であったが、最近の発掘と研究で、かなりのことが分かり始めたらしい。
その研究成果を知った上で行けば、見方が随分変わったであろうと思った。

参考(ウイキペディア)
マチュ・ピチュ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%81%E3%83%A5)

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